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2006年03月28日

『東南アジアの魚とる人びと』田和正孝(ナカニシヤ出版)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 近代になって、流動性の激しい海洋民や遊牧民の世界が侵されつづけている。行動範囲が狭まるだけでなく、生活そのものが成り立たなくなってきている。その変化を利用して、一部の者が一時的に富むことはあるようだが、全体的にはあまり展望は開けていないように思える。しかし、その実態はあまりわかっていない。

 著者の田和正孝は、「長さがあれば長さを測る、重さがあれば重さを量る、数があるなら数えてみる」という基本的な方法のもとに、「ここ十数年、毎年のように島嶼東南アジアの海辺を歩いてきた」。なぜ、歩く必要があるのか、著者はつぎのように語っている。「近年、東南アジアの各国において漁業統計類の整備が進み、漁業をとりまく情報量は格段に増してきている。しかし、小規模漁業を調査していると、統計には反映されない漁獲と取引が多いことに気づかされる。統計の分析だけでは明らかにできないことが非常に多い。したがって、フィールドワークを通じて聞き取りをしたり、人びとの活動を観察したり、様々な測定をおこなったりすることが沿岸漁業を理解するための重要な調査方法となる」。いまだ、近代に侵されていない海の世界の領域が存在しており、それを明らかにしようというのだ。

 本書の構成と内容の要約は、「まえがき」でつぎのように簡潔にまとめられている。「本書は序論とそれに続く三部から構成される。序論では、東南アジアの沿岸漁業を読みとくために「漁業環境」、「漁業地域」、「資源管理」、「漁業技術」などのキーワードについて考えておきたい。第Ⅰ部は資源管理にかかわる問題を扱う。マラッカ海峡における漁業の背後に潜む「越境」という問題、そして南タイを事例に漁業者の地域固有の知識に基づいた資源管理の実態について分析する。第Ⅱ部は水産物がグローバリゼーションとローカライゼーションのはざまでいかにして動いているのか、そのことを、近年ブームになっている活魚流通と、半島マレーシアの塩干魚生産を通じて考えてみる。第Ⅲ部は変わる東南アジアの海辺を、半島マレーシアの華人漁業地区とフィリピンの内海漁村の変容過程からながめてみたい」。

 「フィールドノートとボールペン、メジャーとばねばかりを携え」た著者とともに歩む「東南アジアの魚とる人びと」に出会う旅は、たんなる局地的なものの発見だけではない。地球規模の現代の問題が見える旅でもある。環境、資源、国境、グルメなど、プチブル的思考(今風に言えば、セレブ的嗜好か)で日常生活している者が気づかない問題が、つぎつぎに目の前に展開される。そして、それらにたいする「漁業者の知恵」に驚かされる。しかし、それも市場論理や資源開発の前に、押しつぶされていく。「これまで調査した沿岸漁業地域の実情を報告した」本書から、著者はつぎのような結論を導き出している。「生産者と消費者との関係を一本の川にたとえてみた時、川下で消費生活をしている人びとと川上で生産をになう人びととは互いに影響を及ぼしあうはずである。そのことを認識し、川下の者が生産に直接関わる人びとの社会や生活様式を知ることは、地域を理解する糸口となる。それのみならず、様々なポジションで漁業に関わる人びとが、漁業に対して責任ある行動をおこすことにもつながるはずである」。

 「漁師と一緒に汗をかいてみないか」という生産者の求めに、著者はいまだ応じていないが、机上の学問を越えた生産者の声が聞こえてきたことは確かである。その声がどこまで消費者に届くか、どこまで先進国の消費者が日常生活を越えて考えることができるかが、問われている。

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2006年03月21日

『貧困の民族誌-フィリピン・ダバオ市のサマの生活』青山和佳(東京大学出版会)

貧困の民族誌-フィリピン・ダバオ市のサマの生活 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 かつての人文・社会科学系の研究者は、「読むこと」を中心に研究した。それが、メディアの発達、交通の発達、研究費の増加などによって、研究手法に「観ること」が加わり、文献資料のすくない途上国を中心に臨地研究(フィールドワーク)が発達してきた。しかし、その臨地研究の手法が充分に確立しないうちに、つぎの「共に生きること」を研究の前提としなければならない時代に突入してしまった。

 かつて民族誌のための人類学的調査は、調査者の生活とは無縁の異文化を客観的に観察し、考察・分析すればよかった。それが、本書では、驚くべきことが、つぎのようにスラリと書かれている。出産後に出血が止まらず母親を亡くした赤ん坊が、乳のないままに「極端に痩せて明らかに脱水症状」に陥っていた。「調査助手やサマの近隣の人びとがあれこれと相談しているのを眺めているうちに-おそらく福祉に任せるのだろうと思いながら-、どういうわけか、わたしたちが預かって育てることに決まってしまった。断りようもなく、結局、半年間ほど-あらゆる友人と隣人に協力してもらいながら-赤ん坊が死んでしまわないように手を尽くすしかなかった」。

 このグローバル化の時代に、もはや自分の生活とまったく無縁な世界は存在しない。世界中のあらゆる人びとの日常生活が、なんらかのかたちで自分の日常生活と結びついている。著者の青山和佳は、調査対象としての社会ではなく、「共に生きること」を前提として調査しているからこそ、赤ん坊をひきとって育てるということも、戸惑いながらも実行し、書くこともできたのだろう。この書評ブログでは、わたしにはとてもできない研究手法で調査している若い人たちを、積極的にとりあげて、応援したいと思っている。それは、第一にわたし自身が学ぶことが多いからである。

 本書の目的は、「はじめに」の冒頭でつぎのように書かれている。「本書では、経済的な意味での「貧困」が人びとの暮らしぶり-「生きる営みの総体」、つまり文化(略)-に、どのように関わっているのかという問題について、いま一度、現場に身を置き、人びとの話をききながら論考した成果を伝えたい。研究の主題は、この作業を通じて、貧困の実体的理解に資する見方を探すことである」と。そして、「日々の暮らしのなかにおいて、他者との関わりのなかで絶えず生成、変化するエスニック・アイデンティティ(略)をひとつの鍵概念」とする「テーマにより、既存の開発経済学的な枠組みではとらえきれない、「貧困」を生きる人びとの「生活の質」を可能な限り包括的に把握することをめざす。同時に、その暮らしぶりをマイノリティと他者との関係-包囲社会を構成するさまざまなエスニック集団との非対称な経済的・政治的関係-の下に、より深く理解しようと試みることも本書の目的である」とし、さらに、著者は「貧困者を個別社会の価値観や文化を担った主体としてとらえることの必要性を訴え」、「開発経済学における貧困研究と人類学的な民族誌の手法とを橋渡ししよう」という大きな目的意識ももっている。

 著者は、「結果的には、価値前提を含む分析の枠組みが揺れ続けたことと、途中から一次資料の分析に没入してしまったことから、文献渉猟とそれに基づく論考が不徹底になってしまった。それぞれのディシプリンの可能性と限界を踏まえた上での学融合的な研究には到底至ることはかなわなかった」と反省するが、著者の何よりの強みは、調査対象者との人間関係のなかで収集した豊富な基礎データをもっていることだ。巻末の付録だけでも、本書が優れた研究書であることを証明している。ただし、このデータを研究にほんとうにいかせるのは、収集し整理してまとめた著者本人しかいないだろう。

 著者が本書冒頭であげた目的は、ひとまず達成されたと言っていいだろう。開発経済学のように、普遍化するだけの合理的な論旨がなく、課題が多く残されているが、それが本研究の特色でもある。こういう学融合的研究で、従来のディシプリンをもちだして、不備を指摘することは生産的な議論にならない。この研究成果をどう発展させていくかを、考えていくべきだ。そういうことを踏まえて本書の難点をあげるとすれば、地図がフィリピン全体とミンダナオ島の大まかなものしかないことだ。本書を読むと、調査対象としたダバオ市のサマについて、マクロ的にもミクロ的にも、その行動範囲と人間関係が、もうひとつの鍵概念になるように思える。マクロ的には、フィリピンという国民国家を越えた枠組みがあると同時に、国民国家の枠内でしか考察できない課題もある。ミクロ的には、教会や市場・商店など日常生活に深くかかわる施設との位置関係、5つのグループの住み分けなど、プライバシーを考慮するならデフォルメしたかたちでも、図式化するとわかりやすかっただろう。ほかの研究者が、議論に参加できる「設定」がほしかった。これも指摘するのは簡単だが、自分自身がからだ全体で理解したことを、他人に説明することは容易いことではない。そして、自分自身の調査対象社会での位置づけと、調査者が入ったことの影響についても。

 それにしても、「謝辞」をみると、調査のために多くの研究助成金を得ていることがわかる。受賞もあり、研究成果を刊行するための助成金も得ている。それだけ本研究が、期待され、評価され続けてきた、ということができるだろう。研究環境がよくなってきたことが、本書のような斬新な研究を後押ししたことも事実だ。しかし、著者と同じような調査が、だれにでもできるかというと、それは無理だろう。また、著者自身も、今後調査対象を拡大したいと述べているが、同じ手法でうまくいくとは限らないだろう。調査者自身も調査対象も、絶えず変化している。ミクロなレベルでは、その変化も激しく、急速なことがある。「共に生きること」を前提とした研究には、まだまだ多くの課題がある。その克服のためには、問題を整理し、本書のような優れた事例をたくさん公開することだ。著者と同じように多くの研究費を得ながら、研究手法や成果の公表のしかたが充分に確立していないために、まとまったかたちで発表できないままでいる若手研究者はすくなくない。それだけに、本書は光る。

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2006年03月14日

『東アジア共同体-強大化する中国と日本の戦略』小原雅博(日本経済新聞社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 東アジア共同体が、現実味を帯びて議論されるようになった。その最大の障壁は、日中歴史問題だという人もいる。どこまで話がすすんでいるのだろうか。著者は、外務省アジア局地域政策課長などを歴任し、1999年に担当課長として「東アジアの繁栄を構想しながら日本の「第三の開国」を提言する「奥田レポート」」構想に携わった人物である。外交の裏側も見えるのではないかと期待しつつ、読みすすんだ。

 本書は、「まえがき」で目的、「あとがき」で結論が明確に書かれており、学生に書評選びの本を探すのに「こんな本を選びなさい」と言えるわかりやすい構成になっている。昨今、単著、単行本でも、著者自身が目的意識・問題意識に乏しいのか、整理ができていないために、学生に推薦できない本が少なくない。学術書でも、論文の寄せ集めで、単行本としての一体性・一貫性のないものは、このブログでもとりあげようがない。

 本書の目的は、つぎのように明確である。「本書は、多様で活力に溢れる東アジアの経済一体化の動きを踏まえ、東アジアの統合に向けた明と暗を明らかにしつつ、「東アジア共同体」を構想し、その実現に向けての条件と方策を探るものである。そして、その鍵を握るのは、名実共に大国として復権し台頭する中国、冷戦後唯一の超大国として東アジアの安定に欠かせない米国、東アジアの繁栄をリードしてきた経済大国日本、そして、東南アジアにおける共同体を模索し東アジア地域主義の議論をリードしてきたASEAN、これら主要プレイヤーの動向と相互の関係である」。そして、外務省の官僚らしく、日本のとるべき外交姿勢をつぎのように示している。「この東アジアの大きな枠組みを見落として表面的な経済の数字や抽象的な政治的言辞に目を奪われていると、問題の本質は見えてこない。今こそ東アジアの実相をしっかりと捉え直し、将来の方向性を見据えながら、「東アジア共同体」を構想しなければならない。その上で、日本の採るべき戦略を決定し、果敢に行動に移さなければならない」。

 そして、「あとがき」で、「日本の強み」は「技術とノウハウを製品に統合する能力の高いトヨタやキヤノンのような大企業から部品や素材一つ一つの良さを錬磨し続ける中小メーカーまで、一体となった「擦り合わせ」型産業」、つまり「ものづくり」であると明言している。しかし、それを維持するために必要なのは、「「人材力」を掘り起こし、新たな挑戦を続けていくしか道はない。それができるか否か、これからの十年が日本の国家としての盛衰の分岐点となろう」と、著者はけっして楽観視していない。

 その「人材力」という点で、最近の学生を見ていると、不安になることがある。どういう能力を大学で身につけて、社会に出ていかすのかが、わかっていない学生によく出くわす。グローバル化のなかでは、日本人のあいだでの競争だけでなく、直接・間接的に職を外国人に奪われることが少なくない。そのことに学生だけでなく、気づいていない人たちがいる。女子バレーボールで、タイが日本からセットを奪ったように、東アジア共同体のなかで労働移動がさかんになると、賃金の安いほかのアジアの若者が日本人の若者の職を奪っていくことになる。競争のためだけでなく、これからの社会を生きるための知識と実力が必要となる。

 東アジア共同体の成立の基本的問題として、本書でとりあげられた経済、安全保障、歴史問題、中国脅威論などのほかに、民際交流の促進の問題があるだろう。共同体は、国家間や経済界の合意だけで、いまや成立するわけがない。共同体が成立すると、モノだけでなく、当然ヒトの往来が激しくなる。対等につきあえるだけの人材の育成と、包容力ある日本社会の形成が、重要な意味をもつことになるだろう。そして、経済格差を超えて、互いの歴史や文化を尊重できるだけの知的教養を、日本人一人ひとりがもてるかどうかも、日本人が共同体内でリーダーシップを握ることができるかどうかの大きな鍵となるだろう。そのとき、同時に自分たちの歴史や文化を尊重し、多文化社会のなかで協調しながらいかにそれを守るのか、という考えも生まれてくるだろう。日本の「人材力」と「社会力」が試されることになる。

 もうひとつ、東南アジア研究者として心配なのは、東アジアのなかに東南アジアが吸収され、東南アジアが埋没して軽視される恐れがあることだ。日中、日韓関係がギクシャクするなかで、東南アジアの存在はキャスティング・ボートとして大きな意味をもつ。平時においても、東南アジアを主体性をもつ社会として認識することを、忘れないで欲しい。

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2006年03月07日

『戦後60年を問い直す』『世界』編集部編(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書は、1945年12月に創刊された雑誌『世界』が、ともに歩んだ戦後60年を、「改めて「戦後」の原点とは何であったか、私たちは何を目標とし、何を成し遂げ、何を誤ったのか、ここで検証したい」との問題意識のもとに開催したシンポジウム「戦後六〇年 私たちはどう生きてきたか? そしてこれからは?」の記録である。前半は、「政治、安保、国際関係、憲法などを中心に」、後半は「経済、社会、教育、労働などを中心に、基調講演とそれぞれ四名ずつのパネリストの討議」からなっている。

 正直言って、前半はがっかりした。雑誌『世界』が検証する戦後60年であるならば、前半で当然1949年3月号『世界』に掲載された「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」のことが話題になると思っていた。この「声明」は、1948年7月13日にパリのユネスコ本部で発表された「戦争をひきおこす緊迫の原因に関して、八人の社会科学者によつてなされた声明」にたいして、初代『世界』編集長である吉野源三郎が日本の科学者に呼びかけて実現したものだった。まず、この呼びかけに応じた安倍能成、大内兵衛、仁科芳雄の3名が主唱者となって研究会を組織し、自然科学者を含む当時代表的な科学者50名あまりが参加した。そして、7つの部会に分かれて討議をおこない、清水幾太郎が綱領(草案)を作成し、加筆・修正を経て「声明」の発表に至った。

 この書評ブログ2006年1月17日でとりあげた『ビルマの竪琴』の著者竹山道雄は、「戦争責任」を「戦争指導者の政治的責任」「国民の戦争責任」「戦争批判をしなかった知識人の不作為責任」の3つの層位から構成される、とした。竹山のいう「知識人の不作為責任」という考えから、この「声明」の知識人の「戦後責任」についても問うことができる。この『世界』に掲載された「声明」では、理想的な平和思想が語られるだけで、竹山と同じく戦後の知識人には戦場としたアジア、とくに東南アジアについて具体的なイメージがなかったことがわかる。本書の前半で、わたしが期待したのは、『世界』が世に問うた「戦後責任」についてであった。とくに帝国間の戦争に巻き込まれ、戦場となった東南アジアなどの弱小国・地域の人びとの戦後の生活再建について、考えが及んでいたかどうかである。しかし、そのことにかんするものはなく、「賠償は基本的に国家に対する賠償であり、それは現実には、アジアで当時現存していた寡頭支配・独裁政権への援助」や「日本ではアジアが非常に遠く見える」という指摘に留まっている。「戦争責任」「戦後責任」の問題が今日まで尾を引いているのは、この60年間、なにかが日本の知識人に欠けていたからであり、そのことこそが問われなければならないだろう。それが問えるのが『世界』だと、わたしは勝手に思いこんでいた。だから、前半を読んでがっかりした。

 中国や朝鮮については、数多の専門家がおり、中国や韓国の知識人の声もしばしば聞こえてくる。ここでは、わたしの専門とする東南アジアについて述べたい。まずもって、戦場に行った日本人は、東南アジアの歴史や文化について無知であった。竹山のように、歴史も文化もない野蛮な人食い人種が住んでいるというイメージしかなかっただろう。そんなところを戦場にして、人びとの生活を乱しても罪悪感は乏しい。東南アジアの歴史や文化を尊重する知的基盤がなかったという点では、一般の日本兵も知識人も同じだった。「声明」の作成に参加した科学者のなかには、蝋山政道のようにマニラなどの「戦場」に行った者もいたが、戦後の個々人・社会にたいする戦後責任を考えるには至らなかった。それは、研究対象として現地の人びとや社会を見ていたにすぎなかったためだろう。尊重すべき歴史や文化を創造した人間や社会として見ていないことが、現実の人間・社会不在の国家間の形式的な賠償に留まった原因と考えられないだろうか。

 では、本書から、「声明」の科学者とは違う、今日の科学者の見方が感じられるだろうか。いま必要なのは、東南アジアの臨地研究(フィールドワーク)を通して、歴史と文化を創造した人びとや社会を尊重したうえで、日本とアジアの新たな関係を築くことを考えることだろう。「戦争責任」「戦後責任」を乗り越えるためには、研究対象としてのアジアではなく、ともに生き・交流するためのアジアの人びとや社会の理解が必要である。戦後の知識人には、それがなかった。それができる若手研究者が、現在育ちつつある、と期待したい。

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