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2008年01月01日

『東インド会社とアジアの海』羽田正(講談社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 長崎の出島にあったオランダの商館、英語で「商館」はfactoryである。工場ではない。商館長はgovernorである。イギリス東インド会社の文書を読んでいると、court、agency、merchantなどが出てくる。イギリス東インド会社にかんする専門書を読むと、コートは「役員会」と訳されているが、エイジェンシーやマーチャントなどはカタカナのままになっている。専門外の者からすると、「ふざけるな!」と言いたくなるが、少し研究するとその理由がわかってくる。16世紀に使われたfactoryが近代に工場の意味になったように、近世(初期近代)と近代とではことばの意味が違い、訳すことが困難だからだ。とくに、この分野の研究は近代に偏っており、近世のことはよくわかっていない。

 東インド会社については、オランダとイギリスが有名であるが、従来の研究は国別、個々のテーマにかんするもので、ヨーロッパ各国の「東インド会社の興亡を通して、一七~一八世紀の世界全体の変化を描いて」いるものはなかった。その理由は、研究の不充分さ、偏狭さだけでなく、「日本で一〇〇年来歴史を考える際の基本的な枠組みである日本史、東洋史、西洋史という三つの学問分野」があったからで、「世界」を相手にしてこなかったためである。著者のいう「きわめて大胆な試み」は、日本の歴史学界にたいしてだけでなく、世界的にもいえる。この点だけでも、日本人歴史研究者が、新たな世界史像の構築に挑戦していることに拍手を送りたい。

 著者、羽田正の挑戦は、従来の西欧中心史観、日本中心史観、中国中心史観からの解放である。たとえば、「勇気ある冒険者」「インド航路の開拓者」としての肯定的なヴァスコ・ダ・ガマ像を、「異文化の共存するインド洋海域の秩序の破壊者」であると、別の見方をしている。東インド会社が活躍したのも、寒冷で物質的に貧しく物価高の北西ヨーロッパが、アメリカ大陸の銀を手に入れて、温暖で物質的に豊かで物価安のアジアの商品を扱うことができたからだとしている。

 そのほか随所に新たな見方を加え、それでいて歴史の流れはしっかりおさえ、さらに地域的、分野的バランスもよく考えていることは、つぎの9つの章のタイトルを概観しただけでもわかる。
  第一章 ポルトガルの「海の帝国」とアジアの海
  第二章 東インド会社の誕生
  第三章 東インド海域の秩序と日本
  第四章 ダイナミックな移動の時代
  第五章 アジアの港町と商館
  第六章 多彩な人々の生き方
  第七章 東インド会社が運んだモノ
  第八章 東インド会社の変質
  第九章 東インド会社の終焉とアジアの海の変容

 それにしても、著者は悪戦苦闘している。著者もそのことは重々承知しているから、「はじめに」でつぎのように吐露している。「率直に言うと、一人の人間がこのような巨大な主題に挑むのは無謀である」。「しかし、誰かがこの壁に挑まねばならない。現代世界の成り立ちを総体として理解するための歴史叙述がいま求められている。歴史研究者の端くれとしてその課題に立ち向かうべきだ」。そう著者に語らせるのも、時代についていけない「歴史学の危機」があるからだ。

 著者の悪戦苦闘の原因のひとつは、著者が結局は多少研究蓄積のある「西欧中心史観」「日本中心史観」「中国中心史観」の文献に頼ったことだ。すでに個別の研究テーマで専門書を書いたことのある者は、納得のいかない記述に何度も出くわすことだろう。しかし、その批判は、著者に向かって、別の「一体化する世界」を描くことによってしかできない。そのとき、本書がいかに「無謀」だが、だれかが「捨て石」にならざるを得なかったかが一層よくわかり、本書を批判するつもりが賞賛に変わることだろう。その前に、著者の志をもって丹念に東インド会社文書を読み、アジアの視点で歴史を書き直すが多く現れなければ、本書は「捨て石」にもならず、著者の「きわめて大胆な試み」も失敗に終わってしまう。これからの時代に必要な世界史像が現れず、「歴史学の危機」が続くことになる。

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