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2006年07月18日

『<民族起源>の精神史-ブルターニュとフランス近代』原聖(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書は、2002年に開催された審議会で、民営化されたフランスを代表するテレビ局TF1のルレー社長がブレイス語(ブルターニュ地方のケルト系の言語)で「前置き」をするところからはじまる。このブレイス語での「前置き」は、「公的な場所でのフランス語の使用を義務づける「トゥーボン法」に抵触する」。1994年に成立したこの法律は、フランスの国民統合の強化と国際語としてのフランス語の地位低下を食い止めるためとされるが、このような法律をもってしても世界的な地方分権化の波は防ぎようがなかったようだ。本書は、そのような時代や社会を背景として、近代の歴史観が通用しなくなった事実を、読者に思い知らしてくれる。

 本書は、「民族起源論がブルターニュの中世にいかにして生まれ、近代から現代へといかにして引き継がれてきたか」を、「知識人たちの精神史として描い」たものである。著者、原聖が当初目指した「「ケルト」概念の脱構築を歴史的に展開する」という「些末な問題」を扱った一地方史から、「ヨーロッパ知識人論」へと発展したのは、近現代史を専門とする著者が「前近代についてまともに論述」したからである。さらに、「日本においてヨーロッパの地方を研究対象」とする強みで、「社会学であれ民族学であれ、また言語学であれ、関係するいろいろな研究領域に踏み込まざるを」えなかったからである。本書を読んで、日本のヨーロッパ史研究者が、「「専門」の歴史家の禁欲さ」のために、狭い専門領域(時代、地域、分野)に束縛されて「些末な問題」ばかり扱って、いつのまにか時代に取り残され、新しい時代の歴史観の必要性に気づかなかったことから、ようやく解放されつつあることを感じた。こういう研究が出てくると、地域や時代を超えて歴史学として、さらに学際的研究として議論できる地場ができてくる。

 著者が、ブルターニュ地方を研究対象として選び、「些末な問題」から解放されることになったのは、偶然ではないだろう。それは、著者がこの地方のもつふたつの利点をつぎのように説明していることからもわかる。「ひとつ目は、地域としてのブルターニュの成立起源がブリテン島にかかわりをもち、英仏両国の民族起源論とリンクしている点である。ただたんに二国にまたがっている、というだけでなく、この二国がヨーロッパの大国であり、近代ヨーロッパの形成に関しても大きな役割を果たしていることも重要だろう」。「ふたつ目は、ブルターニュに関連する民族起源論が、九世紀という古い時代から存在するということである。それは英仏両国の王国(民族)起源史にも関係し、それと同一レベルで論じることができる。周縁的な一地方であるにもかかわらず、古くからの民族的精神史が書き継がれてきた例外的な地域といえる。・・・こうした周縁的地方での長期にわたる民族起源論は、大国の起源史を相対化する意義をもつだろう」。コナン伝説、トロイア伝説、アーサー王伝説、ガリアやケルトといったヨーロッパ世界でなじみのある伝説上の人びとやことば、土地がキーワードとして登場するブルターニュだからこそ、時代や国を超えた拡がりをもつ議論が可能になったのだろう。

 本書から、著者のいう「ヨーロッパ性」というものが、古代ローマの影響やキリスト教社会、王侯・貴族ネットワークだけでなく、共通の伝説や言語があると信じていることにもあることがわかった。そして、ナショナル・ヒストリー(公定史観)から解放されたことが、周縁から見た民族・国家の形成過程を研究することを可能にしたこともわかった。だが、その「ヨーロッパ性」そのものについては、わからなかった。ある地域やある時代だけを研究対象とすれば、その地域や時代が相対化できないから、なにが特殊かがわからないはずだ。ヨーロッパだけを対象にして、なぜ「ヨーロッパ性」ということがいえるのだろうか。日本人にとって、日本民族や日本という国家は自明のものであって、民族や国家が「形成」されるということはよくわからない。ましてや、意図的に「つくっていく」いくという「精神史」は、思考の範囲にないかもしれない。この「ヨーロッパ性」を世界史や歴史学の枠のなかで考えると、もっと奥深い「ヨーロッパ性」が見えてきそうだ。また、日本人に理解しやすいように、日本研究との比較をすれば、「ヨーロッパ性」が違ったかたちで見えてくるかもしれない。日本にも豊かな伝説・伝承の世界がある。

 古い時代の「些末な問題」の「西洋史」から解放されて、新しい時代・社会を念頭においた本書のような歴史の書き直しがおこなわれると、人びとは歴史研究の時代性と社会性に気づくことになるだろう。そして、フランス(ヨーロッパ)の「民族差別の起源」の一端もわかってくるかもしれない。

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2006年07月04日

『八月十五日の神話-終戦記念日のメディア学』佐藤卓己(ちくま新書)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 今日、日本人の多くが、「終戦記念日はいつか?」と問われれば、「8月15日」と答える。著者も、「あとがき」で「八月一五日に戦争が終わったわけではないと気づいたのは、それほど前のことではない」と正直に告白している。では、ほんとうの「終戦記念日」はいつで、いつから8月15日が「終戦記念日」になったのだろうか。著者は、この問いに答えるために、「「玉音写真」、新聞の終戦報道、お盆のラジオ放送、歴史教科書の終戦記述などを取り上げ、「終戦」の記憶がいかにして創られていったかを」、メディアの検証を通じて明らかにしている。

 本書によると、終戦の「世界標準」は、「ポツダム宣言を受諾した八月一四日か、降伏文書に調印した九月二日」である」。しかし、ソ連や中国は9月3日、台湾は10月25日、タイは8月16日だという。日本国内でも、北方領土が完全に占領されたのは9月5日で、沖縄の日本守備軍の組織的戦闘が終わったのは6月23日である。大本営は8月15日の玉音放送の後に「積極的進攻作戦の禁止」、翌16日に「自衛戦闘を除く即時停戦」を発令している。そして、「全面的な停戦を実施する予告が、海軍で同一七日、陸軍で同一八日に発せられた。実際に内地部隊の全面的な戦闘停止(同一九日発令)は同二二日に実施された。北海道と外地部隊の全面的な戦闘停止(同二二日発令)は同二五日に実施された」。また、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日が「終戦」の日だという考えもある。

 8月15日が終戦の日になっていくのに大きな役割を果たしたのが、メディアであることを、著者は実証的に明らかにしていく。まず、「玉音写真」が人びとの記憶を印象づけ、新聞の特集報道、ラジオのお盆番組、さらにテレビで甲子園球児の黙祷シーンが放映され、8月15日は日本人にとって決定的な「終戦の日」になっていった。そして、1963年の「全国戦没者追悼式実施要項」で法的に終戦記念日が8月15日に定められ、82年には正式名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が閣議決定された。

 「本書は、「終戦」をめぐる歴史的記憶のメディア研究である」。著者が「8月15日の終戦記念日」に疑問をもったことからはじまった数々の疑問は解明され、メディア研究としての本書の目的は達成されたことだろう。だが、まだ課題は残されている。とくに、歴史学として。

 まず、歴史学を研究している者にとって、近代文献史学では外交文書の調印・批准・発効が重要な意味をもつため、8月14日付の「終戦の詔書」、9月2日の降伏文書の調印、1952年4月28日の講和条約の発効が制度史としての節目になる。8月15日が重要な日となるのは皇国史観として、あるいは本書で明らかになったようにお盆と結びついた日本社会史としてである。また、外国史研究としては、現地日本軍が降伏し、武装解除した日などが終戦の日である。フィリピンでは9月3日、英領マラヤでは9月12日となる。このようにいくつもの「終戦の日」が出現するのは、学問としての歴史学でその基準をはっきりさせてこなかったことによる。教科書記述のばらつきも、この歴史学にたいする日本人研究者の曖昧さが原因と考えられる。

 つぎに、「玉音写真」がやらせであったり、時間的なずれがあったりした問題が本書で明らかにされたが、当時の報道のあり方について考える必要があるだろう。現在、ドキュメンタリー番組が、効果音などさまざまな技術で脚色されているように、読者にわかりやすく、印象深くするために工夫したことが、いまでは「やらせ」と言われたり、「正確ではない」言われて非難されているのかもしれない。その意味で、本書が歴史的に「メディアの検証を通じて、戦後日本を問い直」したことは、的を射ている。歴史事実ではない「玉音写真」が、「事実」として人びとに受け入れられ、伝えられていくことは、現在わたしたちが歴史事実と信じているものが、「事実」ではない可能性があることを示唆している。もはや検証すべき手段をもたない「歴史事実」を、わたしたちはどう考えていったらいいのだろうか。このことは、近代実証主義的文献史学の再考のきっかけになっても、歴史学そのものの重要性の否定には繋がらない。むしろ、歴史学の考察の範囲が広がり、歴史学の重要性が増すということができる。問題は、「世界標準」が近代文献史学に基づいているのにたいして、「日本標準」が学問としての歴史学としては明確さを欠いていることである。そして、歴史教育には、別次元の問題がある。「終戦の日」をめぐる混乱は、どうやら日本における歴史学、歴史教育の問題のようだ。

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