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2006年04月04日

『語りべの海』森崎和江(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 学生のときに読んだ本から感銘を受け、その本の著者の密かなフアンになった経験は、だれにでもあるのではないだろうか。そして、後になって読み返して、がっかりすることもあったのではないだろうか。自分自身が進歩したからである。ところが、本書の著者は違う。学生のとき『からゆきさん』を読んで、ホンモノだと思った。当時は、フェミニズム運動がさかんで、戦前に東南アジアに渡り、老齢期を迎えた日本人売春婦「からゆきさん」のことをとりあげたノンフィクションが話題になり、映画化もされた。しかし、本書の著者は、地道に地方新聞などを読みあさり、地元の人の日常生活のなかで「からゆきさん」を語り、話題性を越えたものを感じさせた。それから30年たっても、『からゆきさん』は読みごたえがある。そして、この新刊を読んで、この30年間の自分の進歩のなさを思い知らされた。

 2週間前のこの書評ブログで、「読むこと」「観ること」「共に生きること」の重要性を書いた。著者の森崎和江さんは、それをずっと実践して、書いている。「観ること」は「読むこと」を確認することでもなければ、補足するものでもない。「観ること」は「共に生きる」ために必要なことであり、「共に生きること」のために「観ること」をしようとすると「読むこと」の重要性に気づく。この3つの相関関係がわかって実践することは生やさしいことではないが、本書の3章のタイトル「漁民の声」「潮風に吹かれて」「交流の海へ」を見ただけで、それが実践されていることがうかがえる。

 本書の内容をもっともよく表しているのは、つぎの1節だろう。「私は海沿いの旅をしつつ民俗研究者の書を読みあさっていた。そして、波津や鐘崎の海女舟の人びとと出会い、漁業の生ま身が放つ実相を靄の彼方に感じるかに思った。が、その出会いから間もなくだった。海女唄が消え、海も陸も一変した。溢れ出す情報の中で消えてゆく森林。里山。開かれる居住地。移住する市民とゴミの山。私も移り住む。しかし、移りゆく時代の中で人びとは生きる。個々に新たな旅立ちに直面しながら。苦しみを乗り越え、試練の海に向かう。二十一世紀の海を、陸地を」。宗像に移り住んでから著者は、「それぞれの浦を、そして内陸を、散策してたのしんで来た。宗像大社や神宝館をはじめとして、各地の社や海の神や田の神、そして民間伝承の神々に合掌して暮らす地元の声に耳を傾けては海を眺め空を仰ぎ、今日に到っ」ている。

 「福岡県北部地方の玄界灘を川向うに渡った中学校長の長女として十代後半」まで朝鮮で育ち、終戦の前年に帰国した著者には、九州北部から朝鮮半島にかけての海の世界が、ひとつの空間として見えている。宗像大社の秋季大祭のみあれ祭には、宗像七浦の漁船約400艘が巡行する。宗像三女神、沖ノ島の沖津宮の田心姫神、大島の中津宮の湍津姫神、田島の辺津宮、つまり宗像大社の市杵姫神が、年に一度集う。大漁旗をなびかせた漁船は、前2女神が海を越えて大社にやってくるのを警護する。これらの漁船は、宗像七浦に限られていない。この海上パレードは、写真で見ても、ビデオで見ても圧巻である。もともとこの地を地盤としていた海人・海士の阿曇族の世界が、再現されているかに見える。著者は、この文献ではなかなかわからない朝鮮半島につながる海の世界を、からだ全体で感じ、一つひとつのことばに凝縮して、詩で表現している。

 そんな著者のことを、逆に漁民はしっかり観ていた。家族船に招かれて海を眺めていた著者に、船長はつぎのように声をかける。「ほら、海の中。見えるやろ、はつしろ。あんた、よう書いとった。何回も何回も読んでね、あの波津の人の話はよかったな。なかなかあそこまで書いてあるとは、なか。そのはつしろがここ。この海の底」。

 本書を読むと、学者振って、「臨地研究」だの「空間論」だのと言っていることが、恥ずかしくなってくる。

 本書を読んですぐに、たまたま対馬に行く機会があった。1日早く出発して、2時間ほどしかなかったが、著者の住む高台の下をバスで通って宗像大社に行った。宗像も対馬も、歴史と文化がすくなくとも3度書き換えられたと感じた。古代大和朝廷の誕生とともに天皇家の神話に組み込まれ、明治政府の成立とともに国家神道と結びつけられた。そして、近年、観光産業に利用されている。文書として重要なことを残さないのが、海洋民や遊牧民の世界の共通点である。モンゴル帝国も漢化して元王朝を築くまでは、文書を重視しなかった。現代のアルカイダもそうだという。文書として記録を残さない海人にかわって、大和朝廷も明治政府も、そして市町村の「観光開発課」も、海の世界を理解しないままに勝手に歴史や文化を文書として記録していった。海人の歴史や文化は、文字では表現されなかった。だから、耳をすませて聞くだけの知識と能力を身につけなければ、わからない。

 本書は、つぎのようなことばで終わっている。「私には鐘崎海女との出会いは救いの船だった。終戦直後に志賀島で志賀海神社の宮司に聞いた阿曇族は男海人、海士であった。当時の女性蔑視の国内状況から、どのような形で女性界を解き放てばいいのか、私は父母の対応する家庭の延長が日本だと思っていたのだ。日本探しはわが道探しである。生き直しの旅であった。海。その海を交流の海へと、わが老後を生きる」。

 「語りべの海」から学ぶことは、実に多い。

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