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2008年06月17日

『東アジア資本主義史論II-構造と特質』堀和生編著(ミネルヴァ書房)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 帯に「通説「アジア間交易論」の歪みを正し 東アジア近現代史の 新しい歴史像を提示する」とある。この20年余り、杉原薫が提起した「アジア間貿易論」を基軸に、近代アジア経済史研究は発展した。それにたいして、編著者の堀和生は、4つの看過できない問題点をつぎのように指摘する。

 「第1に、研究対象のアジア内貿易(杉原は「アジア間貿易」と呼ぶ)というものを、日本、中国、インド、東南アジア間の貿易だとアプリオリに設定している。つまり、何らかの研究成果にもとづいて、共通する要素をもつ地域を選定したわけではない。第2に、地域全体の動向がこの4地域の貿易額の合計値で評価されており、個別地域の個性や地域ごとの増減の過程が検討されていない。とりわけ、増加については強調しながら、減少については殆ど言及がない。第3に、アジア内工業化型貿易が生まれた意義を強調しながら、貿易品に対して総括的な産業分析がおこなわれていない。そのなかで、アジアの特徴として綿業基軸体制という造語をおこなっているが、アジア内における綿製品貿易の趨勢が全体として分析されているわけではない。第4に、当時のアジア国際関係を根本的に規定していた帝国主義という枠組みを捨象して、経済過程の分析に純化している。つまり、これまでのアジア近代史はあまりに帝国主義によって語られすぎたとして、帝国主義という枠組みを取り払ったからみえるアジアの経済関係に焦点をあてるのだとしている」。

 編著者による「総論 東アジア資本主義史論の射程-貿易構造の分析-」では、「これらの杉原説の問題点に対して筆者の見解を対置する形で、アジア間貿易論では捉えられない新しい歴史像を提起して」いる。その根拠となっているのは、詳細な貿易統計による分析である。そして、この「総論」の後に、編著者の仮説を補強する8章の個別研究が並んでいる。

 杉原の「アジア間貿易論」にたいしては、当初から個別研究の成果と矛盾することがあると指摘されてきた。また、国内だけでなく国際的にもシンポジウムなどで総合的に検討され、その評価もまちまちであった。しかし、新たなシェーマを提起し、議論の礎となったことにたいしての功績を、評価しない研究者はいないだろう。それが日本人研究者によって担われてきたことに誇りを感じ、近代アジア経済史研究をリードするのは日本人であると、自信をもって研究を進めている後続の日本人研究者も少なくないだろう。本書も、そのような背景から生まれてきたものだろう。

 「アジア間貿易論」にたいして、編著者が問題点を整理し、「新しい歴史像を提起」することができたのは、2003年に「東アジア経済史研究会」を立ち上げ、研究会を積み重ね、「自由闊達な議論をおこなってきた」からである。そこには、近代のシステム論にみられるようなマクロ経済にたいして、地域研究者によるミクロ経済の研究が発展してきた背景がある。個別の8章においても、その傾向を垣間みることができる。

 近代の理論経済学が通用しない東南アジアでは、東南アジア研究者による社会経済史が発展したことについて、斎藤照子『東南アジアの農村社会』(山川出版社)の書評でもとりあげた。東南アジアを中心とした共同研究の成果である『東洋文化』88(2008年3月)の特集「米・砂糖・コーヒーから見た現代アジア経済史」では、「生産、貿易、消費の展開過程と現状を、アジア全体について総論的に概観」した後、個々の国・地域を専門としている社会経済史家が統計資料を分析しているため、それぞれの地域社会の特徴が明らかにされている。いま、地域社会への影響という視点をもって、統計史料だけでは分析できないミクロ経済の実態が明らかにされようとしている。そのとき、編著者が指摘したことにたいして、新たな問題点が浮き上がってくるかもしれない。編著者もそのことに気づいているからだろう、「あとがき」でつぎのように書いている。「本書の各論は、各自が自分の専門領域で論を展開したために、総論が提起した諸問題全部を完全にフォローできていない。その責任については、総論を執筆した堀が、単著『東アジア資本主義史論』第Ⅰ巻(近刊)の刊行によって果たしたい」。本書の「総論」の「提起」以上の評価については、この単著の発行を待たねばならない。そこで、地域研究者の社会経済史とは違った「生産、貿易、消費の展開過程と現状」がみえてくるかどうか、期待したい。

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2008年06月03日

『日中戦争とイスラーム-満蒙・アジア地域における統治・懐柔政策』坂本勉編著(慶應義塾大学出版会)

日中戦争とイスラーム-満蒙・アジア地域における統治・懐柔政策 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「日本は、とんでもない世界に踏み込んでしまった!」というのが、最初の読後感だった。その「とんでもない」ことに日本が気づかなかったことが、イスラーム教徒にたいする政策の失敗であったということができるだろう。日本軍が「満洲国、蒙疆政権に次ぐ親日的なイスラーム国家をつくることを目標にして」、工作活動をおこなっていた「満洲、内モンゴルから寧夏、甘粛といった西北地方」は、ソ連や中国が手を焼いていた地域である。事実、「一九三六-一九三七年当時の中国におけるイスラーム教徒は、主として中国の西北四省に集中して居住しており、これらの省は、いずれも中央政府の命令が及ばない、半独立の体制のもとにあった」。「すなわち、新疆にあっては盛世才がソ連の協力関係をもとに自立の体制を取る一方、青海、寧夏、甘粛の各省および新疆の一部にあっては、五馬と呼ばれる将軍たちが実権を握っており、南京の中華民国政府の威令が及んでいなかった」。

 「とんでもない」と思ったのは、この地域が満蒙からトルコ・ペルシャ・アラブなどのイスラーム世界だけでなく、南はチベットやインド、西はヨーロッパ世界にまでつながるユーラシア大陸の交易ネットワークの要だからである。その重要性を認識していなかったからこそ、日本軍は謀略工作をしようとしたのだろう。現実をもう少し知っていれば、とても手が出せるような地域・人びとではないことに気づいただろう。

 本書の目的は、帯に書かれているつぎの要約から明確である。「満蒙から東南アジアへと日中戦争が拡大していく過程で戦略的重要性が高まるイスラーム教徒住民に対する日本の政策的取り組みを諜報・工作活動、統治・支配の面から解明する」。近年、戦前・戦中におこなわれた「夥しい調査・研究の成果、蓄積を日本におけるイスラーム研究史の上で源流と位置づけ、それを今に至るイスラーム研究の流れのなかに積極的に跡づけていこうとする試み」がさかんである、という。まさに「現在と過去の対話」として、かつての研究の見直しがされているのである。ならば、なぜ今日までこの分野の研究がおこなわれなかったのか、その原因についても知っておく必要があるだろう。戦前・戦中のイスラーム研究にたずさわった人の多くが、純粋に学問的動機に駆られて調査・研究をおこなったとはいえ、結果的に戦争に加担したことになり、これにたいする自責の念、後ろめたさが、戦後継続して研究をおこなうことを妨げた。そのことが、戦後の東洋史学や民族学などの分野の発展を阻害し、歪んだものにした。「学問的動機」だけで研究することの危険性を示す1例である。

 このように、満蒙政策の一環として高まったイスラームへの学問的関心、政治的関心は、現実として実を結ばなかった。その理由は、日本占領下のマラヤやジャワでおこなわれたイスラーム政策の結果を要約したつぎの文章からわかる。「日本はイスラームをいかに理解しているか、そしてその信仰実践のためにどれだけ理解を示しているかを、ことあるごとに強調し、彼らを優遇するポーズをとった。しかしながら、ムスリム住民の側からみると、日本はかならずしも納得がいくような態度を示してくれたわけではなかった。それどころか、彼らの信仰実践を脅かすような政策や、粗野な行為が数多くとられていたのである。それらは、一部の教養のない軍人たち個々人による行為もあるが、政策として堂々と実施されたものもある。日本の大義を優先するために意図的に強要した宮城遙拝などもあるが、同時に、日本の当局者たちがそのネガティブな意味に気がつかないでやっているようなこともあった。イスラームの「にわか」理解者である日本には到底理解できない盲点がたくさんあった。優遇政策は一人合点が多く不徹底だったのである。このようなボタンの掛け違いのようなずれがあるにしても、しかしその後の歴史の流れをみるとき、日本軍政期の政策はやはり何がしかの永続的な影響を残しているように思える」。

 また日本がおこなったパン・イスラーム主義運動が、いかに時代錯誤であったかは、当時の中央アジアの指導者のつぎの発言からわかる。「パン・イスラーム主義は、イギリス・フランス・ソ連などの猜疑心を煽るのみならず、国民国家を建設途上のトルコ、イランなど独立を獲得したイスラーム諸国が確立しようとしている国民統合を分断するものとして反感を買うばかりである。今のイスラーム世界の状況を見る時、同じイスラーム教徒といっても利害が一致するわけでないことは誰の目にも明らかである」。

 日本は、イスラーム社会だけでなく、時代をも理解していなかったのである。幸い、イスラーム世界の人びとにとっても、日本は未知の世界であったために、周知の世界であるヨーロッパを「敵」にしたとき、日本は共通の「敵」をもつ「同胞」として親近感をもたれ、今日にいたっている。近年「オイル・マネー」に期待する日本の経済界は、「にわか」理解者としてイスラーム教徒に接近している。しかし、イスラーム社会を理解するための基礎研究をおこなっている研究者・学生の数は、増えているようにみえない。イスラーム研究だけではない。中国などアジアの歴史を学ぶ学生が、壊滅状態の大学・研究室さえある。東京大学も、その例外ではない。「ややこしい」ところを避け、勉強がしやすく、研究業績がでやすい分野を、学生が選んでいるのかもしれない。基礎研究が発達せず、高度な専門知識をもった卒業生を社会に送り出せないようでは、「にわか」理解者としての日本人の受け止められ方は、やがて戦前・戦中のイスラーム世界のように期待から失望へと変わるだろう。アジアやアフリカとのかかわりを重視するなら、長期的な展望のもとで時代にあった社会を理解する人材を育てることが急務である。大局的に判断し、実行する「力」が、いまの日本に欠けているのかもしれない。本書は、かつての失敗の事例を教えてくれる。

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