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2007年06月19日

『ヨーロッパ文明批判序説-植民地・共和国・オリエンタリズム』工藤庸子(東京大学出版会)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 奥付を見て、初版が出版されて3ヶ月もたたないうちに、3刷になっていることに驚いた。本体価格7000円の専門書は、普通1000部も刷らないし、増刷りされることもそれほど多くない。しかも、「帯」の宣伝文句や簡単な「はしがき」「あとがき」から刺激的なものを感じはしたものの、3部11章からなる目次を見て、すぐに読みたくなるようなものは感じなかった。だから、しばらくはわたしの書棚で眠っていた。読みはじめても、なぜこの本が売れたのかわからなかった。しかし、読み終えて、なるほどと思った。著者の工藤庸子は、「はしがき」で書いたことの意味がほんとうにわかって、本書を書いたのだ。タイトルの「序説」は、その先にあるものが見えたからこそであり、その先にあるものは前人未踏であることもわかった。

 その「はしがき」には、つぎのようなことが書かれている。「この書物は、新しい学問共同体のなかで、今現在もつづけられている試みの、とりあえずの報告である。今日の大学に「文明論」という名の講座はめずらしくないけれど、これに対応するディシプリンは存在していない。したがって参照すべき先行論文や書誌、尊重すべき学問的な作法が定められているわけではない。伝統ある文学研究とは異なって、議論を展開するための先例もないのである。まことに茫漠としたテーマであり、可能性をさぐるという意味で多様な切り口を模索してみたが、その際の基本方針と全体の展望を略述しておきたい。」「考察の素材とするのは、近代フランスを中心とした小説作品や旅行記、歴史学・宗教史・民族誌などの領域の著作や論文、それに同時代の大辞典などである。」

 本書の構成、概略は、つぎの説明からよくわかる。「各章の論述は、かならずしも年代記的ではないが、三部構成は、大きな流れとしては時間的な順列に対応する。第Ⅰ部は、フランスの「古い植民地」である遠隔の島々を視野に入れ、十九世紀半ばの奴隷制廃止までを論じている。第Ⅱ部は、フランス革命以降、「国民」の名において、共和主義的な教育が徐々に浸透し、広範な読者層を獲得した歴史や文学が制度的にも立ち上げられ、これと並行してヨーロッパの内部で、近代的なネイションの意識が形成されてゆく過程を見る。第Ⅲ部は、地中海とアフリカ・アジア地域にかかわる「新しい植民地」の拡張期において、ヨーロッパ的価値の普遍性を証明するために、オリエントやイスラーム世界が、いかにして負の対蹠地として記述されるかを、歴史をふりかえりつつ問いなおす。」

 そして、つぎの「あとがき」の出だしから、著者は執筆を終えて、ある種の充足感を味わっていることが読みとれる。「たとえば歴史学との対話が可能になるような、開かれた文学研究をめざすこと-それはたしかに「制度改革」に促された課題だった。じっさいに足を踏み出してみれば、それは新天地への旅立ちにも似た経験だったように思われる。」

 「大学改革」が世間の注目を浴びるようになって、もう何年たっただろうか。大学の広告がやたら目につき、著名人を交えた公開講座や国際会議の宣伝が新聞紙上を賑わすようになった。新設の学部名なども、いかにも新しい時代に相応しいようなカタカナ表記のものが目立つ。しかし、「改革」にともなって日本の大学の研究や教育の水準は、向上したのだろうか。いちばん疑問に思っているのは、それに携わっている大学の教職員ではないだろうか。名前だけ新しいが、新しい学問のディシプリンもなければ、テキストもない。そんな無責任な教育をしていることに、後ろめたさを感じている大学の教員が少なからずいるのではないだろうか。だから、著者は、その「改革」の成果がすこしでも出せたことに、充足感を得ているのだろう。

 著者が、その成果を出すことができた原因は、「はしがき」から2つあることが読みとれる。まず、第1に、自分の専門領域である文学研究の基本を見つめ直したことだろう。著者は、「わたし個人の研究環境と適性から導かれた方針だが、基本的な作業は文献講読とその分析につきる」と断言し、「フランス研究、ドイツ研究といったネイションごとの枠組みを消去した制度のなかで、特定の外国語の文献を読むことの意義は何か」を問うた。フランスとイスラーム世界などとのかかわりを考察したのは、これまでの自分自身の研究を含む「ヨーロッパ文明」研究を相対化するためであった。あくまでも自分の「土俵」で、「改革」のために何をすればいいのかを考えたことが、成功の1要因だろう。このことは、ある特定のディシプリンの基礎力がないのに、目新しい学際的・学融合的領域に飛びつくことが、「学」なき学際研究、すなわち「際(きわもの)」研究になるおそれがあることを示している。

 つぎに、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻という組織に、著者が属していることだろう。そこで、「日常的に交流をもつ同僚たちは、イスラームやアジアの研究者であったり、新約聖書学の専門家であったりする。フランス語系の学生たちにも、「国民文学」や「現代思想」だけでなく、「移民問題」や「カリブ文学」や「ベトナム植民地史」を専攻する者がいる。修士論文の審査では、『ドン・キホーテ』論からオスマン・トルコ研究にまで参加する」。その環境のなかで、著者は「自分と同じ文学好きの学生たちに向かい、文学研究をより広い学問の文脈に開いてゆこうと語りかけ」、そしてその見本を本書で示した。「改革」をともに実行することができるだけの同僚と学生・大学院生に恵まれるという環境は、どこの大学にでもあるというわけではない。

 本書が注目を集めた理由は、まず、フランス文学研究で優れた業績を発表している著者が、すこし変わったものに挑戦している、ということから興味を示したフランス文学研究者がいたことだろう。つぎに、「ヨーロッパ文明」ということで、「ヨーロッパのアイデンティティの淵源を問う」てきた研究者が飛びつき、「光輝くキリスト教文明と」対比された「暗闇としてのイスラーム世界?」研究者が興味を示したのではないだろうか。そして、わたしのように、地域文化研究専攻から出てくる学際的・学融合的な研究成果に関心をもっている者が、とりあえず読んでみようと思ったのではないだろうか。読むきっかけはさまざまであっても、読後感は「序説」に相応しく、自分自身の研究の「再出発」に役立つものであると感じた点で一致したのではないだろうか。「序説」から「本論」への道はかんたんではなく、長く険しいことも、共通に感じたことだろう。

 本書の読者が、それぞれ自分の「土俵」を見つめ直し、ほかの分野の研究者との対話を試みることによって、「改革」はさらに一歩前に進むことになるだろう。わたしも、その列に加わりたい。

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2007年06月05日

『女ひとり玉砕の島を行く』笹幸恵(文藝春秋)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書に登場するのは、普通の日本人である。その普通の日本人が、六十年以上も前に戦争で亡くなった戦友・肉親の面影を求めて、南太平洋の「玉砕の島」を訪ねている。中には、あまりに幼かったり、戦死後に生まれたりしたために、戦死者本人を直接知らない人たちがいる。それでも、戦死者はそれらの遺族の戦後の生活に大きく影響し、今でも「生きている」。だから、慰霊の旅に出ることは当然のことなのだ。

 その遺族・戦友とともに戦跡を巡ったのが、「団塊ジュニア」世代の著者であった。いわゆる「戦記もの」の執筆者は、従軍記者や作家に始まり、戦争体験者からその遺族の世代に移っていった。そして今、著者のような戦争体験者の孫の世代が戦争を語り出した。

 このことは、これからの日本にとって大きな意味を持つ。著者は、慰霊巡拝の旅の経験から「慰霊碑建立には現地の島民たちの感情にも配慮が必要である」と理解した上で、「現代を生きる私たちが真摯に過去と向き合うこと、そして祖国のために死んでいった兵士たちに、感謝と追悼の念を持つこと。それが自然に行われるようになって初めて、この国の「戦後」は、終わるのではないだろうか」と結んでいる。
 戦争に関しては、ある特定の人々との交流があると、感情移入しやすく、客観的に見えなくなってしまう危険性がある。だから、いかに全体像を把握し、相対的に見ることができるかが重要になる。しかし、著者のように、戦争について「わからないこと、想像できないことが多すぎる」として、かつての戦場を自分の目で確かめ、その足で歩くことができる人はそういない。

 ガダルカナル島に行くには四十万円はかかるし、普通の人が訪れることができない硫黄島に行くことは困難である。まずは、「慰霊団の看板娘」が掘った「戦後の底」をのぞき見て、これから生きていくための「戦争論」を考えてはどうだろうか。そして、戦場となった国や地域の人々との対話と交流について考えてみようではないか。

     ※

 上記のような書評を、時事通信社に頼まれて執筆した。短時間に字数制限のなかで、語ることは難しい。すこし補足説明をしたい。

 「戦記もの」の出版点数は、想像以上に多い。たとえば、フィリピン関係で、現在インターネットで検索できる点数は、1,000点を超える。その出版点数は1980年代から90年代半ばにピークを迎え、年間50点を超えることもあった。その背景には、戦争体験者だけでなく、その弟や妹、子どもたちが定年を迎え、慰霊巡拝に参加して、その記録を出版するようになったからである。しかし、戦後50年の1995年を機に、出版点数は急速に減少した。そして、いま本書の著者のような世代が、「戦記もの」を書き出した。このことは、この世代(わたしは「ポスト戦後」世代と呼ぶ)が、日本が戦場とした国や地域の同じ世代と、これからどうつきあっていくことができるか、その試金石になるだろう。もし対話と交流がうまくいかなければ、日本は孤立してしまう。

 本書を読んで気になったのは、すくなくとも数百万円はかかっただろう取材費と、なぜ硫黄島に「硫黄島基地隊の隊員に対する講演(戦史教育の一環)の講師」として、著者が行くことができたのかということだった。多少本が売れてもまかなえる金額ではないし、どういう理由で自衛隊は著者を招いたのだろうか。読んでいても、1974年生まれの女性にしては古風な表現が出てくる。巡拝旅行をともにした老人のことばが移ったのだろうか。

 戦争にかんしてバランスよく語ることは、ほんとうに難しい。個々の実体験や個々の立場で主張しはじめると、それぞれがもっともな意見であるだけに収拾がつかなくなってしまう。純粋で無知な人ほど、ひとつの意見にはまり、偏った思いこみに陥りやすい。「首相の靖国神社参拝問題」などを含む「戦争論」で、意見が真っ二つに分かれるのも、そんなところに原因がありそうだ。

 そこで、わたしは研究書や啓蒙書だけでなく、1,000点を超えるフィリピンにかんする「戦記もの」の現物確認をおこなった。その結論は、なにを目的に戦争を語るのかを明確にする必要がある、ということだった。そして、「ポスト戦後」を生きるために、戦場となった国や地域の人びととの対話と交流をどうするか、を基本に戦争を考えることにした。このことは、「戦後」が終わらない人たちを見捨てることを意味している。矛盾していると思うかもしれないが、そういう人たちに淋しい思いをさせないためにも、「戦後」を早く終えねばならない。

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