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2008年11月04日

『未来と対話する歴史』早瀬晋三(法政大学出版局)

未来と対話する歴史 →bookwebで購入

 歴史学を勉強したことのある者なら、本書のタイトルがE. H. カーの有名なことば「歴史とは現在と過去の対話である」をもじったものであることは、すぐにわかるだろう。本書は、紀伊國屋書店書評ブログ「書評空間」に掲載してきた書評が中心であるが、単行本のタイトルを決めるにさいして、念頭にあったのは2006年秋に明らかになった高等学校「必修世界史未履修問題」だった。そこで議論されたことは、「世界史を必修科目にする必要があるのか?」だった。未履修であったのは、明らかに高等学校教育に携わる者が、世界史を必修科目にする意味を理解していなかったからである。

 わたしは、ここで必修世界史の意味を理解していない人びとを責めようとしているのではない。むしろ、日本の歴史学研究者が、必修世界史の意味を理解していないか、理解していてもそれを一般の人に理解してもらう努力をしていないか、のどちらかであることを責めようとしている。わたし自身も含めて。

 歴史学は、当然、趣味や教養のためだけにあるのではない。ロマンを誘うような記事が新聞の第1面に載ったりするので誤解している人が多いのだが、必修になっているのは、いまの社会、これからの社会に必要な基礎知識だからだ。歴史学は、過去の事実を暗記するだけのものでは、当然ない。というより、歴史事実はひとつであろうが、歴史的解釈は一定不変ではなく、どんどん変わっていく。もし、みなさんが20年前、40年前、60年前、・・・の日本の歴史教科書や、いま世界各国で使われている歴史教科書を比べてみれば、同じ世界史という科目かと疑うほど、その内容が違う。その時代、社会によって、ふさわしい内容が追求された結果である。

 では、日本でなぜ必修世界史が問題になったのか。その内容が、いまの時代、いまの社会にふさわしく、必要であると認識されていないからである。近代に世界をリードした欧米を中心に歴史を語ることは、近代において有効であったが、グローバル化の現代にはそぐわない。人びとの生活が、国民国家の枠内より出ることの少なかった近代において、自国中心のナショナル・ヒストリーは有効であったが、いまは違う。では、現代にふさわしい歴史とはどういうものか。近代からの離脱を計ろうとしている歴史学者は、その試みをはじめている。

 書評ブログで取りあげた歴史学に関係するものは、そのような試みをしている成果(途中経過)である。現代にふさわしい歴史叙述は、近代に支配的だった文献資料だけで語ることはできない。文献以外の建築、絵画、音楽、身体、価値観、思想、哲学などあらゆるものから歴史を理解しようとしている。これまた近代に支配的だった時代や地域、性差などで分断し断絶した歴史ではなく、連続性をもつものとして歴史を描こうとしている。また、中央集権的な考えからも脱し、周辺からみることによって、権力をともなう大文明史観からも解放されようとしている。

 別の言い方をすれば、現在は時代の転換点にあって、「時代」とはなにかを問おうとしている。時代や社会によって、人びとの価値観は当然違う。その違いは、多元文化社会のなかでの共生を将来に見据えた現代にも通じるものがある。相違点と共通点を一体化して考えることで、未来は開けてくる。

 歴史学はもともと総合性をともなう学問で、歴史学は哲学とともに基礎学問としてあらゆる学問の縁の下の力となりうる。そして、歴史学のためにほかの諸科学から積極的に学ぶことで、発展することができる。書評で取りあげた歴史学以外の書籍は、わたしが歴史学研究のために学ぼうしたものである。

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