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2009年01月27日

『離陸したインド経済-開発の軌跡と展望』絵所秀紀(ミネルヴァ書房)

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 いつものように帯の宣伝文句を見て、表紙見返しの要約を読んで、「はしがき」「あとがき」と読み進んだ。この段階で、本書に期待していいのかどうか、よくわからなかった。

 帯には、「台頭するアジアの巨象の行方は? 独立からすでに離陸を完了しグローバル化する現在までの経済発展の軌跡を概観し今後を展望」とある。見返しの要約は、帯の文面と重なっているが、著者は「開発経済学、インド経済論の第一人者」であるという。そして、「はしがき」の出だしを読んで、読むのをやめようと思った。「もう一五年以上も前に」出版したという共著の発行年は、1995年だった。経済の本で、数字に無頓着なものは信用できない。

 しかし、それで読むのをやめなかったのは、同じ最初の頁の後半に中国との違いが書かれ、「あとがき」の最初に期待できることが書かれていたからだ。中国との違いは、言語政策にあることが、つぎのように書かれている。「インドの多様性がまず感じられるのは、言語である。連邦の公用語としてヒンディー語、準公用語としての英語が認められているが、その他現在では二〇にのぼる州政府が使用する地方公用語が認められている。独立後のインドは、文字文化を有する大言語を機軸として州編成を行った。いわゆる「言語州」の誕生である」。「公用語が別々なのに、インドが統一された国民国家として成り立っている」。世界史では、一般に国民国家の誕生・発展に大きな働きをしたのが国語の成立ではなかったか。中央集権化した強い国民国家を形成するために、国民教育が重視され、国語が重要な役割を担ったはずだが、インドでは違うのか。近年の経済成長と関連があるなら、読まなければならないと思った。

 「あとがき」の最初にも、読みたくなるようなことが書かれていた。「ここ数年、沢山のインド本が市場に出まわって食傷気味だった」「最近のインド・ブームに乗った手元にあるいくつかのインド本を手にすると、途端にげんなりしてしまう」、こういう風に書けるということは、本書を書き終えて、著者には自信があったのだろう。

 「はしがき」では、言語とともにインドが複合国家であることを特徴付ける宗教についての説明がある。まず人口の約8割を占めるヒンドゥー教について、理解する必要がある。その第1の特色は、「生まれながらの宗教」であるとし、つぎのように説明している。「キリスト教やイスラム教や仏教は、われわれが選ぶことのできる宗教である。通常は「洗礼」という形をとって、自由意志でわれわれはキリスト教徒にもイスラム教徒にも仏教徒にもなれる」。「これに対しヒンドゥー教の場合は、ヒンドゥー教の家に生まれない限り、ヒンドゥー教徒にはなれない」。「この宗教的性格がインドの社会と人々の考え方を大きく規定してきたように思われる」。

 このヒンドゥー教徒について知らなければならないことはもちろんだが、約1割を占めるイスラーム教徒やシク教徒、ジャイナ教徒、キリスト教徒、仏教徒、パールシー教徒のことも知っておかなければ、インドとつきあえないことは、本書を読み進むうちに、だんだんわかってきた。

 言語について、もうひとつ頭に入れておかなければならないのは、エリートの共通語としての英語だ。あの文章と文章のあいだに間がなく、よどみなく話す独特のインド人の英語は、インド全土を駆け巡るだけでなく、「そのまま世界中をも駆け巡っている」。「現在海外にいるインド人(いわゆる印僑)は二〇〇〇万人と言われている。このうち約二三〇万人がアメリカ在住のインド人であるが、彼らの大半はエリートである」。

 これだけの予備知識があれば、本書を理解することはそれほど難しくはない。本書での議論の要約は、最終章の「おわりに-二一世紀インド経済の展望」の冒頭で、つぎのようにまとめられている。「高度成長の恩恵は絶対的貧困層の比率を減らしており、また識字率も高まってきている。しかしそのスピードは、期待されるほど速くない。一方、情報通信産業の進展によって高度な教育を受けたエリート層(新中間層)の所得は飛躍的に伸びており、州間の所得格差も急速に拡大している」。

 「インドは何度も外国から攻められたことはあるが、外国に攻め入ったことはない」。しかし、近年のインド系企業の世界的規模での買収をみていると、経済的に攻めていることは確かだ。人口も、いずれ中国を抜くことが予想されている。インドの複合性はそれを乗り越えたとき、インド人が主体となって世界の複合性を超えることを意味する。世界の中心にインドが踊り出すことも予想されている。インドを理解することは、これからの社会を理解することにつながる。

 著者は本書を執筆するにあたって、つぎのような方針をもって書き始めた。「本書は、すでに離陸し急速にグローバル化が進展しているインド経済の現在を理解するための入門書である。普通ゼミの学生に話すように(つまり楽しみながら)、書こう」と。楽しみながら、本書を読むためには、もっとインドのことを知る必要がある。

 先週、このブログをアップした翌日、アルミ缶の買い取り価格は、1キロ55円から45円に下がった。いったいどこまで下がるのだろうか。

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2009年01月20日

『東南アジア経済史-不均一発展国家群の経済統合』桐山昇(有斐閣)

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 アジアの経済発展が、欧米の先進国に追随したものではないことが明らかになり、その経済発展の原動力を、歴史や文化に求めるようになってきた(ようやく!)。本書の目次を見てもそのことがわかる。

  第1章 東南アジアの現在
  第2章 東南アジアという地域世界
  第3章 支配からの離脱
  第4章 「国民経済」の追求
  第5章 脱植民地経済希求の転回点
  第6章 開発戦略の発見
  第7章 ASEAN経済の形成
  第8章 産業社会の確立とFTA

 帯に「現代東南アジア経済を読み直す」と大書してあり、その下につぎような本書の要約ある。「めざましい経済発展と地域統合の進展で注目を集める東南アジア。旧宗主国の史料解読や系統的な現地聞取り調査から、日本の企業活動とも関連深く、新たな国際分業体系を作り上げるなかで産業社会化が進むこの地域の経済発展を跡づけ、現段階をリアルに把握し、今後の方向を提示する」。

 著者、桐山昇は、「この地域の商業・経済活動がもつ歴史的属性への回帰の道」に注目し、「植民地時代はもとより前近代世界においても、域内各経済単位(たとえば港市)は連接する商業・経済活動の環であった。この地域にあって、地域国際分業体系こそが普遍的姿であったといってよいであろう」と、東南アジアの地域性を押さえてから、時系列的に地域経済を語っている。そして、東南アジア各国に目配りしながら、その時代を特徴付ける国を事例として丁寧に説明をしている。

 本書が、安心してアジア経済を学ぶ学生に、テキストとして紹介できる内容になっているのは、著者が教育大学出身で、これまでも『東南アジアの歴史』(共著、有斐閣、2003年)などのテキストを執筆した経験があるからだろう。また、「対象とした全事業所(現場)に直接出向くこと、製造業であれば面接に加えて製造ライン見学を旨とするヒアリング手法を基礎としている」のは、机上の動向分析が、「現場」で役に立たないことを知っているからだろう。「在外企業ヒアリングで訪ねた国は、ASEAN諸国を中心に関係国合計14ヵ国に及び、訪問した事業所数も160を超えるに至った」という。「東南アジアであるから労働コストが圧縮できる」と考えている日本の東南アジア進出企業があるなら、その企業の東南アジアでの未来はない。東南アジア社会はすでに成熟して、「3K職場を嫌う」ようになっている。東南アジア社会の発展のなかに日本企業を位置づけるビジョンがなければ、いずれ東南アジアから排除されることになるだろう。

 文献で歴史や社会を理解し、現場で現実を把握して、その現実を歴史や社会のなかで理解する。そのことが、読者に充分伝われば、「アジア経済を学ぶ学生はもとより、現地赴任もしくは現地体験をもつ企業人に、その体験を整理し、体系化する一助」となることは、間違いない。

 ところで、「3K職場を嫌う」ようになってきていることはわかるが、依然として産業廃棄物の取り扱いやリサイクルのための危険な作業が東南アジアや南アジアでおこなわれていることは事実だ。経済環境の悪化によって、このような危険な労働が、さらに過酷な状況にならないことを祈る。日本でも、わたしが通勤途中で見るアルミ缶の購入価格は、この数ヶ月で1キロあたり155円から85円に下がり、いまは55円になっている。空き缶収集日に早朝から集める人がいてうるさいと思ったこともあったが、これらの人びとはこれまでの2倍も3倍も集めなければ、これまでの収入が得られなくなっている。金融危機のしわ寄せは、このような人びとや経済的に弱い立場の国ぐにに集中する。セイフティネットの機能を充分に働かせなければ、国内的にも国際的にも社会はどんどん悪い方向に向かってしまう。

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2009年01月06日

『バンコクの高床式住居-住宅に刻まれた歴史と環境』岩城考信(風響社)

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 文献以外の歴史資料を使って歴史を分析することの必要性が唱えられながら、それを実践することはそれほどやさしいことではない。文献以外の史料だけで分析することは難しく、文献史料の読解力もあわせて必要だからだ。しかし、本書は文献史料に加えて、住環境をも考慮に入れることによって、歴史を語ることに成功している。

 バンコクの街を大通りからちょっとはずれて歩いてみると、不思議な空間に出くわすことがある。それがなになのか、本書を読んでわかったような気がした。伝統的な高床式住宅が、近代的な街の景観とあわなくなってきているのだ。かつては、道路より水路(運河)のほうが便利な地区があったはずだ。現在でも水上交通(チャオプラヤー・エクスプレス・ボート、渡し船、乗合ボート、水上タクシーなど)は残っているが、主役は陸上交通(バス、BTSスカイトレイン、地下鉄など)に奪われている。水路と高床式住宅がつくる空間に違和感はないが、道路と高床式住宅は田舎ならまだしも都会には不釣り合いだ。

 本書は、なぜこういう景観がバンコクに生まれたのか、それを歴史的にたどろうというのだ。著者、岩城考信が、路地裏の住宅に注目するようになった理由を、「あとがき」の冒頭でつぎのように説明している。「古い絵図や地図を持って、バンコクの旧城壁内(プラナコン)を歩いている時にふと思った。なぜ、古い絵図や古地図に描かれた伝統的な高床式住宅、タイ住宅はほとんど現存していないのか。なぜ、同時代に建設された高床式住宅であっても床高の高さには、多様性があるのだろうか。しかし、この素朴な疑問に答えてくれる先行研究はなかった。自分で住宅を調査するしか研究を進める術はないと思った」。

 そして、調査するポイントをうまくつかんだ。それは、つぎの目次からよくわかる。
  はじめに
  フィールドワークから見直す高床式住宅
  一 床高から見るバンコクの住宅類型
   1 バンコクの都市と住宅
   2 高床式住宅
   3 揚床式住宅
   4 地床式住宅
  二 伝統的な高床式住宅・タイ住宅の再考
   1 タイ住宅を巡る言説と疑問
   2 動産としての住宅
   3 移築と増築による住空間の変容
   4 空間変容のサイクルと家族構造
  三 バンコクの近代化と高床式住宅
   1 タイ住宅の減少とその理由
   2 選ばれる揚床式住宅
   3 選ばれる高床式住宅
   4 戸建て賃貸住宅の開発と高床式住宅
  おわりに

 その研究成果は、「おわりに」で要領よく、わかりやすくまとめられている。最後のパラグラフは、つぎのように記されている。「以上、バンコクの高床式住宅の住まい方や空間変容、機能性、多様性について考察してきた。そこには、あたり前のことだが「住」という人間の生活の基本要素には、家族や環境の変化に応じた合理的な変容が常にはかられてきたという事実があった。こうした事実をより深く見つめるためにも筆者は、継続的に研究を進め、さらに多くの事例を通して、より詳細に検証していきたいと思う。例えば、第二節で扱ったタイ住宅では、今後、空間の増加が起こるのであろうか、それとも減少が起こるのであろうか。現在、住宅の裏には道路が建設されつつあり、今後周辺環境は激変していくと思われる。その時、このタイ住宅も都市住宅としての限界に直面するであろう。新しい住宅形式へと建て替えられるかもしれないし、筆者の予想を超えた何かを見せてくれるかもしれない。住空間を生きたものとして捉える、この視点を今後も深めていきたいと思っている」。

 著者は、建築学の研究対象としてだけで、タイ住宅を観ているわけではない。タイの人びとが、家族や環境の変化に応じて、住空間を変えてきた知恵を学ぼうとしている。そして、これからの社会変動にたいして、われわれはどのような住空間を築いていけばいいのかを考えようとしている。「住空間を生きたものとして捉える」視点で、わたしも住宅を観ていこうと思った。

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