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2007年04月10日

『日本の貧困研究』橘木俊詔・浦川邦夫(東京大学出版会)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 新聞広告で、投資信託や個人向け国債が、やたら目につくようになった。かつては、年金に多少の蓄えを年率5%の定期預金に預けておけば、一般個人が資産運用する必要はなかった。ところが、いまは個人が資産運用を考えないといけないという。このことは、政府が、老後の生活にたいして「無策」である、ということを示していることにほかならない。一部の資産家と運用能力のある者以外は、安心して老後を送ることができないのである。この「安心」のなさが、個人にとって大きく影響するだけでなく、社会にとっても深刻な事態を招きかねないことを、政府は理解しているのだろうか。わたしのこの感覚的な問いにたいして、本書は近代経済学の手法を用いて、見事に分析し、答えてくれている。

 著者たち(橘木俊詔・浦川邦夫)も、同じ不安を抱きながら本書を書いていることは、「あとがき」の冒頭で、「小泉純一郎内閣の実質的な経済運営の責任者であった、竹中平蔵総務大臣(元経済財政政策担当大臣)から発せられた」「大問題としての貧困はこの国にはない」という発言への回答として、本書が出版されることとなった、と述べていることからわかる。そして、著者たちは「日本には飢餓に至るような貧困はない」が、「今の時代においても貧困は存在しているし、それは不幸なことに深刻化している、というのが本書のメッセージである」、と結論している。

 日本の貧困の問題は、日本人の専門家が指摘しているだけではない。「はしがき」に書かれているように、OECD(経済開発協力機構)のような国際機関から警鐘を鳴らされる事態になっている。OECDは、「対日経済審査報告書2006年版」のなかで、先進国の中で、日本の貧困率が、「アメリカの13.7%に次いで第2位の13.5%の高さである」ことを指摘している。著者たちは、まず第1章で「日本の貧困の歴史」を人類有史以来から問い、つぎに第2章で「先進国の貧困」の比較を試みる。そして、続く3~9章で1990年代以降の貧困と格差の拡大を具体的に明らかにし、政策提言をおこなっている。

 本書の内容は、最後の章である「第10章 岐路に立つ日本社会-変容の中で貧困問題にどう取り組むか」で、よくまとめられている。そこでは、まず「貧困者が自暴自棄となって犯罪に走るかもしれない」「あまりの低賃金は働く意欲にとってマイナス」といった、たんなる「生きていけないことを意味する」だけではない社会的な問題を指摘している。そして、「日本の貧困は深刻化している」理由は、ここ十数年の経済不況だけでなく、「家族の変容、働き方や労使関係の変化、社会保障制度の役割、等々の構造的・制度的な要因も大きい」としている。「日本がアメリカのような自立、自助努力重視の道を選択するのか、それともヨーロッパのような政府を中心とした社会保障の充実策を支持するのか」、著者たちの立場は「ヨーロッパの福祉国家に近づくような政策を好むが、最終決定は国民の総意による」と結んでいる。帯にあるように、「私たちの選択が、問われている」のである。

 本書を読んでいて気になったのは、「日本における税制や社会保障制度による再分配効果は、スウェーデン、オランダ、ドイツ、フィンランドなどの北欧諸国と比較した場合、およそ半分程度しかないこと」、セーフティ・ネットが弱く、しかも「削減の方向にある」ということだ。政府は、アメリカ型の自立を期待して、「無策」になっている。個人に国家に頼らない自立を促し、企業には国際競争力を付けるためのリストラを強いながら、国家は自立できず見返りが期待できない個人向け国債を発行するという、矛盾をおかしている。日本の国債の国際的評価が低いのもうなずける。納税者が税金を高いと思うのは、再分配が不平等で、効果が低いと感じているからだ。困った人の役に立っているとわかれば、積極的に納税するだろう。なぜなら、自分が困ったときに助けてくれることが期待できるからだ。投資信託や個人向け国債の広告に踊らされる前に、本気で日本の政策に目を向けなければならない状況になっている。まさに、日本社会は、岐路に立たされている。しかし、同じような問題に直面しているフランス人は大統領選挙で国家指導者を選択できるが、日本人はどのようなかたちで個人の選択を意思表示できるのだろうか。選挙で、それができるのだろうか。「政治不信と諦め」で終わるようなことにならなければいいが。

 最後に、近代経済学の数学や統計手法を敬遠して、本書を「読めない」と思っている人は、読書の幅が広がらない人です。研究者は、どうしても実証的な説明がしたくて、専門外の人にはわからない「過程」を書くが、専門外の人は無視すればいい。歴史学を専門とするわたしは、原史料から長々と引用することがあるが、専門外の人には引用文を読まないでもわかるように心がけて書いている。引用文を読まないとわからないようなことを書いている人は、書いている本人も引用文が読めていないのかもしれない。本書は、著者たちが「はしがき」で書いているように、「数量分析が不得意な人は、該当部分を飛ばして読んでいただいても、結論だけはわかる」。わたしも、そうした。近代経済学の本が、読めたぞ!? それでも、抵抗があって本書が読めないという人は、著者のひとりが書いている 橘木俊詔 『格差社会:何が問題なのか』 (岩波新書、2006年)を読めばいいだろう。

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