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2008年04月08日

『日本・デンマーク 文化交流史 1600-1873』長島要一(東海大学出版会)

日本・デンマーク 文化交流史 1600-1873 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 日本とヨーロッパの文化交流史は、すでに多く語られてきた。しかし、日本人一般がイメージするヨーロッパとは、「大航海時代」に活躍した国ぐにや近代に列強となった西ヨーロッパ諸国が中心で、ある一面しか観ていないのではないか。そんなことを、本書を読みながら思った。

 わたしにとって、デンマークは気になる存在だった。17世紀の文書を読むと、デーン人がところどころに出てくるからである。17世紀のアジアを理解するにも、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスとは違った視点で観るために、デーン人はどのようにアジアを観、交流をもっていたのかを知りたかった。本書に出会って、その一端がわかった。

 本書の内容は、章のタイトルをたどっていくだけで、日本・デンマーク関係史がわかってくる。
  第一章 遠くにあって思う国
  第二章 近くまでは来たものの
  第三章 見ただけ行っただけ
  第四章 拒絶から許容へ
  第五章 絆を結ぶ
  第六章 共同事業の始まり
  第七章 神話の誕生

 本書は、2国間関係史を基本とし、著者、長島要一は「デンマーク人の日本と日本人を見る視点と、日本からデンマークを見る目を一六〇〇年から一八七三年までに区切って対比させ、両者がお互いの鏡に映した像を記述してきた」。すでに、デンマーク語版を2003年に出版していることから、日本人に自己満足させるだけの交流史ではないことがわかる。

 日本と日本人は、1867年に徳川幕府が結んだ最後の条約として修好条約を締結し、11番目の条約国となるまで、デンマークを意識することはなかったという。それまで日本を訪れたヨーロッパ船には、その国の船員だけが乗っていたわけではなかった。世界周航をとげたスペイン艦隊の隊長が、ポルトガル人のマゼランで、航海記録を残したピガフェタがイタリア人であったように。日本人が出会ったデンマーク人は、ロシア船、オランダ船、フランス船に乗ってきたため、日本人はデンマーク人と気づかなかった。

 本書を読むと、さらにデンマークの存在が希薄だった理由がわかってくる。1622年から39年までにインドのコロマンデル海岸の根拠地トランケバーに送られたデンマーク船は、合計13隻にのぼったが、そのうちコペンハーゲンに戻ってきたのは、わずか4隻でしかなかった。同じころ毎年10隻以上を東インドに送って巨額の富を手に入れていたオランダ東インド会社と比べて、とるに足らない存在だったからである。

 しかし、デンマークの存在が浮き上がってくるのは、中立国として戦時に貿易をおこなうことができたときだった。ヨーロッパで大戦が勃発するたびに、デンマーク東インド会社は好景気になり、和平が訪れると沈滞した。このことをアジアの視点からみると、デンマークの存在によって、ヨーロッパでの大戦の有無にかかわらず、ヨーロッパ・アジア間の貿易が途切れることなく続いていたことがいえる。デンマークの存在は、この継続性という意味において、大きな役割を果たしていた。

 われわれは、デンマークの存在を世界史に加えることによって、従来よりヨーロッパ・アジア交流史をよく理解できるようになった。マイナーだと思われがちな歴史を加えることによって、歴史の大きな流れがより相対的に見えてくる例を、本書は示している。

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