« 2006年03月 | メイン | 2006年05月 »

2006年04月25日

『長崎出島 オランダ異国事情』西和夫(角川書店)

長崎出島 オランダ異国事情 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 長崎の出島に行かなくても、http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima/index.htmlを見れば、「甦る出島」が「出島ヒストリー」「もの知り眼鏡」「史跡・建造物めぐり」「新しい出島の誕生」と手に取るようにわかり、いろいろな疑問にも答えてくれる。最新の情報は、「美由紀の出島日記」が教えてくれる。実際に復原された出島を訪れると、日本人の通詞(通訳)が展示のなかに映像で出てきて、説明をしてくれる。しかし、その復原された建物も、説明された日常生活も、そんなに簡単にわかったわけではないことが、本書を読んではじめてわかった。

 著者、西和夫の専門は、日本建築史で、「長崎市設置の建造物復原検討委員会のまとめ役として」出島の復原に取り組んだ。素人考えでは、建物の絵や模型があったことから、簡単に復原できるものと考えられた。ところが、建築史が専門である著者の目でみれば、「絵を調べてすぐにわかったのだが、描写は矛盾だらけで、それをもとにして建物を建てることはできない。また模型はあくまでも模型で、それを拡大すれば建物になるわけではない」ということがわかり、「資料集めからスタートし」、「基礎的な問題から検討しなければならなかった」。

 著者は、その検討作業を通じて、出島の実態がわかっていないことを痛感することになった。そして、「建物の正確な位置、間取り、あるいは外観、これらは、復原検討委員会の検討の結果、はじめてわかってきた」。「そのような検討の成果を、広く読者にお伝えしよう、これが、本書の最初の主旨であった。また、建物の検討を通して、人のこと、時代のことなど、さまざまなこともわかってきた。それもぜひお伝えしたい。出島を理解するためには、出島の中だけでなく、より広い視野をもつことも大切だ。オランダ人の墓のあった悟真寺、長崎から江戸へ行く人たちの通った長崎街道、そして出島に出入りした多くの人々のこと。それを総合させた時、はじめて出島がどのような場所だったかがわかってくる。出島のオランダ商館は日本の歴史の中でどのような役割を果たし、どのような意義をもっていたのか、それが次第に見えてくる。これも本書の大切な内容である」ということで、本書のような内容になった。日蘭交渉史を専門とする文献史学だけではわからないことが、建造物の復原を通してわかってきたという意味で、本書はひじょうに興味深い。

 本書を読んで、もうふたつ別の視点があると、もっと出島のことがわかるような気がした。ひとつは、オランダのライデン大学付属植物園に、商館医のシーボルトが持ち帰った日本の植物が植えられていることである。逆に、出島資料館の側には、県の天然記念物に指定されているデジマノキがある。これは、東南アジアに分布するナンヨウスギ科の植物で、出島のオランダ人が移植したものと考えられている。長崎市内の公園にも街路にも、日本ではあまりお目にかかれない外来植物がみられる。長崎には、蘭館だけでなく、中国人のいた唐館もあった。唐船とよばれた中国船も入港していた。そのなかには、いまのタイやカンボジアからの「唐船」もあった。外来植物が、「鎖国」とは違う事実を物語ってくれはしないだろうか。

 もうひとつは、本書の「コーヒーを飲む」のところで、「もしかすると、フィルターで濾さなかったのだろうか」と述べていることから、著者にインドネシアの知識がないことがわかった。オランダ船は、ジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)から出島にやって来た。いまのインドネシアなどでは、炒った豆を粉末にしてお湯を入れ、粉末が沈殿するのを待って、その上澄みを飲む。粉末だから、フィルターの目を通らない。出島のオランダ人も、そのようにして飲んだ可能性がある。また、本書では、「蘭館図」に描かれているインドネシア人のことが、まったく書かれていないが、川原慶賀などが描いた出島にはけっこう登場している。数人で西洋の楽器を演奏したり、バドミントンを楽しんだりしている。「甦る出島」では、「オランダ人の身の回りの世話をする黒人奴隷」と書かれているが、明らかにバタヴィアからお供をしてきたインドネシア人だ。給仕をしたり子守をしたりしているだけでなく、楽団の演奏者もいるので、インドネシア人のことがわかれば、もっと出島の生活の様子がわかっただろう。

執筆者からのお断り
 この書評ブログを担当して、丸1年になりました。最初お話をいただいたときに言われた「最低1年間、毎週更新」を実現したことになります。毎週定期的に更新することによって、固定読者がいることがわかり、励みになりました。この場を借りて、お礼を申しあげます。その読者のみなさんに、お断りをいたします。この1年を機に、投稿回数を減らすことにしました。講座ものなどの論文集や書評ブログでとりあげにくい本の読書数が減ったためです。これからは、毎週火曜日の10時になると更新されているというわけにはいきませんが、追々勉強になったこと、考えたこと、「愚痴」などを書いていきたいと思っております。今後とも、よろしくお願いいたします。


→bookwebで購入

2006年04月18日

『歴史和解は可能か-東アジアでの対話を求めて』荒井信一(岩波書店)

歴史和解は可能か-東アジアでの対話を求めて →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 2月11日の建国記念日の朝、靖国神社に行った。街宣車の垂れ幕には、「小泉改革」の文字がある。数人から百人を超える団体まで、参拝者が後を絶たない。本殿では、建国記念祭が行われている。最近外国の報道で目立ち、韓国の盧武鉉 (ノムヒョン)大統領も訪問したいという靖国神社の付属施設、遊就館(戦争博物館)の友の会入会案内には、つぎのような「お願い」が書かれていた。「昨今の学校教育では、日本の近代史が正しく子供たちに伝えられず、ともすれば、日本は戦争で悪いことをしたというような、自虐的な教育がなされております。遊就館には、英霊のご遺品、ご遺書をはじめ日本の近代史を見て、触れていただくためのたくさんの史資料があります。ご遺族、戦友をはじめ崇敬者のみなさまには、何卒本会の趣旨にご理解賜り、是非お子様お孫様をはじめ、若い方々にご入会をお勧めいただきたくお願い申し上げます」。そして、その遊就館の売店には、『首相の靖国神社参拝は当然です! そこが知りたい19のポイント』(日本会議編、明成社、2005年、48頁、286円+税)という小冊子が積まれていた。

 どの世論調査でも、首相の靖国参拝については賛否両論で、国を二分していると言ってもいいだろう。遊就館にある本やパンフレットを読んだ者は、賛成にまわるだろう。いっぽう、本書を読んだ者は、反対にまわる者が多いだろう。しかし、本書は、賛成か反対かを判断するために書かれたわけではない。著者は、「あとがき」で、「第二次世界大戦における日本の戦争による加害と被害の歴史について、戦争の傷跡の修復や記述、記憶のされ方の軌跡をたどり、歴史和解の可能性を考えてみた。一定の結論をだすことよりも歴史和解の可能性について前向きの議論をおこすことに本書の狙いがある」と述べている。そして、そのために「日本の対応を総括し、韓国・中国等での自国史及び日本批判への視点を歴史的に検証し、各国固有の歴史問題にも着目」し、「複雑な問題群を複眼的思考で考察」している。

 著者のように、「東アジアで噴出する歴史問題」について、なんとかしなければならないと考えている知識人はすくなくない。しかし、本書のように理路整然と問題を整理し、対話のために必要な知識を提供し、最後に和解のための提言をおこなっている人は、それほど多いわけではない。日本側の「歴史問題」では、日本人の戦争にたいする知識のなさが指摘され、対話にならないと言われる。学生を見ていると、生半可な知識で賛成、反対をいう者と、もう何を判断材料にしていいかわからず考えようともしない者に二分される。実際、日本人学生と中国人学生らとのあいだでディスカッションをしてもらったことがあるが、議論にならなかった。「被害者は記憶し、加害者は忘れる」と言えばそれまでだが、対話の前提がないという絶望を確認できた。今度は、遊就館で売られている小冊子と本書を読んでもらってから、ディスカッションするという手が使えそうだ。

 だが、気になるのは、ナチズムの創始者、アドルフ・ヒトラーの大衆動員にも通じる「ワン・フレイズ・ポリティックス」を使った政治手法で、民意を問うやり方だ。「ゆとり教育」でものごとを簡略化して学び、インターネットで無差別に知識を拾っている若者に、本書を1冊丸ごと読んで、理解してもらうことはやさしいことではない。文学部でさえ、1年間に1冊も読まない学生は珍しくない。読んでも、部分的にしか読んでいない。著者の言う「事柄を単純化して説明責任を果たさないという以上の意味を現代政治のうえにもっている」、という以上に事態は深刻かもしれない。

 著者は、さらに「終章 歴史和解は可能か」でつぎのように述べている。「政治が暴力性を統御する技術であり、言葉の技術であることをここで強調するのは本章の主題である和解のためには政治の果たす役割がきわめておおきいからである。言葉のウエイトの低下は、統御の技術としての政治の劣化にほかならない。これまで各章で分析してきたように日本の外交的行き詰まりの根底には歴史問題がある。しかもさまざまな要因から歴史問題は多角化しグローバル化し、大衆の感情との連動も深まっている。しかし靖国問題では首相は「個人の信条(心情)」を繰り返しのべるばかりである。補償問題についても外務省は一〇年一日のように「諸条約で解決済み」と答えている」。

 国民に向けた「ワン・フレイズ・ポリティックス」は、郵政民営化にイエスかノーかなら、まだ通用するが、「古典的な産業社会の形成期に西欧を中心に発生した国民国家の枠組みに明白な変化があらわれた」21世紀の国際社会では、国民向けの政策が国際的に大きな問題になることがある。国家の役割の比重が低下しているなか、国家間の取り決めだけでなく、国家と個人の関係も重視されるようになってきている。本書で、和解のために「個人補償」が提案されているのも、時代の変化に則ったものだ。2000年に、新宿住友ビル31階に平和祈念展示資料館が開館した。恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者が補償を求めているが、海外では慰安婦や強制連行された者だけでなく、多くの個人がさまざまな理由で日本政府に補償を求めている。戦争当時、日本兵として戦地に行ったにもかかわらず、戦後日本国籍を失ったとして、軍人恩給・傷痍恩給・遺族年金などを受け取ることができない朝鮮人や台湾人。日本占領下で、日本のために働き未払いの給料を求めている人たち、貯蓄奨励策にしたがって預けたお金の引き出しを求めている人たち。日本軍が残した化学兵器のために、現在でも犠牲者が出ていることから、その除去を求めている人たち、などなど。いま、2国間関係の時代から、日本人と外国人の個人が連帯して戦争被害を訴えることもできる時代になってきている。

 和解への道は、まず、「いま」という時代を理解することから、はじめる必要がある。賛否両論のある意見も、どちらが外国でも通用するかを考えることも、重要な判断材料になる。そして、二者択一の近代的な考えから脱却し、反対論者の声に耳を傾けるところから、対話ははじまるだろう。本書が難しすぎると感じる人は、本書でもとりあげられている日中韓3国共通歴史教材委員会編著『日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史-東アジア3国の近現代史』(高文研、2005年)を読むことからはじめるのもいいだろう。本書からさらに発展して、本格的に勉強したい人は、2005年11月から毎月刊行されている『岩波講座 アジア・太平洋戦争』(全8巻)を足がかりにすると、「いま」という時代のための「戦争の歴史」がみえてくる。

 最後に、また東南アジア研究者として、ひと言。本書では、中国や韓国との関係だけでなく、広くアジア系アメリカ人、ハワイやグアムの先住民にまで議論が及んでいながら、なぜ東南アジアは、「補遺」で申しわけ程度にしか語られないのか。その原因のひとつは、本書で指摘されているアジア歴史資料センターの「本来の目的として約束されたアジア諸国の所蔵史料の収集」が手つかずのままであることだ。東南アジアが議論されないのは、著者だけの責任ではない。東南アジアの研究者による研究の発展と、日本人研究者による東南アジアの原史料の利用がすすんでいないからだ。「大東亜共栄圏」構想に含まれた東南アジアの存在を抜きにして、和解への対話はない。早急に研究環境を整え、日本中心でもなく、東アジアや日米関係中心でもない、「アジア・太平洋」という日本がつくりだした戦争空間を理解したうえで、対話する必要があるだろう。

→bookwebで購入

2006年04月11日

『国際テロネットワーク-アルカイダに狙われた東南アジア』竹田いさみ(講談社現代新書)

国際テロネットワーク-アルカイダに狙われた東南アジア →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書でとりあげている1990年ころからの東南アジアを、わたしもよく歩いた。ニュース報道としてとりあげられる事件と、実際に自分が見聞きした社会がどう結びついているのか、いまひとつよくわからなかった。それが、本書を読むことによって、多くの謎が解けた。

 「伝統的な書斎派タイプではなく、明らかに現場主義の研究者である」著者の竹田いさみは、本書の目的を「まえがき」でつぎのように述べている。「世界を見渡すと、実にさまざまなイスラム過激派やテロ組織が存在することに驚かされる。数あるテロ組織のなかで、本書ではアルカイダおよびアルカイダ系と呼ばれるテロ組織に限定して、その国際的なネットワークをあぶり出そうとしている。なぜ、アルカイダは東南アジアに進出したのか、またなぜ、東南アジアはそれを許したのか、その謎に迫りたい」。

 続けて、本書の構成と内容の要約を、つぎのようにしているのでわかりやすい。「第1章では、アルカイダの誕生から現代までの変化を追い、その組織の求心力とは何だったのかを考える。現代史のなかでアルカイダを捉えてみたい。第2章では、アルカイダが東南アジアに進出した要因をさまざまな角度から検証する。第3章では、東南アジアにおいて、どのようなアルカイダ系のイスラム過激派やテロ組織が存在し、なぜアルカイダと提携したのか、また、どのような国際テロネットワークを形成したのかを探る。第4章では、国際テロ組織やイスラム過激派と呼ばれる集団がどうやって資金を調達してきたのか、そのメカニズムを説き明かしたい。終章では、アルカイダの進出によって明らかにされた東南アジア地域の抱える問題を整理し、先進諸国、あるいは日本の役割について言及してみたい」。

 本書によって、大方の読者は「国際テロネットワーク」の概略を、理解できただろう。しかし、本書だけで満足することはできない。それは、著者への不満ではなく、本書が扱ったテーマが、ひとりの研究者、ひとつの研究分野だけで、扱えきれるようなテーマではないからである。マクロ的には、本書でも述べているように、「ちょうど米国経済のグローバル化とほぼ歩調を合わせるように、テロ組織における資金調達のグローバル化も進んだ」ことの検証が必要だろう。ミクロ的には、「なぜ、アルカイダは東南アジアに進出したのか、またなぜ、東南アジアはそれを許したのか」という著者自身の問いに、まだ充分に答えられていないことに答えることだろう。著者もそのあたりは承知していて、「あとがき」で「英語のみで調査」することへの「ご批判は覚悟のうえである」と予防線をはっている。「ご批判」するつもりはないが、東南アジアの民族間関係や社会の成り立ちは、一朝一夕に理解できるものではない。それが、インド洋を跨ぐ歴史的な積み重ねのうえでのイスラームとのかかわりが絡み、文献を重視しないイスラームや海域世界となると、いかにこのテーマが難しいかがわかってくるだろう。さらに、フィリピンではジャーナリストが殺害される報道が絶えない。世界有数のジャーナリスト受難の国だ。著者が終章で提起する国際テロネットワークの「根絶」策も、これらマクロとミクロの充分な把握があって、効果を発揮するだろう。それだけに、本書が議論の土台を提供した意味は大きい。

 それにしても、フィリピンは不思議な国だ。歴史的にみれば、16世紀後半に当時世界の最強国であったスペインの支配がはじまり、19世紀末には20世紀の最強国家アメリカ合衆国の植民地になった。日本の占領も、3年間以上経験した。フィリピンから宗主国を通して、世界も時代もみえてくる。しかも、中心からではなく、周辺という違った角度からみえてくる。今度は、本書からも明らかなように、フィリピンを通してテロ組織の実態がみえてくる。これらのことから、フィリピンを事例研究することの意味が、ひじょうに大きいことがわかるだろう。しかし、なぜ、この国から貧困が消え去り、正義がやってこないのか、もう30年間もつきあっているのに、みえてこない。

→bookwebで購入

2006年04月04日

『語りべの海』森崎和江(岩波書店)

語りべの海 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 学生のときに読んだ本から感銘を受け、その本の著者の密かなフアンになった経験は、だれにでもあるのではないだろうか。そして、後になって読み返して、がっかりすることもあったのではないだろうか。自分自身が進歩したからである。ところが、本書の著者は違う。学生のとき『からゆきさん』を読んで、ホンモノだと思った。当時は、フェミニズム運動がさかんで、戦前に東南アジアに渡り、老齢期を迎えた日本人売春婦「からゆきさん」のことをとりあげたノンフィクションが話題になり、映画化もされた。しかし、本書の著者は、地道に地方新聞などを読みあさり、地元の人の日常生活のなかで「からゆきさん」を語り、話題性を越えたものを感じさせた。それから30年たっても、『からゆきさん』は読みごたえがある。そして、この新刊を読んで、この30年間の自分の進歩のなさを思い知らされた。

 2週間前のこの書評ブログで、「読むこと」「観ること」「共に生きること」の重要性を書いた。著者の森崎和江さんは、それをずっと実践して、書いている。「観ること」は「読むこと」を確認することでもなければ、補足するものでもない。「観ること」は「共に生きる」ために必要なことであり、「共に生きること」のために「観ること」をしようとすると「読むこと」の重要性に気づく。この3つの相関関係がわかって実践することは生やさしいことではないが、本書の3章のタイトル「漁民の声」「潮風に吹かれて」「交流の海へ」を見ただけで、それが実践されていることがうかがえる。

 本書の内容をもっともよく表しているのは、つぎの1節だろう。「私は海沿いの旅をしつつ民俗研究者の書を読みあさっていた。そして、波津や鐘崎の海女舟の人びとと出会い、漁業の生ま身が放つ実相を靄の彼方に感じるかに思った。が、その出会いから間もなくだった。海女唄が消え、海も陸も一変した。溢れ出す情報の中で消えてゆく森林。里山。開かれる居住地。移住する市民とゴミの山。私も移り住む。しかし、移りゆく時代の中で人びとは生きる。個々に新たな旅立ちに直面しながら。苦しみを乗り越え、試練の海に向かう。二十一世紀の海を、陸地を」。宗像に移り住んでから著者は、「それぞれの浦を、そして内陸を、散策してたのしんで来た。宗像大社や神宝館をはじめとして、各地の社や海の神や田の神、そして民間伝承の神々に合掌して暮らす地元の声に耳を傾けては海を眺め空を仰ぎ、今日に到っ」ている。

 「福岡県北部地方の玄界灘を川向うに渡った中学校長の長女として十代後半」まで朝鮮で育ち、終戦の前年に帰国した著者には、九州北部から朝鮮半島にかけての海の世界が、ひとつの空間として見えている。宗像大社の秋季大祭のみあれ祭には、宗像七浦の漁船約400艘が巡行する。宗像三女神、沖ノ島の沖津宮の田心姫神、大島の中津宮の湍津姫神、田島の辺津宮、つまり宗像大社の市杵姫神が、年に一度集う。大漁旗をなびかせた漁船は、前2女神が海を越えて大社にやってくるのを警護する。これらの漁船は、宗像七浦に限られていない。この海上パレードは、写真で見ても、ビデオで見ても圧巻である。もともとこの地を地盤としていた海人・海士の阿曇族の世界が、再現されているかに見える。著者は、この文献ではなかなかわからない朝鮮半島につながる海の世界を、からだ全体で感じ、一つひとつのことばに凝縮して、詩で表現している。

 そんな著者のことを、逆に漁民はしっかり観ていた。家族船に招かれて海を眺めていた著者に、船長はつぎのように声をかける。「ほら、海の中。見えるやろ、はつしろ。あんた、よう書いとった。何回も何回も読んでね、あの波津の人の話はよかったな。なかなかあそこまで書いてあるとは、なか。そのはつしろがここ。この海の底」。

 本書を読むと、学者振って、「臨地研究」だの「空間論」だのと言っていることが、恥ずかしくなってくる。

 本書を読んですぐに、たまたま対馬に行く機会があった。1日早く出発して、2時間ほどしかなかったが、著者の住む高台の下をバスで通って宗像大社に行った。宗像も対馬も、歴史と文化がすくなくとも3度書き換えられたと感じた。古代大和朝廷の誕生とともに天皇家の神話に組み込まれ、明治政府の成立とともに国家神道と結びつけられた。そして、近年、観光産業に利用されている。文書として重要なことを残さないのが、海洋民や遊牧民の世界の共通点である。モンゴル帝国も漢化して元王朝を築くまでは、文書を重視しなかった。現代のアルカイダもそうだという。文書として記録を残さない海人にかわって、大和朝廷も明治政府も、そして市町村の「観光開発課」も、海の世界を理解しないままに勝手に歴史や文化を文書として記録していった。海人の歴史や文化は、文字では表現されなかった。だから、耳をすませて聞くだけの知識と能力を身につけなければ、わからない。

 本書は、つぎのようなことばで終わっている。「私には鐘崎海女との出会いは救いの船だった。終戦直後に志賀島で志賀海神社の宮司に聞いた阿曇族は男海人、海士であった。当時の女性蔑視の国内状況から、どのような形で女性界を解き放てばいいのか、私は父母の対応する家庭の延長が日本だと思っていたのだ。日本探しはわが道探しである。生き直しの旅であった。海。その海を交流の海へと、わが老後を生きる」。

 「語りべの海」から学ぶことは、実に多い。

→bookwebで購入