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2007年03月27日

『物語 マニラの歴史』ニック・ホアキン著、宮本靖介監訳、橋本信彦・澤田公伸訳(明石書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 こういう本を、どう評価していいのかわからなかった。だから、某新聞社から書評を頼まれたときも、引き受けることができなかった。本書は、「監訳者あとがき」によると、著者ホアキンが「一九八八年、当時マニラの市長代理だったヘミリアーノ・C・ロペス(Gemiliano C. Lopez)からのマニラ通史の執筆依頼」を受けて、1年足らずで書きあげたものである、とのことである。「ロペス氏は以前から、全国からマニラに集中する多種多様な若者たちの心に、マニラに対する市民意識と誇り、何よりも愛情(郷土愛)を育みたいと願っていた。そのためにマニラ、さらにフィリピンの青年子女たちに親しまれる「マニラ風土記」のようなものが必要だと感じていた」。

 読者は、「マニラ、さらにフィリピンの青年子女たち」を想定していたことがわかる。つまり、学校教育では、充分に伝わらない郷土(マニラ、さらにフィリピン)を誇りに思える歴史叙述を試みた、ということだ。その著者とロペス氏の目論見は、たぶん成功しただろう。「幼年時から生涯を通して親友」であったショニール・ホセ氏が「読みごたえのある名著である」と評しているように、日本語訳にある「物語」性をいかして、読み物としておもしろいものになっている。「徹頭徹尾、庶民的な目線で捉えた」という点からも、親しみを感じる。

 だが、日本人の読者は、本書をどのように読めばいいのだろうか。本書は、あくまでもフィリピン人が学校教育で学ぶフィリピン史を理解したことを前提に書かれている。「少々アルコール依存症気味」のジャーナリストの書いた歴史物語を、フィリピン通史を満足に知らない日本人読者が読めば、誤解してしまうかもしれない。ここで、個々の事実をとりあげても、生産的な話にはならないだろう。大まかなことを、すこし取りあげてみよう。

 まず、スペイン来航以前のフィリピンについては、学問的によくわかっていない。文献資料はほとんどなく、考古学的な研究などによるしかないからだ。本書でかなりのページを割いて書かれていることは、ほとんど想像によるものでしかない。フィリピン人は、それがわかったうえで読むのだろうが、日本人は歴史的事実としてとらえてしまう。マニラには、フィリピンの歴史を概観できるアヤラ博物館がある。レイナルド・イレートなど一流のフィリピン人歴史研究者が監修した60のジオラマからなる歴史上のシーンの内、最初の6つは考古学的成果によるもので、本書に出てくる10~15世紀の王国の話はまったく出てこない。

 本書を読むと、「マニラの歴史」なのか「フィリピンの歴史」なのか、わからなくなってしまう。実はそこが問題で、フィリピンの歴史学界・教育界は、いまこの問題に苦慮している。本書が書かれた1988年当時はそれほどでもなかったが、いまは南部のイスラーム教徒などを含めた国民統合のための歴史を模索中である。マニラ中心史観は、フィリピン共和国という国民国家の歴史としてはふさわしくない、という考えが強くなってきている。

 日本人として、本書から学ぶ第1のことは、日本にかんする記述が多いことだろう。16~17世紀にマニラに存在した日本人町について1節(6頁)を割いて記述し、1941~45年の戦争中の記述は、5節(44頁)にも及んでいる。そして、日本占領期の記述は、フィリピン史上最大のできごとであったフィリピン革命(1896~1902年)の記述と並んで、もっとも活き活きとした描写が続き、著者の本領が発揮され、読者を釘付けにする箇所である。そのほかにも、日本や日本人が思いがけないところで登場し、フィリピンの歴史にいかにかかわってきたかがわかる。その意味で、本書は日本人が読むべき本であるということができるだろう。

 それでも、まだ、わたしは、この本をどう評価していいのか、わからないままでいる。

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2007年03月09日

『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』早瀬晋三(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書は、以下にシラバスを掲載するように、大阪市立大学全学共通科目、総合教育科目A、主題「生命と人間」、授業科目「戦争と人間」(文学部:早瀬晋三、非常勤講師:谷川穣(京都大学人文科学研究所))の教科書である。と同時に、この書評ブログで「批判」したことへのわたし自身の「答え」でもある。

 批判することは、すこし勉強をして経験を積めば、それほど難しいことではない。しかし、責任のある批判、建設的な批判となると、自分自身が実行したか、批判を契機に実行するかのどちらかでないと、説得力は乏しくなる。

 以前(2005年8月2日)、この書評ブログで、「高校生にも読んでほしい」という著者の真摯な念いと試みにたいして、「学生相手に講義を積み重ね、学生の理解度を確かめながらでないと、教材を作るのは難しい」と書いた。本書は、本務校の大阪市立大学2005~06年度全学共通科目(受講生約200名)の授業の終わり20分ほどの時間に、学生に毎回書いてもらった「授業で学んだことと感想」を読みながら、訂正と加筆を繰り返して書きあげた。2005年度に東京外国語大学でおこなった集中講義「ポスト戦後の東南アジアの歴史認識」での学生のレポートも、ひじょうに役に立った。前者は東南アジアにかんしてほとんど知識のない1年生を中心としたクラスで、後者は東南アジアの特定の国について詳しい2年生以上のクラスだった。まったく違う学生を相手にして、本書の構想がより具体的になった。その意味で、本書は学生との共同作業で書きあげたものであるといっていいだろう。そして、その完成度を高めてくれたのが、最初の読者として的確で厳しいコメントをくれた編集者の吉田浩一さんであった。いろいろな人びとの協力があって、やっと書けた。教科書を書くことは、ほんとうに難しい。

 同じく教材として書いた拙著『歴史研究と地域研究のはざまで』(法政大学出版局、2004年)では、「まとめをきちんとしないと、調査ではなく、たんなる「物見遊山」に終わってしまいます。さかんに「調査」しているのに、成果がでないのはそのせいかもしれません」と書いた。この「物見遊山」ということばに、そうとうカチンときた人がいたようだ。本書で、たんなる「物見遊山」ではないということとは、どういうことなのかを書こうとも思った。そのため、調査旅行前の準備、調査中のメモと調査後の調べで、かなりの時間を費やすことになった。結局、2003年8月に始め05年3月に終えた調査旅行の成果である本書の出版に、2年間の歳月を費やしてしまった。「東南アジアのいま」ではない、という叱声が聞こえてきそうだ。しかし、調査報告書や成果を出版することとはこういうことだ、という1例は示せたと思う。そして、その成果は、「物見遊山」の人が思っているより、ずっとずっと知的財産として重要な意味をもつことがわかるだろう。だれでもが見に行けばわかり、書けるということではない。また、「見る目」「聞く耳」「読む力」をもっていれば、インタビュー調査をしないでも、記念碑や図書館の展示、文献からも人びとの声は聞こえてくる。「調査」と自負していながら、まとまったものがでないのは、結果的に「物見遊山」と言わざるをえない。

 たんなる1事例研究である論文ではなく、その事例を基に次元の違うスケールの大きなテーマを「序章」「終章」で展開できる単著・単行本の執筆の重要性は、この書評ブログで繰り返し書いてきた。一度大きなテーマを扱うと、事例が相対化でき、研究の意味がより明確になる。それができていない者は、いくらいいことを言っても、絵空事に終わって、実際の研究には応用できないことになる。東南アジアについては、国語・民族語・植民地宗主国の言語などの違いから、国別にその専門分野の研究者が書くのが一般的であった。本書は、あえて単著にした。デメリットは、著者ひとりではとてもカバーできないテーマで、基本的なことさえ充分に書けていないかもしれない、という不安があることだ。しかし、そのデメリットを補ってあまりあるのは、東南アジアという歴史・文化的空間のなかで書いたことだ。言語から学ぶ関係からナショナル・スタディーズに陥りがちな外国語大学の学生にも、自分たちが学んだことを相対化できる材料が提供できたのではないかと思う。本書全体を読めば、ナショナル・スタディーズから脱却するヒントをえることができるかもしれない。ほかに、この書評ブログで繰り返し書いてきたことに、歴史を学ぶことと東南アジアを理解することの重要性がある。しかし、具体的な事例を示さずに、読者を納得させることは難しい。本書を読んで、歴史にも東南アジアにも興味のなかった人が、興味をもってくれたなら、うれしい。

 この書評ブログ2006年6月13日では、「二国間関係だけで、「歴史問題」は解決できない」と書き、「かつて日本がつくった「戦争空間」としての「大東亜共栄圏」」のなかで考えることの必要性を説いた。にもかかわらず、東南アジア研究の側から、書評した本の編者のいう「過去認識への確かな手がかりを提供する」ということにたいして、充分な材料を提供していない、という後ろめたさがあった。本書で、その材料が提供でき、日本でも幅広い議論ができるようになれば、「歴史問題」の解決にもすこしは寄与することになるだろう。

 本書でもうひとつ心がけたことは、この「歴史認識」という微妙な国際問題を書くにあたって、まずは日本語で書くが、外国人が読んでも読み応えのあるものにしようとしたことだ。日本人相手に日本語で書くことを専らにしている人とは違って、東南アジア研究者は日本語で書いていても全世界で通用するものを念頭において書いている。本書も、東南アジアの人が読んで、議論できることを前提に書いた。「歴史認識」の問題には、いろいろな意見があるが、このグローバル化時代に外国人が読んで通用しない議論は、国際紛争の種になったり助長することになったりしかねない。本書は、英語でも出したいと思っている。

 他人の書いたものを、批判するということはたいへんなことだ。批判が自分に返ってくることを覚悟しなければならないからだ。だが、あまり深刻に考えると、この書評ブログも書けなくなってしまう。多少口が滑っても、寛大な気持ちで読んでくださると助かる。

 蛇足だが、批判が自分に返ってこない無責任な「情報化社会」に、危惧を覚える。人びとがやたら攻撃的になり、他人が傷ついていることにも無頓着になる。「いじめ」の原因のひとつが、ここにあるように思える。学生のレポートを読んでいても、やたら批判する者がいる。批判ばかりする学生に限って、充分な知識がなく、「学ぶ姿勢」ができていない。「まずは学んだことを書き、批判するなら、その学んだことに基づいて書くように」と指導するのだが、「学ぶ姿勢」のできていない学生は、頭から「批判」する。充分な知識がないと「批判」は批判にならず、「批判」にたいする批判に答えられないことがわかっていない。だから、最後の授業は、学生2~3人で討論してもらうことにしている。自分の意見を相対化する機会が必要だからだ。友人の意見を聞いて、新鮮な気持ちになる学生が多い。社会的会話の経験がないせいかもしれない。

シラバス
●科目の主題と目標
 「ポスト戦後時代の東南アジア」。首相の靖国神社参拝問題で「戦後が終わらない」日本にたいして、ほかの東・東南アジアでは「ポスト戦後」の動きが顕著になってきている。「ポスト戦後」状況は戦争を忘却し、「戦前」に直結する危険性も孕んでいる。だとすると、戦争責任や戦後責任を無縁と考えている日本の若い世代には、現在を「戦前」にしないための責任が生じてきている、と言うことができる。いま、日本の若い世代は、アジアにおける対日戦争の歴史とその「記憶」の伝えられ方に目を向け、今後の交流を考えていく必要があるだろう。
 本講義では、今日の東南アジア各国・地域の博物館での展示や碑文、教科書で、日本との戦争がどのように語られ、今日のそれぞれの社会に影響を与えているかを考える。マスコミなどでは、おもに中国や韓国の反日報道がとりあげられているが、日本の「大東亜共栄圏」構想に巻き込まれた東南アジアでも、新たな動きが起こっている。戦後の東南アジアでは、日本との経済関係が発展したが、近年の中国の経済成長とともに中国との関係が緊密になってきている。社会に出て接する機会の多い東南アジアの今日の対日観について学び、今後の交流を考える。また、日本が戦争への道を歩んでいく「国民帝国」化を学び、無意識のうちに戦争に加担していく民衆の姿を、若い非常勤講師の先生とともに考える。
●授業内容・授業計画
 1.授業の目的、概略
 2.シンガポール-多民族国家形成のための教訓
 3.マレーシア-つぎの世代へ繋ぐ記憶と忘却;インドネシア-フロンティア史のなかの虐殺
 4.タイ-観光資源としての戦争遺跡
 5.タイ-日本人の慰霊活動
 6.「国民帝国」日本:その1~軍隊と社会
 7.「国民帝国」日本:その2~娯楽と戦争
 8.「国民帝国」日本:その3~戦争観の変容
 9.ミャンマー(ビルマ)-語られない日本の占領
 10.フィリピン-アメリカと日本のはざまで
 11.フィリピン-フィリピン人の対日観
 12.韓国と中国の対日観
 13.日本の戦争博物館
 14.総括:ディスカッション
●評価方法
 授業中に書く小レポート(30%)と試験(70%)。試験には書籍2冊まで持ち込み可。正直者がバカをみないようにします。
 期末試験問題の1例:「あなたはシンガポール人です。日本人の友人ができました。戦争中にシンガポールでおこったこと、それをどこで学んだか、いまシンガポール人は戦争をどのように考えているか、日本人の友人に説明してください。」
●受講者へのコメント
 現在を「戦前」にしないためにどのような努力が必要なのか、まずは知り、そして考えてください。視聴覚教材を使いますが、文献もしっかり読んでください。
●教材
 教科書のほか、参考文献として『岩波講座 アジア・太平洋戦争』(岩波書店、2005~06年、全8巻)をあげておきます。最新の研究状況がわかります。各論文末の文献目録も参考にしてください。

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