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2008年05月20日

『インドのヒンドゥーとムスリム』中里成章(山川出版社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 インドの経済成長が著しく、日本の経済界も遅ればせながら、インドに注目しはじめた。そのインドで心配なのが、宗教対立である。大規模な暴動や虐殺事件が続発し、多数の死者や難民の発生がたびたび報道されてきた。そんなインドと経済的な交流を深めて大丈夫なのだろうか。ここで思い出さなければならないのは、戦後共産主義化や強い反日感情のために失った東・東南アジアにかわって、日本が市場を求めたインドで、当時宗教ナショナリズムがピークに達していたことだ。対立だけではない共生という融和的な考えがインドにあるから、戦後の日本は市場を求めることができた。そんなとき(1949年9月24日)に来日したのが、インド象インディラだった。ネール首相が、「象をください」という日本の子どもの手紙に応えたのだ。象は戦時中に処分され、戦後の上野動物園には1頭もいなかった。インドは、戦後の日本経済を救っただけでなく、日本の子どもたちの心も救ったことを、日本人は忘れてはならないだろう。

 著者、中里成章は「インドの二大宗教であるヒンドゥー教とイスラーム教を取り上げ、両者の共生と対立の歴史を、共生に重点をおいてたどってみることにしたい」という。誤解を恐れず極端な話をすると、歴史家はどうにでも話をもっていくことができるストーリー・テラーだ。大切なのは、なぜいま歴史を語らなければならないのか、だれのため、なんのために語る必要があるのかを明確にすることだ。著者は、「対立」ではなく「共生」に重点をおいて語るという。宗教ナショナリズムが、「非常にデリケートでホットな現代の政治問題」であるだけに、表面的に流れがちな議論を、冷静に歴史的にたどっていこうというのである。インド社会の複雑さを熟知している著者だけに、「本書ではポイントを絞り込み、そのかわり、できるだけ丁寧に説明する方法」をとっている。これで、すこしはインドのことがわかるようになると期待して読みはじめたが、・・・。

 著者は、インドの複雑さを理解してもらうために、「文化の「サラダボール」」という比喩を用いて説明をはじめる。「サラダボール」の食材は「溶け合ってしまうわけではない」が、「混ぜ合わせるとそれなりにまとまった料理になる」。そのまとまりがなくなった歴史的起源を、つぎのように述べている。「一八五七年の大反乱(シパーヒーの反乱、・・・)や、ガンディーが指導した第一次非協力運動のときに、ヒンドゥーとムスリムが協力したことからわかるように、インドの宗教対立はそれほど古い歴史をもつものではない。十九世紀の末に、宗教がナショナリズムの政治と密接に結びついて以降、しだいに深刻化したにすぎないのである」。

 著者の目的は、「多様な個性が共存し、個が全体のなかで生かされる理想を、もう一度追求してみよう」というところにある。したがって、まず、「インドでヒンドゥーとムスリムの共生を可能にし、また、必要にしてきた条件を、歴史的条件と地理的条件とに分けて考察し、最後に共生のもっともわかりやすい例として習合の事例にふれる」という。インドでは、イスラームは数世紀もの長い時間をかけて、多様な径路を通じてすすんだため、ヒンドゥーとイスラームが複雑に入り組んだ空間を形成することになった。そのため、「共生する以外に選択肢がないような、切っても切れない関係」が生まれ、「少数派が平穏に暮しをいとなんでいるかぎり、多数派は少数派を保護しなければならないという暗黙の了解が」成立した。入り組んだのは、人口分布だけではなかった。信仰や社会制度などでも、それぞれが影響し合い、入り組んで分離不可能な習合がおこった。「「住分け」は、十九世紀末以降の宗派暴動や分離独立を契機に強化されてきた」。

 その「住分け」の直接の契機となったのが、1857年の大反乱の敗北だった。「イギリスが無敵であることを思い知らされ」、「イギリス植民地支配を前提として、その枠内で再生の道を探」らざるをえず、宗教を指標とする排他的なナショナリズムが生まれた。そして、植民地政府が実施した国勢調査が、「多様で流動的な社会集団を、明確な「境界」をもつ社会集団に切り分け」、固定していった。初期の国勢調査では、「ムスリムのバラモン」さえ存在していた共生社会が、しだいに「分離」され、やがて「対立」の構図が出現した。このように「十九世紀後半の宗教・社会改革運動のなかから生まれた宗教ナショナリズムは、植民地で<近代的な>政治制度のなかに根をおろし、二十世紀における成長の足場をかためた」。

 本書は、著者が「丁寧に説明」してくれているお蔭で、読んでいくうちにインドのことがすこしわかった気になる。すると、著者は「複雑」といって、そんなにインドは簡単にわかるものではない、としっぺ返しをして読者を突き放す。それは、西欧の近代的な論理やその比較からではわからないインドの歴史や文化、価値観を理解したうえで考えることを読者に求めているからだろう。最後の「結び」にあたる「宗教とナショナリズム」でも、「二十世紀のインドで展開するナショナリズムの政治を、どこまで説明できるのであろうか」と自問し、思想潮流の本質的な部分が「宗教ナショナリズムと別物である」と結論する。また、「インド・ナショナリズムの複雑で多面的な性格」をわかりやすく説明するために、「地域主義の問題」と「エリートと大衆の問題」をとりあげる。そして、「最後に、本書の冒頭で紹介したインド=「サラダボール」論」に戻って、「地域に根ざした政治と大衆の自律的な政治の世界に注目することによって、「サラダボール」的な共生の世界を回復する手がかりを見出すことはできないであろうか。現代のインドでは、そうした可能性を感じさせる動きもみえはじめているように思われる」と、結んでいる。

 結局、インドは「複雑」でわからない、ことがわかった。しかし、「排他的なナショナリズムから共和主義的で市民的なナショナリズムへ、頭を切り替え」、「多様な個性が共存し、個が全体になかで生かされる理想」を求めて、努力している人たちが歴史的にも現在もいることもわかった。そして、グローバル化する現在、インドに進出する日本の企業も不安に感じるだけでなく、その理想を実現するためにインド人とともに努力しなければならない。インドの「複雑」さは、ますます複雑になるであろうこれからの世界の縮図かもしれない。ならば、インドを理解することは、未来を展望することにつながる。

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2008年05月06日

『竜とみつばち-中国海域のオランダ人400年史』レオナルド・ブリュッセイ著、深見純生・藤田加代子・小池誠訳(晃洋書房)

竜とみつばち-中国海域のオランダ人400年史 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「VOC[オランダ東インド会社]の文書にのみ基づいて歴史を述べると、視点が一方的になりがちだ。そこに残されているのは多くが、戦争の遂行、狡猾な中国人、きりもない交渉、守られるかどうかわからないVOC職員への指示といった記事である。他方、当時の中国側の史料もやはり一面的だ。福建省当局は、現存する報告書をみると、オランダ人に手を焼いていることを北京の宮廷に報告するのに消極的だった。オランダ側の史料は、一六二八年から一六三四年の間、はなはだしい海賊の害をこうむっていると主張しているが、福建の官憲の方では、これが<普通の>海賊の枠組みにおさまらない異常事態であることをよく知っていた。したがって、じつはオランダ人の暴力的な行動こそがこの海賊行為を助長したのではないかという疑問が生じる。注目すべきは、一六三四年に正常な交易が実現すると、海賊がすっかり姿を消してしまったことだ。この問題を検討するためには、中国の史料とオランダの史料を突き合わせてみる必要がある」。

本書でもっとも読みごたえのある台湾にかんする章で、著者のブリュッセイはこのように述べている。この一文だけで、本書が超一流の文献史学者によって書かれたすばらしい本であることがよくわかる。

 本書は、1989年に予定されていたオランダのベアトリックス女王夫妻の中国訪問にあわせて、わずか半年間で執筆するよう依頼された「オランダ・中国関係史の概説」である。オランダ語版とともに同時進行で翻訳された中国語版は、女王出発の1週間前にできあがったが、そのとき天安門事件が勃発し、女王の中国訪問は中止になった。両国の首脳が、本書を手に交流する姿を見る著者の楽しみは、1998年の女王の中国訪問まで延びることになった。本書の「オランダ語版と中国語版は、表紙の挿絵を含めてほぼ同一の装丁で製本された」。しかし、タイトルは同じではない。オランダ語版は『中国への表敬:オランダ・中国関係の四世紀』、中国語版は『中国・オランダ交流史:1601-1989』である。この違いの意味がわかると、本書はもっと楽しめる。

 本書は、依頼されたようなたんなる「オランダ・中国関係史の概説」ではない。著者は、「日本語版への序文」で、「普通の歴史を書く代わりに、中国のオランダとの関係が他の諸国との関係とどのように異なっているかという問題を取り上げるほうがはるかに興味深いと、私はすぐに決断した。また、なぜオランダ人がしばしば「ヨーロッパの中国人」と呼ばれ、そして、中国とその数千年の歴史を誇る文明に魅せられたか、明らかにしようと決めた」と述べている。

 1989年には、まだ近代の歴史学の名残が強く、二国間関係の制度史で書く者が多いなかで、二国間関係史を多国間関係のなかで相対的に書くことができるだけの力量のある研究者はそれほどいなかった。本書のすばらしさは、「一国主義・国民国家史観やヨーロッパ中心主義を問い直す」などと、お題目を唱えるのはそれほどむつかしいことではないが、それを単著にまとめて例示することがむつかしい中国海域の歴史を、短期間にみごとに書いたことだ。本書は、東・東南アジア史を海域世界を中心に書いた地域史としても、海洋国家オランダを中心とした世界史としても読むことができる。また、文化史としても優れていることは、つぎの台湾にかんする一節からわかる。「オランダの教育の成果は、これまで想像されていたよりも、じつはずっと浸透していた。一九世紀初頭まで、フォルモサの言葉が一七世紀のオランダのカールした筆記体で書かれ続けていたことを示す文書が、たくさん発見されている。土地の売買の際には、漢字とフォルモサ語の文章を併記した二言語の証書が作成されていた。こうしたことがらが、元来の住民が円滑に福建からの移民に同化するのに役立ったのは確実である」。

 実証主義的文献史学を重視する著者は、レイデン大学ヨーロッパ拡張史研究所において、長年にわたって若手研究者や大学院生らとともに、『ゼーランディア城日誌』など一次史料を翻刻し、訳注を付して刊行する作業にも精力を注いできた。そのいっぽうで、「書かれていることより書かれていないことの方がはるかに大事」であることを充分承知していて、文献ではわからない歴史叙述に挑戦している。  著者の人柄や業績については、「訳者による解説」に詳しい。その業績のなかで、『おてんばコルネリアの闘い 17世紀バタヴィアの日蘭混血女性の生涯』(栗原福也訳、平凡社、1988年)が注目される。本書評ブログで紹介した羽田正『東インド会社とアジアの海』(講談社、2007年)でも、重要な参照文献になっている。訳者は、「歴史家ブリュッセイの真骨頂は、大量の史料に依拠した文の集積の背後から、主人公の人となりや集合心性や特定の時代状況がふわりと、しかし鮮やかに立ち上がるところにある」と評している。

 著者のように「最もおもしろいミクロ・ヒストリーの本」を書ける歴史研究者は、そういない。なぜ、書けるのか? それは、著者がどん欲に学び、正確に書こうと努力し、読者に時代や社会、人の生きざまを真摯に伝えようとしているからだろう。学ぶことの多い本である。

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