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2008年01月29日

『モンスーン文書と日本-十七世紀ポルトガル公文書集』高瀬弘一郎訳註(八木書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 原史料を読むことは、フィールドワーク(臨地研究)に似ている。未知の世界に読者を誘い、好奇心をかき立ててくれる。しかも、後戻りがきき、失敗しても、何度も何度もやり直しができる。一度読んだものも、時間をおいて読むと、まったく違った世界に誘ってくれる。原史料を読む楽しさを知った者は、自分しか味わえない世界の虜になる。ところが、フィールドワークは、そうはいかない。フィールドワーカーは、下手をすると、調査しようとする社会の破壊者になり、取り返しのつかないことをする危険性がある。原史料は、フィールドワークに疲れた研究者の逃げ場にもなる。

 本書の内容は、箱の帯につぎのように的確に述べられている。「日本を中心とした東アジアをとりまく国際環境についてポルトガル国王が生の声で語る一級資料!」「ポルトガル国王のキリシタン布教重視と日本国王(=徳川将軍)による禁教、ポルトガル側の重要な財源であった日本航海権の売買や売却益の実態、ポルトガル人による中国人奴隷売買、マカオ・中国・東南アジア各地の動向等について、ポルトガル国王やインド副王らが生々しい現実を語る。」

 訳者、高瀬弘一郎は、「カトリック教会史料を主な研究材料として、キリシタン史の研究」をおこない、「いずれは史料として価値高い文献の邦訳を行うことによって、晩年の研究者としての務めを多少とも果したい」と考え、このモンスーン文書を選んだ。「大航海時代」の海外欧文史料を使った日本史研究者として、「日葡関係やキリシタンを大航海時代の中に据えて鳥瞰する上で、このモンスーン文書は極めて重要な史料群」であったからである。

 しかし、本書はタイトルである「モンスーン文書と日本」をはるかに超えるものになっている。訳者は、「収載文書の選定にあたっては、狭い意味での日本関係にとどまらず、その周辺にも広げた。視圏を広げることにこそ、日本史の立場からモンスーン文書を取り上げる意義があると思うからである」と説明している。そして、「かなり難解な文書を邦訳し、それに註を付す作業は、内外の多数の研究文献を参照せずにはとても望め」ず、「いずれも典拠は克明に掲示するよう心掛けた」という。また、「収載文書に註を付すとなると、キリシタン史研究者にとって専門外の多くの事柄についても、言及することを余儀なくされ」、「誤りのないことを期したつもりではいるが、訳者の気付かぬ誤謬や不備が数多く有りはせぬかと懼れている」というが、このように書けるのも、訳者の自信の表れだろう。

 原史料を充分に読みこなせない者は、自分の研究テーマや関心のある部分だけを拾い読みして満足する傾向がある。かく言うわたしも、かつてはフィリピンで発行されたフィリピンに関係する部分だけからなる史料集を読んで、満足していた。ところが、東南アジア史や世界史を念頭において、視圏を拡げて原史料を読むことによって、フィリピンに関係する部分がよりよく理解できるようになった。本文書は、日本史研究者だけでなく、東アジア史、東南アジア史、ヨーロッパ史などを専門とする研究者にとっても重要な史料で、日本語で読むことのできることは、ほんとうにありがたい。しかも、訳註がひじょうに優れている。索引を活用すれば、事典としても利用できる。このことは、訳者が日本史を専門とする域を超えて、歴史学あるいはそれより大きな枠組みを専門とする研究者になったことを意味している。

 本文書に登場する日本人は、17世紀のポルトガル人にとって、「大航海時代」を彩った1集団にすぎなかった。訳註からも、日本人を特別視しない世界が見えてくる。原史料を読むにあたって大切なことは、読者の偏見や関心で読んではいけないということだ。あくまでも、書いた人の目線で読むことだ。そうすることによって、当時の常識と価値観が見え、読者はフィールドワークと同じ体験をすることができる。

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