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2007年07月17日

『憲法9条の思想水脈』山室信一(朝日新聞社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「本書を読み終えられて、「やっと人類はここまで来たのか」という感想をもたれた方と、「やはり軍備は必要なのだ」という確信を新たにされた方とに分かれることかと思います。」「その結論は、読者にお任せするとして、私個人は三十数年にわたって思想史を学んできていながら、初めて知ることのできた思想や運動の事実に、自分がいかに人類の一員として先人たちの恩恵を受けて今という時代に「生かされて在るのか」と気づかされることの多い執筆の日々でした。」

 著者、山室信一は、「おわりに-脆さへの慈しみを込めつつ」の冒頭で、このように述べている。「おわりに」に副題が付くことは、それほど多くないだけに、著書の思いが込められているように感じた。著者は、基礎研究を専らにしながら、事ここにいたらば、これまで蓄積したものを総動員し、新たに勉強して、世の人びとに判断となる知識と知恵を提供しなければならない、と日々の研究のなかで心がけていることが、本書からうかがえる。いま書かなければ、知識人としての存在意義が問われる、これまで先人が培ってきたものが無為になる、そんな著者の思いが伝わってくる。そのいま書かなければならないことが、「憲法9条」なのだ。

 そして、判断するためには、その場の雰囲気に惑わされることなく、今日まで続く「水脈」をしっかり理解することが必要だ。その「水脈」は、19世紀までさかのぼる必要があり、世界と日本の両方から考えていかなければならない。このことは、「はじめに」の副題「国境と世紀を越えるつながりを求めて」に表されている。日本思想史を専門とする著者による本書は、歴史学を専門とすることとは、普通の人より長い時間のなかで考え、とくに近現代史は世界史のなかで考えなければならないことを教えてくれる。

 本書の内容は、裏表紙の「紹介」で、要領よくまとめられている。「戦後日本を60年支えてきた日本国憲法、その改正手続きを定めた国民投票法案が2007年5月、国会で成立した。争点は9条である。」「人類の歴史のなかで、絶え間なく繰り返されてきた戦争。じつは、それゆえに平和を求める切実な声が途絶えることはなかった。日本でも幕末以降、軍備撤廃を論じ、戦争廃止を訴える思想が現れ、それらが第一次世界大戦後の「すべての戦争の違法化へ」という世界の動きと合流していった。」「憲法9条は、戦後、突然生まれたものではない。世紀を越え、国境を越え、脈々と流れてきた平和運動や非戦思想の到達点にあり、平和を個人の生存権として主張する画期的な条文なのだ。」「日本はいま「国益」「同盟強化」の名のもと、戦争を前提とした軍事力均衡政策が国民を守らなかった19世紀に戻ろうとしているのか?」

 著者は、声高に自分の主義主張を唱えているのではない。多くの異なった思想を紹介し、平和構築のために、人びとが判断とする材料を提供しているにすぎない。その背景には、充分な知識さえあれば、日本国民は判断するだけの良識がある、という希望的確信がある。著者は、これまでも大部で難解な専門書だけでなく、新書などで一般、とくに若者に向けて、研究成果をわかりやすく理解してもらおうと努めてきた。本書も、次世代を担う人びとを読者として想定しているのだろう。その努力がありありと見える。ひとりでも多くの人が、本書を読み、著者の「希望的確信」を裏切らないで欲しい。

 先日(2007年6月28日)、宮澤喜一元首相が亡くなった。日本国憲法の成立過程を肌で感じた人が、またひとりいなくなった。60年間も、この憲法9条が変わらなかったのは、成立当時の人びとの思いが凝縮されたものであり、それを守り続けてきた人びとがいたからであろう。肌で感じる人が少なくなった現在、われわれはその「水脈」をしっかり理解することによって、「護憲」「改憲」の二者択一の論理、あるいは「憲法による明文化」を越えて、「平和希求」のための確固とした考えをもたなければならない。

 個人的には、「近くて遠い存在」の著者が、またいっそう「近くて遠い存在」になった。見習わければならない存在としてより身近になったが、その背中はより遠くなってしまった。

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