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2007年08月28日

『南の探検』蜂須賀正氏(平凡社ライブラリー)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 帯に「最後の殿様博物学者によるフィリピン探検記 60年ぶりに復刊!!貴重図版多数!!」とある。著者の蜂須賀の姓を見て、蜂須賀小六を思い浮かべた人が多いだろう。そう、著者は、阿波蜂須賀家第16代当主で侯爵、貴族院議員でもあった。

 本書は、著者が1929年2月11日にフィリピン諸島の最高峰アポ山(2954m)に初登頂するまでの記録を、一般向けに書いたものである。アフリカ、中南米など、世界各地を探検したにもかかわらず、一般向けに書いたものは本書しかない。ということで、本書には、ミンダナオ島のアポ山登頂に関係するものだけでなく、ほかの探検・調査や、欧米の生物学者との交流についても書かれている。

 わたしにとって、本書ははじめて読むものではない。しかし、改めて読み直して、学ぶ点がいくつかあった。まず、口絵Iの「フィリピン産太陽鳥及び花鳥の類(著者原図)」の5羽を見て、著者の観察力の鋭さに驚嘆した。そして、かねてより気になりながら、いまだに実現していないThe Birds of the Philippine Islands with Notes on Mammal Fauna, Parts I-IV (London: H. F. & G. Witherby Ltd, 1931-35)を見たくなった。学術的に貴重なだけでなく、噂に違わぬ美しいものだろう。フィールドワークをするには、なにかひとつ、技術的に「これは」というものを身につけておくべきだ、と改めて感じた。

 つぎに、本書の随所で語られている調査後の処置である。たとえば、このような記述がある。「一番広い私の部屋で、剥製に取りかかる。真夜中まで整理にかかったが、あまり身体が疲れたので、残りはホルマリン注射をして、長い一日をおえた。」どんなに疲れていても、その日の成果の整理をしっかりしている。その積み重ねが、後々ひじょうに大きな財産となることを、著者はよく知っている。調査前の準備と調査後の整理だけでなく、著者は、日ごろから基本的作業を続けていたことが、つぎの文章からもわかる。「数年前から日本で発表される鳥学に関する論文全部の抄録を私が書いてフィラデルフィアに送る約束になっており、それを向こうでは毎年出版される「抄録集」に載せることになっているのである。こんな仕事は学者の仕事というよりも秘書の仕事に等しくてつまらないが、どうしても年内にやってしまわないと良心が咎めるような気がする。」「つまらない」仕事を他人に任せず、自分自身で丁寧にすることが、鋭い観察力を培い、自分の研究を相対化できるようになったのだろう。

 そして、自分の力を過信することなく、見知らぬ土地ではその土地に通暁した人を見つけ、その人のアドバイスを素直に聞いて、無理をしないことを体得している。アポ山登頂では、わずか12、3歳のウバという名の少年がもつ、鳥獣にたいする並々ならぬ知識を見抜き、ことばもわからないのに連れて行くことを決めた。そして、「今までの学者の研究に間違いがあることを発見した。ミンダナオのような熱帯における採集にウバのような者を連れて行くことは絶対の必要条件である」と述べている。

 欧米の研究者との交流では、著者が侯爵の肩書きをもっていることが大いに役立っている。現在の皇族も、天皇はじめ研究者でもあり、皇室外交に役立っている。かつて、ヨーロッパの王侯・貴族が文化・芸術のパトロンであったことはよく知られているが、20世紀には自ら研究者となって調査をしている人たちがいたことがわかる。しかし、このような人びとの調査は、戦前では戦略的に使われたことも、忘れてはならないだろう。調査に随行した人びとや警護の軍人のなかに、諜報・工作活動に従事した人がいたとしても不思議ではない。日本でも、戦前、海外の民族学調査や探検に、巨額の資金が費やされたことは、そのことを如実に物語っている。

 ともあれ、本書は、現在、地域研究などでフィールドワークをおこなっている学生・大学院生、研究者に、調査の成果を報告書として残すためには、どのようなことをしなければならないか、多くのことを教えてくれる。

 蛇足だが、著者はBritish Museumを「英国博物館」と訳している。一体いつから「大英博物館」というようになったのだろうか。戦後だと、問題にしていいかもしれない。

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2007年08月14日

『「慰安婦」問題とは何だったのか-メディア・NGO・政府の功罪』大沼保昭(中公新書)

「慰安婦」問題とは何だったのか-メディア・NGO・政府の功罪 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 戦後処理の失敗は新たな戦争の火種になる。これは古今東西の歴史をひもとけば容易に分かることである。しかし、戦後処理に「成功」はないということを、本書は教えてくれる。
 1990年以降、社会問題化した「慰安婦」問題の解決のため、95年に設立されたアジア女性基金は、2007年3月に「償い」の役割を終えて解散した。この基金に深くかかわった著者が目指したのは、慰安婦問題について日韓双方の政府、NGO、新聞やテレビなどのメディア、アジア女性基金がやってきたこと、やらなかった、あるいはやれなかったことを整理し、作為・不作為の中で問題解決に役立ったこととマイナスに働いたことをありのまま提示することだった。
 「それによって、将来日本に再び『慰安婦』問題のような重大な政治・社会・外交問題が生じた場合、日本の一員として取るべき態度について考える手掛かりを読者に」と著者は言う。
 「慰安婦」問題は、戦争という異常事態の中で起こったことを、平常時にどう理解するかという、非常に難しい問題を含んでいる。異常事態の中でも、許されることと許されないことがあり、その程度は個々の状況によって違い、社会や人によっても受け止め方が違う。にもかかわらず、数少ない具体例を出して、全体を推し量ろうとする傾向がある。さらに、この問題の解決を困難にしたのは、敗戦前後だけではなく今日まで続く、資料を廃棄する隠蔽(いんぺい)体質だ。
 著者が主張するように、この問題を教訓に、影響力の大きいメディア・NGO・政府の功罪を含め、「わたしたち自身の課題を明らかに」していかなければならない。なぜ「慰安婦=公娼」論が出るのか。なぜどの国にもある軍隊と慰安婦の問題が日本で政治問題化したのか。歴史や文化、社会だけでなく、国家賠償から個人の人権・補償へという時代の変化も考えねばならない。
 そして何より、この問題の解決が、根本原因である戦争を起こさないこと以外にないことを、本書は明らかにしている。

 以上のような書評を、時事通信社から配信した。また充分に書くことができなかったことを補足したい。

 著者はいろいろなところで、この問題について書いてきた人だけに、ほかのところで書いているために、本書では書かなかったのかもしれないが、いくつかの点で説明不足を感じた。まず、「慰安婦」が出現した日本の社会的背景を説明する必要があるだろう。「慰安婦=公娼」論を持ち出す人たちは、日本社会に巣くう社会的弱者が身売りして「売春婦」になることを、身売りされた本人でさえ容認する風潮があったことを、念頭においているのだろう。この「風潮」は、果たして戦争中に適応されるのだろうか、あるいは、戦争という非常時には許されることと考えていいのだろうか。もし、「しかたがない」と考えている人がいるなら、著者のいう「課題」のひとつになるだろう。

 つぎに、軍隊と「慰安婦」の問題は、日本軍だけでなく、世界各国・組織の軍隊の問題でもあったにもかかわらず、日本の「慰安婦」問題だけが、このように政治化して大きな問題となったのはなぜなのか。補給する兵站部門が弱く、物資だけでなく労働力や「女性」も「徴発」した日本軍の組織自体に、問題があったのではないだろうか。「強制連行」を含めて戦時中の「拉致」の問題を日本側が明確にしないと、現在問題になっている北朝鮮にとっての「戦時中」に起きた「拉致」問題の解決を日本側が訴えても、説得力は乏しいだろう。

 そして、最後に、本書でも何度も出て、「総理のお詫びの手紙」のなかでも書かれている「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ことにかんしてである。「慰安婦」問題で大きく議論されたことに、「国家の責任」や「社会的圧力」があった。「慰安婦」問題が、女性にとって抑圧的な国家や社会のなかで起こったことは確かである。しかし、問題が顕在化した1990年代以降は、個人の人権が重要な意味をもつ時代になっていたはずである。とすると、問題の探究として過去に遡って国家や社会の問題を取りあげることは有効であるが、「償い」は個人の人権と補償を基本に考えるべきではないだろうか。過去に端を発する問題は、過去の基準と現代の基準の双方を適宜考えながらでないと、いつまでたっても意見の一致をみることはできない。

 この問題についても、世界史的な視野で、歴史・文化、社会的背景を理解し、その時代にあった解決方法を探る、「臨床の知」としての歴史学の必要性を感じる。


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