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2007年09月11日

『東アジアのグローバル化と地域統合 新・東アジア経済論〈3〉』平川均・石川幸一・小原篤次・小林尚朗編著(ミネルヴァ書房)

東アジアのグローバル化と地域統合 新・東アジア経済論〈3〉 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書は、2001年に初版が出版されたテキストを、全面的に書き改めた第3版である。執筆者総勢26人の内、半数近くが日本人ではない。また、「大学に職を持つ者に限らず、東アジアの経済に関係を持つ実務家などが多く執筆している」。この2点は、極めて重要なことである。東アジア経済は、すでに机上の経済論では把握しきれないところにきている。従来の政治的なかかわりだけでなく、文化的なかかわりなど、複合的に連鎖しあって動いているからである。東アジアのそれぞれの国・地域出身の研究者との共同研究は不可欠で、実態のわからない「学者」に、めまぐるしく変化する経済を、大学で講義することなどできなくなっている。本書の編者たちは、東アジア経済の現状と大学教育の現状を、よく理解しているからこそ、優れたテキストを作成することができたのだろう。こういう体制がとれている分野は、教育においても研究においても発展することは間違いない。

 本書は、「とりわけアジア通貨・経済危機とその後の変化に注目しながら、1960年代以降の東アジア経済がどのような経路を辿って現在に至り、どこに向かおうとしているか、また向かうべきかを確認すること」を目的とし、「東アジアの経済発展と企業活動」「グローバリゼーションと東アジア」「21世紀 東アジアの課題」の3部、15章からなっている。要領よくまとめた導入部の「序章」と今後を展望した「終章」は、本書の全体像を理解する手助けになっている。また、「コラム」は、補足になるだけでなく、読んでいて楽しいものもある。

 本書のような共同研究の成果を批判することは、難しいことではない。執筆者が多いために全体の統一が、基本的なことでさえとれていないものがある。執筆者にさまざまな人を加えたために、力量も関心も違い、玉石混淆になっている。しかし、それは、研究状況が違い、書きやすいものもあれば書きにくいこともあるためであり、国や地域、テーマによっては研究資料を集めることさえ、困難な場合がある。本書は、自習用のテキストではなく、教員とともに「考える」ためのテキストである。そのことは、「あとがき」で明確につぎのように説明されている。「本書では、「アジア」を単なる地理的概念と捉えるのではなく、理念的には新しく創造する共生の地域社会として捉え、そうした理念の下に、実践的にも日本人に限らずアジアの国籍を有する研究者や、実務家が共同研究に参加して、テキストを作成している。また、知識を教えるのみでなく、学生と共に考えるという姿勢を明確にしようと努力した。」本書から、これからの時代の共同研究のあり方や授業のあり方がみえてくる。

 気になったのは、「東アジア」という地域の統合について、経済面以外ではどうだろうか、ということである。政治的な面では、かなり議論が進んでいる。文化的な面では、ドラマ、映画、音楽、漫画など、新たに創造された大衆文化で「統合」が進んでいる。それらにたいして、基層文化や歴史についての相互理解は進んでいるのだろうか。順調に進んでいたEUの拡大が、トルコの加盟に際して大きな壁にぶちあたった。「ヨーロッパ性」が問われたからである。東アジアの自生的統合の原理はどこにあるのか。政治、経済、現代の大衆文化だけでなく、総合的な「地域性」というものが問われるだろう。しかし、そのための研究は、あまり進んでいないように思える。それがわかると、本書ももっと理解しやすくなる。

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