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2007年11月20日

『思考のフロンティア 公共性』齋藤純一(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 著者、齋藤純一は、「公共性」という言葉の意味合いをつぎの3つに大別している:1)「国家に関係する公的な(official)ものという意味」、2)「特定の誰かにではなく、すべての人びとに関係する共通のもの(common)という意味」、3)「誰に対しても開かれている(open)という意味」。そして、この3つは、「互いに抗争する関係にもある」という。

 わたしが、本書から学ぼうとしたのは、この「抗争」にある。近代では、1)の国民国家という閉鎖的な「公共性」が幅をきかせ、しばしば権力をともなって人びとを苦しめたことがあった。それが、グローバル化とともにNGOやNPOの活動が国境を越えて活発になり、3)の「公共性」を優先して、1)と対立するようになった。著者のいう1)2)3)の「公共性」の意味を充分に理解しなければ、この「抗争」「対立」がわれわれの生活に深刻な影響をもたらしかねない状況になっている。

 著者は、「公共性とは、閉鎖性と同質性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である」とし、「現在、提起されている「公共性」の理念は、異質な声に鎖され、他者を排除してはいないだろうか」と問いかけている。そして、「互いの生を保障しあい、行為や発話を触発しあう民主的な公共性の理念を探る」ために、「第Ⅰ部「公共性-その理念/現実」では、公共性をめぐる近年の言説を概観しながら、公共性の条件とは何かを明らかに」し、「第Ⅱ部「公共性の再定義」では、カント、ハーバーマス、アーレントの公共性論の核心と思われるものを浮かび上がらせ、さらに、社会国家や親密圏が公共性とどのような関係があるのかを生/生命の保障という視点も組み入れながら検討して」いる。

 本書では、タイトルの「公共性」とともに「公共的空間」(public space)という言葉が頻繁に使われている。いま「公共性」が問題となっているのは、その「空間」が見えないからだろう。国民国家のように鎖された空間は容易に「想像」できるが、開かれた空間は「想像」を超えたところにまで広がっている。あるいは、「想像」したほど広がっていないこともあれば、ある特定の場所や時間に突如出現することもある。NGOやNPOの活動の影響は、活動している当人でさえわからなくなっている場合さえある。著者もそのことを充分に認識しているからこそ、「あとがき」の謝辞の前で、「公共性という問いに相応しく、理論と現実が接合する場面にもっとしっかりと足をつけて考えていきたいと思う。理論の空間と行為の空間との間を往復するようなスタイルを身につけることはかなわないとしても……」と述べている。

 「政治理論・思想史」を専門とする著者は、現代の「公共性」をめぐる問題を考える基本的知識を与えてくれた。さらに「踏み込んで論じる」ためには、「孤独という問題、社会的連帯という(眼に見えない)資源の問題、感情の政治という問題など」、「行為の空間」からの具体的な事例が必要となる。著者のいう「公共性-複数性というパースペクティヴ」の理解が、「抗争」「対立」を回避する大きな要素となるだろう。

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