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2008年12月30日

『タイの開発・環境・災害-繋がりから読み解く防災社会』中須正(風響社)

タイの開発・環境・災害-繋がりから読み解く防災社会 →bookwebで購入

 「災害を天から降ってくる天災とせず、人災の部分に絞り込むことによって、抑止・コントロールし得る可能性を探る」という著者、中須正の立場に、まず賛同し拍手を送りたい。たしかに人間は無力で、神に祈るしかないときがある。しかし、あきらめからはなにも生まれない。できることを探し、英知を結集して、神の領域を減らすことによって、神との健全な関係が生まれる。

 著者が本書で明らかにしたことは、きわめて明確に「おわりに」で、つぎのようにまとめられている。「本書は、①タイの開発・環境・災害はそれぞれどのように繋がっているか、②タイの開発・環境・災害と社会は、どのように繋がっているのか、そして、③それらが、どう日本と繋がっているのか、を明らかにしてきた。具体的には、タイの開発・環境・災害の歴史を俯瞰し、そこからタイ社会との関係を見てきた。特にタイにおいて開発が本格的に始まった一九六〇年代から代表的な事例をいくつか取り上げながら、災害とは作り出されるもの、その社会を反映するものということを示した。さらに日本と比較し、その繋がりを考察した」。

 そして、著者は、「開発・環境・災害すべては繋がっている。そして人と人、国と国も必ず繋がっている。その意識から問題解決が始まる」、「言いたかったのはこの点につきるのである」と結んでいる。その前には、つぎのような文章がある。「開発が環境を改変し、災害へと繋がるプロセスは、まさしく天に唾を吐く行為と同じようにもみえる。これは世界共通で考えなければならない問題であろう。災害に弱いアジア、そして災害に弱いタイ。日本の公害輸出が以前騒がれたが、公害経験、災害経験の輸出こそが日本がまず取り組む優先課題ではないか」。

 本書のキーワードは、なんといっても「繋がる」だ。繋がることによってこれまでみえなかった問題が明らかになり、繋がることによって解決の糸口がみえてくる。そして、人と人、社会と社会、国と国が繋がることによって、具体的に解決へと向かっていく。だが、「繋がる」ことは、そう簡単なことではない。広い視野と展望が必要だし、心と時間の余裕がなければ「繋がる」きっかけは生まれない。著者がこのように考えることができるようになったのも、学部時代に理系で、4年間の会社員生活を経て、国際環境教育協力を学び、さらに環境社会学を専攻するようになった履歴と、ストレスから自分らしさを取り戻すことができたタイでのゆっくりとした生活と著者を支えた人びととの繋がりがあったからだろう。著者だけにしかできない発想と繋がりを、どう発展させるか、今後の課題となる。

 「開発→環境破壊→災害(公害)というサイクルに潜む人災」の「負の連鎖」を断ち切るためには、本書のような研究がますます発展し、人や社会や国を動かす原動力になっていかなければならない。「負の連鎖」をつくった力はあまりに巨大で、ひとりやふたりの研究だけではどうしようもないだろう。研究の「繋がり」が、この「負の連鎖」を断ち切る大きな武器になる。

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2008年12月23日

『国民語が「つくられる」とき-ラオスの言語ナショナリズムとタイ語』矢野順子(風響社)

国民語が「つくられる」とき-ラオスの言語ナショナリズムとタイ語 →bookwebで購入

 「国民語が「つくられる」とき」? いつの時代の話なの? 「ラオス」? どこにあるの? そう思ってくれるだけでも、著者、矢野順子は、救われる思いがするかもしれない。著者は、「あとがき」で、つぎのように述べている。「筆者の研究は、国際協力のような分野と比べると、今すぐラオスの役に立つようなものではないかもしれない。しかしこうして、日本の人びとにラオスを紹介することもまた、お世話になった人びとへの恩返しになると信じ、今後も研究を続けていきたい。将来的には、ラオスに残っている内戦時代の資料の修復や保護にも携わっていけたらと考えている」。この著者の念いがわかる日本人が多くなったとき、日本も成熟した国際文化社会の一員になっていることだろう。

 ラオスは、中国、ミャンマー、カンボジアとも国境を接するが、概ねタイとベトナムとに挟まれた北西から南東に細長い国で、タイとの国境はメコン川になっているところが多い。タイとは、民族的にも言語的にも、ひじょうに密接な関係にある。

 本書の内容は、帯につぎのように要約されている。「言語に託された独立自尊への道すじ」「近似する言語をもつ隣国タイ。その強大な政治・文化の磁場にさらされ続けるラオスにとって、言語の独自性は独立の証しである。国民語を創り、守り育てる現場からのレポート」。

 近代国民国家が成立する過程で、多くの国で国語の成立が大きな課題となった。国語は、まず教育用語になり、ついで近代のマスメディアとなった新聞・雑誌、ラジオ・テレビの共通語となって、国民の意思疎通に欠かせないものになった。しかし、現実には多くの人びとは、標準語と方言の「バイリンガル」になり、無意識に使い分けている。言語を通して、国民意識と郷土・民族意識の両方をもっている。ところが、人口580万(2006年)のラオスの場合、その国土は、フランスの植民地国家として成立する前に、かつてこの付近に存在したどの王国の領域とも一致しない。民族としての独自性も、それほどない。したがって、歴史的に独自性を主張できるだけの共通の文化は存在しない。カンボジアのアンコールワットのような国家や民族を象徴する文化遺産もない。言語による独自性しか、「独立の証し」がないのである。

 著者は、本書で、「ラーオ語がラオスの国民語としていかにして「つくられて」きたのか、タイ語との関係に注目しつつ明らかにしていきたい」。「一つの「言語」を「つくる」ということが、いかに政治や社会・経済状況、ナショナリズムといった、本来「言語」にとって「外的」であるはずの要因によって、左右されるものであるか、ということを示す試みでもある」という。

 著者は、その結論として、つぎのようにまとめ、「ラオスの人びとがラーオ語を守ろうとする意志」を伝えている。「王国政府においてラーオ語を「つくる」プロセスは、タイ語とそしてタイとの境界を確立しようと奮闘してきたという歴史でもあった。本書ではとくに正書法、イデオロギー、語彙の三点からみてきたわけだが、そのいずれにおいても、共通していたのは、ラーオ語を独自の言語としてつくりあげることで、タイとラオスの国境線を補強し、「旧支配者」であるタイからの独立を確固たるものとしておこうとする、人びとの強い意志であった」。

 研究者が近代の終わりを感じ始めた1980年代まで、さかんに論議された国民国家論を知っている者は、本書で議論されたことは、もはや既知のことの繰り返しであると思うかもしれない。親切に、世界各地で起こった同様の事例を、著者に教えようとするかもしれない。しかし、本書で語られていることは過ぎ去った話ではなく、現実にラオスの人びとが日々の生活のなかで闘っている話なのだ。しかも、1975年まで30年にも及ぶ内戦の結果、自らのアイデンティティを証明する多くのものを失った人びとが、その「証し」を言語に求めているのである。もし、ラオスが文化的でさえタイに「併合」されるようなことになれば、人びとは内戦の意味を失ってしまう。内戦を体験した人びとは、タイの人びとと共有できない重い歴史を背負っている。著者が、「将来的には、ラオスに残っている内戦時代の資料の修復や保護にも携わっていけたらと考えている」ということの意味がわかれば、わたしたちがこの研究から学ぶことは実に多い。「ラオスから学びたい」という人がひとりでも多く現れることを、著者が願っていることは、「日本の人びとにラオスを紹介することもまた、お世話になった人びとへの恩返しになる」という言葉からもうかがえる。

 本書のような研究は、長い年月と根気のいる分野だ。小器用にまとめて、大量に業績が出せる分野ではない。こういう分野の研究者の業績一覧を見ると、研究者が多く研究が進んでいる分野の同世代の研究者と比べて、あきらかに見劣りがする。研究費を得る機会も少なく、研究者としてのポジションを得ることも容易いことではない。こういう研究に従事する若手が落ち着いて研究する環境はつくれないのだろうか。国民語を「つくる」より簡単だといいのだが・・・。

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2008年12月09日

『新聞と戦争』朝日新聞「新聞と戦争」取材班(朝日新聞出版)

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 日本ジャーナリスト会議大賞、石橋湛山賞、早稲田ジャーナリズム大賞、受賞おめでとうございます、といえばいいのだろうが、手放しで祝辞を贈れないものがある。いまごろになって、本書のような本が受賞すること自体、戦後日本のジャーナリズムの問題であり、朝日新聞の問題だろう。

 本書は、2007年4月から翌年3月まで「朝日新聞」夕刊に週5回掲載された「新聞と戦争」をまとめたものである。ひと言で言うと、朝日新聞の戦時報道を、いまごろになってようやく検証した成果である。その評価は、最後の章「特集編」の「メディアの果たす役割は 3人に聞く」に代表されるだろう。

 井上ひさしは、「新聞と戦争について戦後いろいろな記事が書かれたが、今回の連載「新聞と戦争」は出色のできばえだ。過去の自らの活動を、驚くほど厳しく自己点検している。過去と同じわだちにはまりこまないために必要な作業だと思う」「引き続き勇気をふるって、自己点検を続けてほしい」と甘い評価だ。

 中国人で記者出身の李相哲・龍谷大学教授は、「戦後、朝日は戦争協力を反省し、「国民と共に立たん」という社告を出した。しかし、戦時下の朝日の問題は、国民と共に立っていなかったことにあるのではない」「むしろ国民の感情を先取りして、それをあおったところに問題があった。支配者だけでなく、大衆も戦争に熱狂した。それらの大衆に迎合した新聞としての反省がない」「また、社告は「国民と共に」というだけでなく、戦争で被害を与えたアジア民衆へと視野を広げてもよかったのではないか」と、戦中・戦後の問題点を的確に捉えている。また、なぜ、これまで「自己点検」できなかったかもわかる。

 3人目のハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授は、「大量破壊兵器が存在するとか、フセインとアルカイダが結びついているという証拠は一つもないのに、米国のメディアは、それが事実であるかのように報じた。満州事変で関東軍の謀略に乗せられて中国側を非難した日本の新聞と、基本的に同じだ。国民をだまして、戦争の正当性をつくり、戦争に導いた」「報道の自由が守られている現在の米国でさえ、メディアは十分な役割を果たせなかった。自国の戦争を批判的に報じることは、今も決して簡単な課題ではない」と、現代の問題に照らして過去を考えようとしている。

 「取材はまさに「時間との戦争」だった」という。「戦後、60年以上の歳月が流れたという事実の重み」が、本書を「出色」のものにしたと同時に、すでに遅きに失し、とんでもない「誤報」になっている危険性もある。本書で語られる「事実」のなかには、生き残り、戦後60年がたって語ることができた者しか知らないことがある。だれも検証することができない「事実」もある。取材班には、そのことがわかっているから「最終稿が仕上がるまで、原稿はデスクと書き手の間を何度も往復した。1本の原稿が仕上がるまで、平均して約3カ月間の時間が必要だった」のである。

 取材班が「よくやった」のは事実だろう。しかし、わたしが手放しで「ほめてあげられない」のは、朝日新聞が海軍占領地域で発行した「ボルネオ新聞」や社内用の朝日新聞社史編修室『本社の南方諸新聞経営-新聞非常措置と協力紙』を読んでいるからだろう。現地の印刷設備を接収し、軍部に取り入った記者もいる。本書のきっかけが、「朝日の論調が変わったら気をつけろ」という「口承として祖父から孫に受け継がれたこの警告」にあるなら、「検証」するためには、まずどう見られていたかを考える必要があるだろう。

 本書の最大の功績は、さまざまな「検証」が本書をきっかけに可能になったということだろう。何年かたって、「なぜこんな本が数々の賞を受賞したのか」と言われれば、本書の受賞の意味は大いにある。

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