« 『越境と抵抗-海のフィールドワーク再考』小川徹太郎(新評論) | メイン | 『兵たちの戦争-手紙・日記・体験記を読み解く』藤井忠俊(朝日新聞社) »

2006年09月26日

『新しい世界への旅立ち-シリーズ◎世界周航記 別巻』石原保徳・原田範行(岩波書店)

新しい世界への旅立ち-シリーズ◎世界周航記 別巻 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 新しい「航海・旅行記」シリーズがはじまるという。聞いただけでワクワクするいっぽう、なぜいま新しいシリーズがはじまるのか、という疑問が浮かんだ。その疑問にたいして、帯でつぎのような回答をしている。「未知の世界に挑んだヨーロッパはそこで何を発見したのか。前篇は、この問いに、旅人たちとの対話をとおして迫る。後篇は、航海の記述が拓いた新しい表現世界に注目し、その独特な魅力をさまざまな角度から解き明かす」。

 聞いただけでワクワクした理由は、簡単だ。そこにわたしにとっての「未知の世界」があるからだ。歴史学を研究している者にとって、原史料というものは、自分自身の知らない、想像もできない世界に誘ってくれる、しかも居ながらにして、もはや実際に観察することができない過去に臨場感をもって導いてくれる、重宝極まりないものなのだ。ただし、その過去は、現実であるのか、部分的にもフィクションであるのか、わからないという危険性がある。また、どういう意図で、どういう視点で記述されたのか、よくわからないことがある。本書では、そのあたりのことも、解説してくれるという。

 前篇と後篇の執筆者は、それぞれ特徴がある。前篇の石原保徳は1935年生まれ、近代精神史が専門である。ラス・カサスのインディアスにかんする研究などで知られている。後篇の原田範行は1963年生まれ、18世紀英文学・比較文化論が専門だ。読者にも視点をおいている。それぞれその専門性をいかし、それぞれの世代の研究の関心に照らして解説してくれる。原史料を読むときの楽しみが増え、より深く読むことのできる知恵を与えてくれる。

 前篇「問い直される発見航海者の眼差し」では、今回のシリーズの位置づけが、著者が編集部から、「シリーズの新しさ、それが発する今日的メッセージを読者に伝えてほしい」という無理な注文に応えるかたちで書かれている。それは、1965年からはじまった「大航海時代叢書」「アンソロジー・新世界の挑戦」「一七・一八世紀大旅行記叢書」「ユートピア旅行記叢書」全91冊の刊行の歴史であり、厳しい批判でもある。そして、著者はこれまでのシリーズに根本的な欠陥があることを看破する。それは、読者である日本人歴史研究者の構造的欠陥であり、いまだ克服されていないという。最初の「大航海時代叢書」の「趣旨」で、著者は「新しい世界史像を描いてゆくことの必要性を語る言葉をとおして」、「我が国においてもいまだ生きつづけているヨーロッパ中心の世界史像に挑んでゆこうとする」「気迫」を感じとった。さらに、「まずは、現代をどうとらえるか、今日的課題をなんとみるのかのちがいがはっきりしており、第二に、他ならぬその時代が生み出した記録を全体として読み解き、その中から地域や書き手を選び分け、それらが発する問題を受けとめながらコレクションをつくるという作業が求められているからである。それをふまえてはじめて、ヨーロッパ的世界史像からは見えてこない、それらが隠蔽していた転換期の内実を浮かび上がらせようとする「趣旨」の意図は実現されるはずである」と編集者の目論見を述べている。しかし、その目論見は実現されなかった。その理由は、「現代の諸問題について省察を深めてゆくことを重要な課題とはせず、転換期とはなにかを問おうとする姿勢とはあまり縁のない我が国の学問の伝統の力であった」としている。このことは、日本では学問としての歴史学が未成熟で、社会性のないことを示している。

 我が国の歴史研究の欠陥は、イギリスで発行されているハクルート叢書と比較すれば、より明らかになる。ハクルート協会が1847年以来、353冊の記録を刊行できた背景には、「協会の内部革新と、それを支持する会員や非会員読者あってのこと」であり、「研究の深化・発展に目くばりを忘れず、全地球上どこであれ、旅人の国籍や書かれた言葉にかかわりなく、しかも彼らが旅する時期も限定せず、入手しにくい貴重な記録を貪欲に蒐集し、抄訳を避け、それに詳細な訳注を加え、かつ改訂版にも積極的に取り組んでゆく」姿勢がある。つまり、歴史研究にとっての「基礎資料」を、時代や国・地域に限定されることなく、議論できる場として提供しているのである。時代や国・地域で分断し、歴史学や世界史の文脈で語ることができず、現代の問題に無関心な日本人歴史研究者には、「ヨーロッパ中心の世界史像に挑む」どころか、学問的にも、社会的にも歴史学の必要性を語ることすらできない現状が続いている。そして、その偏狭な歴史研究の成果に満足している「歴史好きの読者」によって、過去40年間、日本の歴史研究は「深化・発展」できなかったのである。それを克服できる「読者」の出現のためにも、この新しいシリーズは必要なのである。そして、このシリーズの現代的な読み方のヒントを与えてくれているのが、後篇である。

 後篇「かなたに何かある」は、前篇でも随所にとりあげられた航海記の読み方を、よりまとめて、具体的に、そして今日的方法で、教えてくれる。そこには、記録した航海家の目線で見ること、当時の社会的・時代的背景を充分に理解することといった基本の重要性を、航海技術・専門用語、表現、多重性・重層性、出版と読者など、さまざまな角度から気づかせてくれる。文章で書き表されていない事柄も、スケッチや同行した画家の作品からわかることがあることも示している。今日、臨地研究(フィールドワーク)が重視されているが、そのフィールド・ノートの作成方法のためにも、ひじょうに役に立つことが書かれている。事実はひとつではないし、虚構のなかにも事実が隠されている。近代という時代やヨーロッパという地域の常識がなにかも教えてくれる。それらは、前篇で議論された「近代ヨーロッパ中心史観」からの脱却のためのヒントを与えている。そして、「航海・旅行記」を読むことは、文献を重視しない臨地研究者の初歩的な訓練にもなる。原史料を読むことは、臨地研究の一手段であることもわかってくる。

→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/660