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2008年10月28日

『歴史空間としての海域を歩く』早瀬晋三(法政大学出版局)

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 「「見て、聞いて、書いた」ものが、「論文」としてまかり通っている」と批判されるようになったのは、フィールドワークが一般化した1980年代だっただろうか。批判したのは、文献・理論を重視した近代科学の手法で研究してきた人たちだった。それから研究者の世代交代がすすみつつある今日、学会や研究会などに出席して懇親会に出てみると、よくどこどこでフィールドワークをしてきたという話を聞く。しかし、その成果を著書、論文、報告書などで見ることは少ない。「見て、聞く」だけで、明らかに書いていない。ひょっとすると、聞いてもいなくて、「見る」だけかもしれない。業績を見ると、国際学会・研究大会での発表はいくつかあるが、論文はほとんどない者がいる。「見て、聞いて、しゃべっている」が、書かない人もいるようだ。

 どうも、「見て、聞いて、書いた」批判を克服する研究・教育がすすんでいないようだ。フィールドに行っても、なにをしていいかわからず、途方に暮れている若手がいるのかもしれない。本書は、『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局、2004年)の続編(実践編)の 1冊、「フィールドワーク編」である(同時発行のもう1冊『未来と対話する歴史』は、「読書編」である)。フィールドノートを公表することは恥ずかしいが、フィールドで途方に暮れている若手がいるなら、その助けになればと考えて出版することにした。

 本書のもうひとつの目的は、文献中心の「歴史研究」とフィールド中心の「地域研究」の橋渡しができれば、と考えたからである。本書評ブログでも取りあげた『海域から見た歴史-インド洋と地中海を結ぶ交流史』(名古屋大学出版会、2006年)で、著者の家島彦一がつぎに述べているように、さまざまな視点があることを承知して、明確に自分の「海域」研究を相対化している研究者は、それほどいない。「海(海域)の歴史を見る見方には、陸(陸域)から海を見る、陸と海との相互の関係を見る、海から陸を見る、海そのものを一つの歴史的世界として捉えたうえで、その世界のあり方(域内関係)、他との関係(海域外や陸域世界との関係)を見る、などのさまざまな立場が考えられる。私の研究上の立場は、それらのうちの最後にあげたように、陸(陸域)から海(海域)中心へと歴史の視点を移すことによって、海そのものを一つの歴史的世界として捉えること、そして海域世界の一体性とその自立的な機能に着目すること、さらには海域世界から陸域世界を逆照射(相対化)することにあるといえる」。

 文献中心の「海域」しか知らずに研究している者と、フィールド中心の「海域」しか知らずに研究をしている者との接点はあまりないのが現状である。周期性があって記録に残すことによって安定した生活をめざす陸域の考えは、例外の連続でその場その場で臨機応変に対処しなければならない海域世界には通用しない。したがって、海域世界に暮らす人びとは、記録し文献に残すことを重視しない。海域世界の歴史研究は、文献資料が乏しいだけに、学際的研究が必要な分野である。地域研究から学ぶことも多い。また、基礎研究としての文献史学の成果は、地域研究にも大いに役立つはずだ。「海域」を多角的に捉えたうえで、それぞれに特化した研究をする必要がある。本書が、その総合性を必要とする「海域」研究に、少しでも貢献することができればと、願っている。

 本書の索引作成中、眼の調子が悪くなった。編集者に多大の迷惑をかけた。再校の校正が満足にできなかった。編集者の助力にもかかわらず、読みにくかったり誤植が残ったりしているかもしれない。最善の状態で出版できなかったことにたいして、読者にお詫びいたします。

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2008年10月14日

『占領・復興期の日米関係』佐々木隆爾(山川出版社)

占領・復興期の日米関係 →bookwebで購入

 インド洋上での海上自衛隊による給油活動にかんする法案が、国会で審議される。なぜ、日本はアメリカの「要請」で「国際貢献」しなければならないのだろうか。本書を読めば、その歴史的起源・背景がわかってくる。日本は、戦後、アメリカの理不尽とも思える「要請」に応えることによって、戦後復興を成し遂げ、アメリカにつぐ経済大国になることができた。しかし、いま、アメリカの「要請」に応えることで、かつてのような大きな見返りは期待できない。それどころか、日本の国益にとって、マイナスになるかもしれない。

 本書を読んで感じたことのひとつは、戦後の日米関係の下での日本の経済発展のために、いかに多くの犠牲があったかである。そして、それにたいして立ちあがり、果敢に抵抗した市民がいたことである。「占領・復興期の日米関係」とは、国家間の思惑に振りまわされることのない日本国民の闘いであったということもできる。それは、「二度と戦争はいやだ」という国家から自立した市民の強い意志の表れでもあった。

 たとえば、アメリカ極東軍司令部は、「朝鮮戦争に日本人を軍隊として派遣する計画も立て」たが、「最終的に打ちくだいたのは、日本の世論状況であった」。この事実ひとつとっても、戦争放棄をうたった憲法9条を日本人が自主的につくり、守ろうとしたことがわかる。それでも、朝鮮戦争において日本人は「戦死」者をだした。その事実は、あまり知られていない。「海上保安庁職員は、朝鮮戦争勃発から四カ月後の一九五〇年十月十二日から二カ月間、米軍の上陸作戦を助けるための掃海を命じられ、これに従事し」、「延べ四六隻の掃海艇と一二〇〇人の海上保安庁職員が動員され、機雷二七個を処分した。この間に日本の掃海艇一隻が触雷して爆発・沈没し、一人が死亡、一八人が重軽傷をおった」。しかし、この事実は、1992年に自衛隊が国際平和協力法に基づいて国際連合平和維持活動(PKO)の一環としてカンボジアに派遣されたときも、忘れ去られたように「戦後初の海外派兵」と報道された。わたしたちは、時事問題を歴史的連続性のなかで考える必要がある。

 その後も、日米安保条約に絡む日本の再軍備にたいする市民の抵抗がつづくいっぽうで、1954年にはマーシャル群島付近のビキニ環礁で大規模な水爆実験のために被爆したを第5福竜丸を保存する運動が展開された。「米軍は「死の灰」がソ連に渡るのを恐れ、「第五福竜丸を横須賀のアメリカ軍基地に曳航して処分したい」と申し入れ、安藤正純国務大臣も「沈没させるか、焼却ないし埋没」させるべきだと発言したが、広島・長崎の被爆者を診察・治療した経験をもつ東大教授陣が中心になり、福竜丸を「貴重な研究材料」として「日本政府が買い上げ、研究に役立てるべきだ」と主張して、保存されることになった」。そして、その後世界で唯一の被爆国、日本での「原水爆禁止運動は国民運動として定着した」。

 本書は、いま日本が直面する問題の歴史的起源と、今日までつづく連続性について、日米関係を軸に具体例をあげて説明している。わたしが本書のなかで、もっとも危惧した記述は、1950年に7万5000人からなる警察予備隊が創設され、その指揮にあたったアメリカ軍事援助顧問団幕僚長のフランク=コワルスキーが、「回想録『日本再軍備』のなかで、一年後にはこれが事実上の軍隊(地上軍)となったと証言し、さらに、これまで労働運動や社会運動に怯えていた日本政府と官僚が、みるみる自信を取り戻したとも述べている」という箇所である。

 現在でも、軍事力強化で「自信」をつけることができると考えている人がいるなら、それに立ち向かう「戦争はいやだ」という市民の活動は終わらない。

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