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2006年05月09日

『歴史学入門』福井憲彦(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書は、著者福井憲彦が1997年から担当した放送大学「歴史学の現在」のために作成した教科書が基になっている。4年後に改訂新版を出し、本務校の学生を相手に講義して、学生の反応や感想文を参考にしているだけに、かなりこなれた教科書になっている。12回の講義を想定したつぎの題目を見ただけで、歴史学の基本と近年の歴史学の傾向がよくわかる。

  1 歴史への問い/歴史からの問い   2 証拠としての史料・資料   3 歴史の舞台としての環境   4 時間の認識と時代区分   5 歴史の重層性と地域からの視線   6 グローバルな歴史の捉え方   7 身体と病と「生死観」   8 歴史人口学が拓いた地平   9 人と人とを結ぶもの   10 比較というまなざし   11 政治と文化の再考   12 歴史と記憶または歴史と現在

 歴史学に自然科学のような共通する絶対的な基礎知識はないが、同時代資料である原史料を基本とすること、時代区分をつねに考えること、このふたつをはずすことはできないだろう。そのほかは、近年の優れた西洋史研究の成果を念頭におけば、以上のようなテーマをとりあげることができるということだろう。本書巻末の「参考文献」では、「西洋史関係を中心に」日本人によるものと翻訳物が仲良く並んでいる。

 日本の大学で「史学概論」といえば、西洋史の教員が担当するものと相場が決まっている。それが、日本における歴史学の大きな問題点だろう。日本史や東洋史の研究成果とをあわせて、歴史学という学問が構築されていないために、安直に西洋史研究の成果を基に「史学概論」を語ることになるのである。著者はそのことを充分に理解しているからこそ、いろいろと工夫をしている。しかし、著者の工夫にも限界がある。それは、参考にすべき研究成果が充分でない国や地域、テーマがあまりにも多いからである。

 たとえば、本書ではバリの写真を多用し、西洋と比較し、バランスをとろうとしているが、そのバリの歴史について知っている日本人はまずいない。本書でとりあげた文化の独自性は、1908年にオランダ植民地行政に組み込まれるまで、バリが外界から政治的に孤立していたことによる。もちろん、それまでオランダの植民地になどなっていない。いまのジャカルタにオランダ東インド会社が貿易根拠地をおいた1619年以来、バリを含む現在のインドネシアがオランダの植民地になった、と多くの日本人が勘違いしている歴史とは違うのである。ジャワ島でさえ、全島がオランダの影響下におかれたのは18世紀半ばのことである。

 本書にある「史資料の性格分類」は、実におもしろい。建築史とモンゴル史を専門にしている人に手を加えてもらったために、文献史料はわずか2行、準文献史料は3行しかない。それにたいして、非文献史料は30行近くになっている。文献史料を中心とした近代歴史学が語った歴史が、いかにほんの一部の史料を使っただけの成果であるかを如実に物語っている。そして、これまでの歴史が、いかに偏った見方しかできなかったかが、この分類を見るとよくわかる。ランケをはじめとする西洋史研究者が中心となって発展した近代文献史学からの訣別が、これからの歴史学の発展のための大きな鍵概念になることを示している。

 その意味で、本書の「1 歴史への問い/歴史からの問い」の「三 歴史と現在」は、E. H. カーの有名なことば「歴史とは現在と過去の対話である」を念頭においたものであろうが、これは近代に通用した進歩主義史観の概念で、先の見えない「未来への展望」も忘れてはならないだろう。本書評ブログでもとりあげ、本書の「参考文献」にも載っている入江昭『歴史を学ぶということ』(講談社現代新書、2005年)の結論、「歴史家としても、過去を共有するのみならず、将来をも共有する努力をすべきだ」というのが、日本の歴史研究者に欠けているように思える。

 もうひとつ気になったのは、「高等学校学習指導要領」の影響が感じられないことだ。そこには、世界史は「我が国の歴史と関連付けながら理解させ」、日本史は「世界史的視野に立って総合的に考察させ」と書かれてある。ともに、東アジア世界のなかでの日本を理解するよう指導している。この「学習指導要領」や高等学校世界史教科書では、「内陸アジア」という地域名称はあっても「中央アジア」という表現はない。にもかかわらず、大学入試センター試験や各大学の入試問題などでは、研究者が一般に使う「中央アジア」という地域名称が使われている。大学の歴史教育は、まず「高等学校学習指導要領」を踏まえてなされるべきだろう。高校の歴史教育との違いを明確に理解してもらってからでないと、そのギャップはあまりにも大きい。それにしても、なぜ違いが存在するのだろうか。その違いは必要なのだろうか。日本の歴史教育はなにか変だと感じているのは、わたしだけなのだろうか。

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