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2007年07月31日

『残留日本兵の真実-インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録』林英一(作品社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 著者、林英一は、今春大学を卒業したばかりの1984年生まれである。卒業論文や学部学生時代の体験が単行本として出版されることは多くはないが、まったくないわけではない。戦争にかんして無知であったことにショックを受け、フィリピン人から証言を集めた上田敏明『聞き書き フィリピン占領』(勁草書房、1990年)や、昨年注目を集めた中島岳志『中村屋のボース-インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社、2005年)などがある。これらの本でもっとも重要なことは、著者の年齢が主人公の体験した年齢に近いことだろう。かれらの体験は、大人の分別では理解できないところにあるからである。そして、著者と同じ世代の読者に語りかけることができる点も、重要なことだろう。

 「一九四五年八月の日本敗戦をインドネシアで迎え、その後一九四五年八月一七日から一九四九年十二月までの約四年半のインドネシア独立戦争に身を投じた」元日本兵は、「最新のものによると、九百三名の日本兵が何らかの形で「残留日本兵」となり、インドネシア独立戦争に参加した。そのうち、約五百名が戦没・行方不明、約百~二百名がインドネシア独立戦争後日本に帰国、約三百名が戦後も「日系インドネシア人」として生きる道を選択したとされる。」

 著者は、残留日本兵をこれまで語られたような「「南進」の「犠牲者」、あるいは独立戦争の「英雄」と、単純化して捉えていたのでは、若い日系人、ひいてはアジアの若者たちとの対話はますます難しくなる」との思いから、「残留日本兵を、その子孫である日系人および戦後のアジアの人々と日本の関係の原点として捉える必要がある」と主張する。また、「普通の民衆がますます個々人として国際関係の場に参加し登場する現代という時代の中で、「南進」、「脱走」、「残留」、「帰国」、「棄民」、「英雄」といった従来の言葉では必ずしも充分に説明のつかない彼らの数奇な境遇を、グローバリゼーションという視点によって空間軸に立体的に位置づけることで、「日本人」は一人の個人として、どこまでアジアという地域及びそこに暮らす人々と向き合っていくことができるのかを問う」ている。

 わたしのいう「ポスト戦後」世代の歴史認識がここにあり、アジアの人びととの対話と交流を考える若者がいる。だからこそ、「戦後」を終わらせるために、著者に声援を送り、協力した「大人たち」がいたのだろう。それにしても、よく勉強をしている。大学院に進学した著者が、この経験をどう学問的に結びつけていくのか、あるいは学問では充分に語ることができないことに気づき別の道を歩むのか、今後が楽しみだ。

 しかし、不安も感じた。「あとがき」の最後で、「私はこれからも、自らにあてがわれた使命を忘れることなく、そうした先人たちの遺した「熱い思い」を、世代を超えて引き継ぎ、それを少しなりとも時代に橋渡しできるような人間になれるように努力することを誓います」と結んでいる。著者は、とんでもない重い「使命」を背負い込んでしまったようだ。本書のタイトルにある「真実」がほんとうにあると著者が思っているなら、やがて大きな壁にぶつかるだろう。「残留日本兵」の気持ちなど、わかる者はだれもいないし、本人さえわからないかもしれない。わかろうとすることは大切だが、わからないことがあることを認識することも大切だ。肩の力を抜いて、「アジアという地域及びそこに暮らす人々と向き合って」ほしい。そうでないと、同じ世代の読者が「引いて」しまう。

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