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2007年01月16日

『鉄道忌避伝説の謎-汽車が来た町、来なかった町』青木栄一(吉川弘文館)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「鉄道」と聞いただけでワクワクし、物知り顔に蘊蓄を語る鉄道ファンが、きっとあなたの身近にもいることだろう。その鉄道ファンのあいだで語り継がれてきたことに、「鉄道忌避伝説」がある。「明治の人々は鉄道建設による悪影響に不安をもち、鉄道や駅を町から遠ざけた」というのである。本書は、この伝説が「事実なのか、虚構なのか」、「全国各地の実例を検証し、鉄道のルートや地形など様々な視点から伝説の謎に迫る」。

 本書を読み終えて、「虚構だった」と完全に納得し、スッキリした人は少なかったのではないだろうか。一度流布した「伝説」を訂正することは、たやすいことではない。なぜなら、このような伝説は、制度史を中心とした近代歴史学では軽視されてきた話で、史料的にも実証できるだけの充分なものが残っていないからである。著者、青木栄一は、そのあたりのことを、「鉄道忌避伝説が日本中に「普及」、拡大する過程には、地方史研究のあり方とその変化が深く関連しているように思われる」と述べている。さらに「地方史研究がアカデミズムの世界で認知されるようになるのは第二次世界大戦後であった。もちろん大戦以前にも地方史の研究は広く行なわれていたが、それは各地方の教養ある階層の人々、たとえば初等・中等教育に従事する教員、地方の指導的な人物で現役から引退した年齢層の人々、比較的時間の余裕のある地主・家主などの人々で、歴史や地理に関心を持つ人々によって支えられてきた。当時、大学の研究者などを中心としたアカデミズムの世界では一般にこのような地方史研究を軽視する人が多かった。このような研究環境の中では、地元の便宜・利点を生かした基本史料の発掘や丹念なフィールドワークが行なわれる反面、歴史学や地理学の基本的な指導や訓練、とくに史料吟味の厳密性を欠いたままの調査が行なわれた傾向も否定できなかった」と説明している。そして、「基本的な一次史料による検証を欠いたまま」、社会科副読本に取り入れられ、「教科書という性格からくるのであろうか、すべて断定的な記述」になって、「教える教師もそれを固く信じていて、効果的にこれを生徒に教えこもう」とした結果、「児童・生徒の頭脳の中に刻み付けられることに」なった、と結論している。

 著者は、「基本的な一次史料による検証を欠いた」こと、また「鉄道建設に関わる技術や地形学の基礎的教養を欠いていたこと」が、「伝説」だけが一人歩きした原因であることを強調し、「調べれば調べるほど、宿場町や港町の鉄道忌避伝説が虚構であるという実態がはっきりしてきており、鉄道史の専門研究者の間では、もはやこのような話を信じる人はあまりいなくなっている」と、「伝説の謎」を解き明かしたことに自信をもっている。さらに、「鉄道史学確立への道」や「諸外国における鉄道反対運動」という節をもうけて、鉄道史研究が「閑人の余技あるいは趣味の対象」ではないことを説明している。

 地方史研究がアカデミズムの世界で認められなかったことで「伝説」が普及したのであれば、ナショナル・ヒストリーとして語られてきた「史実」が、グローバル化時代の新たな「伝説」になる危険性があることを、本書は教えてくれる。また、「閑人の余技あるいは趣味の対象」でない歴史研究であることを、社会にたいして説明する努力が求められる時代になっている。「伝説の謎」解きができるのは、時代が変わった証拠かもしれない。

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