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2008年11月25日

『論点解説 日経TEST-あなたの経済知力を磨く』日本経済新聞社編(日本経済新聞社)

論点解説 日経TEST-あなたの経済知力を磨く →bookwebで購入

 「日経TESTはじまる」、そんなCMが聞こえてきた。はじめ何気なしに聞いていたが、ひょっとしたら大きなきっかけになることかもしれないと思うようになった。新聞社としては、購読者の減少を食い止めるための1方策かもしれないが、大学教育を預かる者としては大学生の生活・意識が変わるかもしれないと思った。

 いまの大学生は、本も読まなければ、新聞も読まない。わたしがとったアンケートでも、時事問題の情報源は聞き流しのテレビがほとんどで、新聞をおもな情報源にあげたのは1割強、書籍は1割にも満たない。知らないことを恥ずかしいとは思わない。後期の授業がはじまって、「できるだけ楽して、単位をとりたい」などという会話が聞こえてくる。「日本の企業が、日本人学生を採用するとは限らない。同じ学力なら、賃金の安い外国人を雇う」と、学生に話しても深刻に受け止めていないようだ。そんな学生が、就職希望先から「日経TESTを受けてください」と言われたら、慌てるだろう。大学生の学力低下の歯止めとして、修了試験を課すことは何度か議論されたが実現には至っていない。それが、ひょっとすると、こういうかたちで実現するかもしれない。そんな期待をもって、日経TESTの行方をみていきたい。

 日経TESTの正式名称は、「日経経済知力テスト」といい、「TESTは経済知力テストを英訳した「Test of Economic Sense and Thinking」の略称」である。帯には、「経済の仕組みを理解し、ビジネスを創造する力をはかる! 知力+考える力=経済知力」とある。「本書は日経TESTを受験する人のための参考書として企画され、ベテラン記者が執筆したものですが、問題を予想したり解答技術を教えたりするものでは」なく、「「いま何が起きているのか」「何が問題となっているのか」「将来にどういう影響をもたらすのか」といったことを「論点」として抽出し、解説を施したもの」である。その内容は、つぎの目次からわかる。

Ⅰ 日本の企業経営を読む
Ⅱ 消費・流通の動きを捉える
Ⅲ 日本経済の論点
Ⅳ 金融の課題
Ⅴ 株式・商品市場を読み解く
Ⅵ 現代の科学技術をどうとらえるか
Ⅶ 節目を迎えたグローバル経済
Ⅷ 変わる働き方と教育改革

 第1回公開テストは、9月21日に実施された。1万320人が申し込んだ。来年以降、春と秋に定期的に実施の予定で、次回は2009年4月19日。「4択問題100問」で、「制限時間は80分」、「受験者全員に認定証を発行」、受験料税込み5,250円。

 この日経TESTが成功すれば、全国紙が「社会知力テスト」を実施するかもしれない。企業が就職活動をしようとする学生に受験を義務づけると、学生の朝の習慣が変わり、「知力+考える力」で経済が活性化するだけでなく、日本社会の活性化の起爆剤になるかもしれない。

 大学が独自に学生の学力向上が図れず、新聞社のテストに頼ることがなんとも情けない!

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2008年11月11日

『日本経済新聞の読み方』日本経済新聞出版社(日本経済新聞出版社)

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 「ビジネスに、投資に、就職・転職活動に…… すぐに役立つ活用法!」
表紙にこんな宣伝文句が載っている。かつて、家庭の通信費は新聞代と電話代、郵便代くらいだった。それが、いまや携帯電話代とインターネット代に食われ、郵便代は意識しなくなり、固定電話代は基本料に近くなった。購読料が下がることのない新聞代がなんとかならないか、と思っている家庭があるのではないだろうか。若い世帯では固定電話がなく、新聞もとらなくなってきている。この宣伝文句は、普通の家庭で日本経済新聞1紙だけをとることを想定していない。

 毎朝1時間は新聞を読んでいる人なら、全国紙の朝毎読産のうち1紙、地方紙と日本経済新聞の3紙を読みたいと思っているのではないだろうか。定年退職を機会に、奥さんから「1紙だけにしてください」と言われて悩んだ人もいる。定年退職後こそ、好きなだけ新聞を読みたいのに。そう奥さんに言えば、「図書館にでも行ってください」と言われるのだろう。公共図書館に行くと、新聞を楽しそうに読んでいる年配の人がいる。

 いまや情報源は新聞だけではない。テレビでも経済に特化した番組やチャンネルがあり、インターネットでも瞬時に情報が得られる。全国紙夕刊の前場午前の株式市況など、もうなくてもいいのではないかと思う。しかし、新聞はほかの情報源にない特色をもっている。なんども繰り返し、考えながら読むことができることだ。思考力を鍛えながら、情報を得ることができる。

 わたしは、十数年前、事典の「編者のことば」を書くにあたって、ストックの情報として事典、フローな情報として新聞を想定した。しかし、いまや新聞を相対的にストックな情報として考えなければならなくなった。事典もウィキペディアの出現によってフローな情報の仲間入りをし、フローな情報が氾濫するようになったからである。それだけ、わたしたちは情報について注意しなければならなくなった。本書は、その注意しなければならない点をも気づかせてくれる指南書である。いまのわたしたちに必要なのは、フローな情報をストックの情報に変える知識と思考力である。

 本書「まえがき」は、「現代は激動の時代です」ではじまり、「地球の反対側で行われた商品の開発や会社の買収だけではなく、冒頭に掲げたような、各国の政治の動きや紛争が、株式相場や為替相場、資源価格の変動に「翻訳」され、たちまち私たちの暮らしや仕事に響いてきます」と説明している。貯蓄より投資が奨励されるようになってきた日本では、内外の経済動向は、個々人の「暮らし」に直結するようになってきている。逆に投資より貯蓄が奨励されている国もあり、そのような国では政府が経済政策をしっかりしようとしている。つまり、いまの日本は、政府が無責任になって、暮らしも老後も個人の自己責任にしようとしているのではないかと思えてしまう。

 しかし、個人が世界の経済動向を把握して投資し、いまの暮らしと老後を自己防衛することは不可能なことだ。では個人に何ができるか。多少の生半可な経済的知識でマネーゲームに参加するのではなく、政府や金融機関にもの申すだけの知識をもつことだ。それは、断片的な知識ではなく、暮らしを中心に考えた総合的な知識だ。そのために必要なものが、日本経済新聞にある。

 「まえがき」には、つぎのようなことが終わりのほうに書かれている。「1つひとつのニュースはつながっています。ですから、ニュースを個別に読むだけでは、複雑な世の中を読み解くことはできません。たくさんのニュースがどんな関連をもち、その背景に何があるのかを理解することが大切です。本書の後半では、例えば「景気」や「物価」といったテーマについて、新聞がニュースを日々どのように報じ、関連のある記事がどこに掲載されているかがわかるように構成しました。いま注目すべきトピックを知ると同時に、新聞を読みこなす方法を理解できることと思います」。

 日本経済新聞は、宣伝文句にあるような「もうける」ためではなく、「暮らし」のために読みこなしていきたい。しかし、いまの紙面のままだと、定年退職後「1紙だけにしてください」と言われたとき、日本経済新聞は切り捨てざるをえない。

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2008年11月04日

『未来と対話する歴史』早瀬晋三(法政大学出版局)

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 歴史学を勉強したことのある者なら、本書のタイトルがE. H. カーの有名なことば「歴史とは現在と過去の対話である」をもじったものであることは、すぐにわかるだろう。本書は、紀伊國屋書店書評ブログ「書評空間」に掲載してきた書評が中心であるが、単行本のタイトルを決めるにさいして、念頭にあったのは2006年秋に明らかになった高等学校「必修世界史未履修問題」だった。そこで議論されたことは、「世界史を必修科目にする必要があるのか?」だった。未履修であったのは、明らかに高等学校教育に携わる者が、世界史を必修科目にする意味を理解していなかったからである。

 わたしは、ここで必修世界史の意味を理解していない人びとを責めようとしているのではない。むしろ、日本の歴史学研究者が、必修世界史の意味を理解していないか、理解していてもそれを一般の人に理解してもらう努力をしていないか、のどちらかであることを責めようとしている。わたし自身も含めて。

 歴史学は、当然、趣味や教養のためだけにあるのではない。ロマンを誘うような記事が新聞の第1面に載ったりするので誤解している人が多いのだが、必修になっているのは、いまの社会、これからの社会に必要な基礎知識だからだ。歴史学は、過去の事実を暗記するだけのものでは、当然ない。というより、歴史事実はひとつであろうが、歴史的解釈は一定不変ではなく、どんどん変わっていく。もし、みなさんが20年前、40年前、60年前、・・・の日本の歴史教科書や、いま世界各国で使われている歴史教科書を比べてみれば、同じ世界史という科目かと疑うほど、その内容が違う。その時代、社会によって、ふさわしい内容が追求された結果である。

 では、日本でなぜ必修世界史が問題になったのか。その内容が、いまの時代、いまの社会にふさわしく、必要であると認識されていないからである。近代に世界をリードした欧米を中心に歴史を語ることは、近代において有効であったが、グローバル化の現代にはそぐわない。人びとの生活が、国民国家の枠内より出ることの少なかった近代において、自国中心のナショナル・ヒストリーは有効であったが、いまは違う。では、現代にふさわしい歴史とはどういうものか。近代からの離脱を計ろうとしている歴史学者は、その試みをはじめている。

 書評ブログで取りあげた歴史学に関係するものは、そのような試みをしている成果(途中経過)である。現代にふさわしい歴史叙述は、近代に支配的だった文献資料だけで語ることはできない。文献以外の建築、絵画、音楽、身体、価値観、思想、哲学などあらゆるものから歴史を理解しようとしている。これまた近代に支配的だった時代や地域、性差などで分断し断絶した歴史ではなく、連続性をもつものとして歴史を描こうとしている。また、中央集権的な考えからも脱し、周辺からみることによって、権力をともなう大文明史観からも解放されようとしている。

 別の言い方をすれば、現在は時代の転換点にあって、「時代」とはなにかを問おうとしている。時代や社会によって、人びとの価値観は当然違う。その違いは、多元文化社会のなかでの共生を将来に見据えた現代にも通じるものがある。相違点と共通点を一体化して考えることで、未来は開けてくる。

 歴史学はもともと総合性をともなう学問で、歴史学は哲学とともに基礎学問としてあらゆる学問の縁の下の力となりうる。そして、歴史学のためにほかの諸科学から積極的に学ぶことで、発展することができる。書評で取りあげた歴史学以外の書籍は、わたしが歴史学研究のために学ぼうしたものである。

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