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2006年01月31日

『臨床の知とは何か』中村雄二郎(岩波新書)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「臨床」ということばを、『広辞苑』(第五版、1998年)で引くと「病床に臨むこと」とあり、「【臨床医学】基礎医学に対して、病人を実地に診察・治療する医学」と続いている。12月27日アップのこの書評ブログで述べたとおり、近年この「臨床」ということばが、「情報」「環境」「地域」などのキーワードとともに、近代科学の上に付くようになった。医学に端を発した「臨床」ということばが、なぜ医学以外にも使われるようになったのか、その源を知りたくて本書を開いた。

 著者、中村雄二郎が「臨床の知」ということを言い出したのは、1983年のことだという。著者を「その提唱へと」「促したのは、近代の学問や科学があまりに<機械論>モデルに囚われているのを痛感するようになったことであり、また、近代の学問や科学そのものが脱皮しようとして、在来捨象されてきた場や相互作用などを取り込もうとする動きが見られるようになった」からである。そして、「人類の運命を大きく変えた人間の所産はほかに例がない」ほど影響力のあった近代科学が、「あまりにつよい説得力をもち、この二、三百年来文句なしに人間の役に立ってきたために、私たち人間は逆に、ほとんどそれを通さずに<現実>を見ることができなくな」り、「文明の危機、地球の危機」をもたらしているという。

 「臨床の知の考え方が批判の対象とするのは、なんといっても近代的な<科学の知>」であり、著者は「科学の知が、達成されるに応じてどのような点で不都合になったか、を明らかに」していく。科学の知は「(1)普遍主義、(2)論理主義、(3)客観主義」の三つの構成原理からなっており、それらに対応して「臨床の知」は著者が「(1)コスモロジー、(2)シンボリズム、(3)パフォーマンス」とよぶ構成原理からなっている。そして、「科学の知は、抽象的な普遍性によって、分析的に因果律に従う現実にかかわり、それを操作的に対象化するが、それに対して、臨床の知は、個々の場合や場所を重視して深層の現実にかかわり、世界や他者がわれわれに示す隠された意味を相互行為のうちに読み取り、捉える働きをする、と」まとめている。

 最後に著者は、脳死や臓器移植などの医学的臨床の問題をとりあげ、具体的に「臨床の知」の有効性を語り、「あとがき」で本書は「医学的な臨床に限らず、もっと広い範囲で現代の新しい知のあり方を探り、新しい知のモデルの構想をめざしたものである」と結んでいる。

 同じく医学関係者である養老孟司も『毒にも薬にもなる話』(中公文庫、2000年)で、臨床諸学について語っている。初出は1991~93年だから、本書の初版と同じ時期だ。養老は、「「臨床学」は、私の造語である。「人間の考えることは、いずれにせよ脳の機能である」。そういう観点から諸学を見れば、学問はどう見えるのか。この作業を一般化して、臨床学と呼ぼう」と書き出して、「臨床時間学、臨床歴史学、臨床経済学、臨床哲学、臨床生物学的歴史学、臨床中国学、臨床歴史学的実在学、臨床政治学」について論じている。

 どうもこのふたりが考えている「臨床」の意味は、違うようだ。今日、人文・社会科学で考えられている「臨床」は、本書の著者の考えに近い。著者は、「序文」で「文化人類学と比較行動学という二つの領域と関係づけて、<フィールドワークの知>と名づけてもいいのである」とも言っている。フィールドワークは、「臨地研究」とも訳される。理論から入っていく演繹法より、まず現場を見てから考察する臨床・臨地的帰納法の手法が、重視されるようになってきていることは理解できる。しかし、元祖の臨床医学と基礎医学のバランスがとれて、患者にたいして有効な診察・治療ができるように、臨床学(臨床人間学)も基礎諸科学とのバランスのなかで成り立つ学問であろう。たとえば、わたしの専門とする歴史学では、従来の歴史学を「基礎歴史学」とよぶなら、「基礎歴史学」の充分な知識のうえに「臨床歴史学」という新しい学問を考える必要がある。いっぽう、「基礎歴史学」は「臨床歴史学」を意識し、理解したうえで研究をすすめる必要がある。そうでないと、従来の歴史学は、学問として無用視されることになる。

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2006年01月24日

『平和ミュージアム』立命館大学国際平和ミュージアム監修(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書は、立命館大学国際平和ミュージアムが、2005年4月にリニューアルされたのを機に、「常設展示のなかから、展示写真・資料約300点を選んで」、岩波書店が編集・発行したものである。DVDが付属され、「ピースメッセージ」(約10分)と「ピースマシンの旅」(約25分)という2本の映像作品が組み入れられ、実際にミュージアムに行かなくても展示を観ることができるようになっている。

 3つの要素からなるミュージアムは、つぎのように紹介されている。「地階の常設展示室は、日本の「十五年戦争」(1931年の「満州事変」から1945年の日本の「アジア太平洋戦争」敗戦までの戦争)の加害と被害の実態に加えて、第1次世界大戦からイラク戦争に至るまでの世界の戦争や紛争を描いています。いわば「平和のための戦史資料室」で、直接的暴力としての戦争や紛争を視野に入れて描いています。2階の「平和創造展示室」はその冒頭で「戦争がなければ平和でしょうか?」と訴えかけ、世界の構造的暴力の諸相と、それを克服するための市民たちの努力を描いています。「自分に何ができるか、あなたも考えて下さい」と呼びかけています。このフロアには、戦没画学生の慰霊美術館である「無言館」(長野県上田市)の姉妹施設である「無言館/京都館 いのちの画室(アトリエ)」や、平和をモチーフにした絵画や文学作品も紹介されています。そして、1階の「国際平和メディア資料室」には、戦争や平和についての文献・書籍・ビデオ・CD-ROM・DVDなどが豊富に用意されています」。

 大学がこのような時事問題にも通ずるテーマを、世に問うことは何を意味しているのだろうか。毎年8月15日の終戦記念日が近づくと、それに関連する書籍が出版され、雑誌やテレビ番組では特集が組まれる。それらと、どう違うのだろうか。近年の戦争論は政治的な問題が絡み、右からも左からも啓蒙的な論調が目立つ。さまざまな意見があって、いったい何を信用していいのかわからなくなり、考えることさえしなくなった人も少なくないのではないだろうか。だからこそ、大学がこの問題をとりあげ、教材として出版することに大きな意味がある。大学が出版する教材は、学問的成果を基本につくられる。そして、ものごとを考える基本(理論)を例示しながら、論を進めていく手堅さがある。生徒・学生や世間一般の人びとを、マインドコントロールの呪縛から解放する役目も果たすことができる。世の中は、事実ではなくイメージで動く。そのイメージを正しくするために、基本に忠実に論を進めていくのが、大学の教材の真髄だろう。

 本書は、「小・中学生のジュニア用に、わかりやすいナレーションが付いた映像も収録」されているということは、高校生・大学生・社会人一般を対象にしているのだろう。それならば、さらに学習を発展させることのできる「参考文献」一覧が欲しい。たしかに、写真をふんだんに使った本書は、「「自分に何ができるか」という実践的な視点で行動を模索すること-立命館の平和ミュージアムは、そのような学習と実践へのゲートウェイでありたい」というきっかけづくりにはなるだろう。しかし、視聴覚教材は、「その場限りの納得」に終わりがちである。視聴覚教材で得た知識は、書籍を読破することによって本物になる。

 それにしても、大学というところは教育機関の筈だが、教材作りという点においては、ひじょうに軽視してきたと言わざるをえない。研究と教育、教育も専門と教養のバランスを考え、実行している大学は、それほど多くないだろう。研究で顕著な業績をあげている者に、教育に時間を割くよう要求するのは、逆に大学にとってマイナスになる。大学で問題なのは、研究でさしたる業績をあげていない教員をそのままにしていることだ。そういう教員のなかには、研究より教育に向いている者がいるかもしれない。ある年齢になって、集中力・体力のいる研究がつづけられなくなった者もいるだろう。そういう教員に、教育を重点的に考えてもらい、教材・教育工具の開発などに力を注いでもらってはどうだろうか。これまでの経験をいかして、いいものができるはずだ。そのとき大切なことは、教育業績にたいして研究業績に勝るとも劣らぬ評価をすることだ。大学にとって、研究と教育は比較にならない次元の違う、ともに大切な両輪だからだ。大学というところは、人材活用と評価の仕方の面で、立ち後れているような気がする。

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2006年01月17日

『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』馬場公彦(法政大学出版局)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 2005年2月、竹山道雄『ビルマの竪琴』の舞台となった降伏日本軍人の収容所のあったムドンを訪ねた。ミャンマー(旧ビルマ)の首都ヤンゴン(旧ラングーン)から車で10時間ほどのところにある。限られた時間で、収容所跡を確認することはできなかったが、戦後ビルマに留まることになった主人公の水島を想像させる「謎」の日本人がいたことを知った。終戦後、南の方からやってきたこの日本人医師は、ムドンに住みつき、数年前に亡くなったという。4人娘のうちのふたりに会うことができたが、実の娘でさえ、なぜ父親がムドンにやってきたのか、日本のどこの出身なのか、わからなかった。東南アジア各地で、いろいろな理由で現地に留まった「未帰還日本兵」の話を聞くことは、それほど珍しいことではない。因みに、降伏日本軍人は、日本が捕虜にかんする国際条約に調印していなかったために、国際法上「捕虜」とは認められなかった。

 映画「ビルマの竪琴」も観た。1956年と同じ監督市川崑、脚本和田夏十(監督の妻)で、85年にリメイクされたものだ。原作が児童文学として書かれたとはいえ、なんとものどかで、終戦から間もない47~48年に書かれたことが信じられなかった。はじめに「文部省特選」と大写しされたのが、白々しかった。実は、いま集中講義の最中で、学生に映画を観てもらいながら、この書評ブログの原稿を書いている。

 この作品をとりあげて、著者、馬場公彦はなにを言おうとしているのだろうか。「序章」でつぎのように説明している。「本書では、極力、同時代人の眼で『[ビルマの]竪琴』を読み解いていく方法を採ることになる。たとえ『竪琴』が戦後民主主義の名作と謳われようと、反戦平和の古典と謳われようと、それは後代による後知恵の解釈にすぎない。それどころか、『竪琴』は戦後民主主義的な時代状況のなかに投げ込まれていき、作者の竹山自身、この作品の読まれ方や扱われ方に当惑しあるいは翻弄されながら、ときには作者として応答責任に答えよ、との審問に晒されてきた。その審問は、『竪琴』が歴史的同時代の変容のなかでどう読みつがれ、読みかえられていったかの歴史性をも考察の射程に入れていくことを要求するし、その考察は『竪琴』というテキストの読みの可能性へと道を開くことになるだろう。竹山道雄と『ビルマの竪琴』。この何気ない人名と書名の組み合わせは、必然的に竹山を中心とする知識人が負った戦争体験の思想的意味と、戦後日本がたどった精神史をトレースする作業をともなうことになる」。

 著者は、『ビルマの竪琴』が「戦後最も早い時期に書かれたことの重みは受け止めておきたい」と評価し、「戦争小説と称される作品とは一線を画し」、「文学作品というよりは史実と個人的体験に忠実なドキュメンタリー」に通ずるものがあると位置づけている。そして、竹山の3つの層位から構成される戦争責任論を考察している。第1に「戦争指導者の政治的責任」、第2に「国民の戦争責任」、第3がもっとも強調された「竹山その人が該当する、戦争批判をしなかった知識人の不作為責任である」。そこには、旧制第一高等学校(現東京大学教養学部)のドイツ語教師だった竹山の「可愛い教え子たちが尊い生命と有為な前途を犠牲として捧げざるをえず、そのことになんら抵抗できなかったことの慚愧の念」があった。この3つの層位の責任論については、今日の社会にも通じるものがある。国家の地位が相対的に低下した今日、指導者だけに責任を負わせることが難しくなってきている。否、指導者が責任をとらなくなってきている。民主主義が大切といいながら、国民も責任を指導者に負わせ、責任をとろうとしない。それだけに、指導者や国民に、責任について考え、判断するだけの材料を提供する「知識人の責任」が大きくなってきていると言えるかもしれない。

 著者も、そのことを踏まえ、つぎのように結論している。「今の知識人は戦争責任の問題を時代遅れで副次的な問題として閑却している、などと言うつもりはない。だが、今の戦争責任論は、アジアという磁場に根を下ろしきってはおらず、ヨーロッパ戦線におけるナチスの戦争犯罪やホロコーストといった問題から、視点を借用してきているような印象が拭えない。哲学や社会科学の立場からこの問題を考える知識人はアジアに対する土地勘が鈍いし、アジアや日本の歴史から考える知識人は、ヨーロッパの問題にも通用するようなメッセージを発言する営為がなおざりにされているような気がしてならない。戦争責任問題をめぐって、学問の専門分野の枠を脱しきれていないために、思想の域に到達していないのである」。

 『ビルマの竪琴』に描かれているビルマについては、お粗末であることがしばしば指摘されている。竹山は、ビルマに行ったことがなかった。日本・ビルマ関係史を専門とする根本敬(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)は、著者につぎのように語っている。「僧侶が竪琴で楽曲を奏でるのは破戒行為のはずだし、そもそもビルマの民族楽器である竪琴に、イギリスの歌曲の和音が奏でられるわけではありません。それに、上座部仏教では遺骨収集や墓葬・墓参には執着しないものです。ビルマ人を素朴な民として描くために身勝手な理想的仏教像を押しつけたり、当時強かった反日感情を無視していることも問題です。この作品は、竹山のビルマ文化に対する無知と無理解によって、戦後の日本人に誤ったビルマ認識とビルマ・イメージを固定化させてしまいました。この作品自体の価値自体、大きく損なわれたと言っていいでしょう」と手厳しい。しかし、著者の結論は、竹山のビルマにたいする一知半解を責める資格は、いまの日本の知識人にはないと言っているかのようだ。それにしても、日本人のアジア認識は依然低いままだ、と言っていいだろう。この『ビルマの竪琴』が日英和解の役に立っても、日本とアジアの和解に役立つような作品はなかなか登場しない。日英という帝国列強の戦争に巻き込まれたビルマ人の存在は、無視されたままだ。それでも、本書で、竹山の死後も、日中合作映画を作成して、日中和解に努力している人びとが紹介されていることは救いだ。和解までの地道な努力を惜しんではいけない。本書は、その努力を生むきっかけとなる1冊になると思った。

 本書を読んで、戦場としたアジアにたいする日本人の無知と楽観的な戦後が、終戦直後の知識人にあったことがよくわかった。現代の若者の無知と無理解を攻める資格が、戦争・戦後世代の知識人にないことがわかった。戦後の知識人が、依然として自国を中心に考え、自国民の慰霊と自国の発展を中心に考えていたことが、映画「ビルマの竪琴」でもよく描かれていた。その考えは、リメイクされた映画が公開された1985年まで通用し、「文部省特選」になったのだろう。しかし、もはや現代では通用しなくなっている。本書を「同時代人の眼で『[ビルマの]竪琴』を読み解いていく方法を採る」という著者の意図は、その意味でよく理解できる。

 映画を観た学生は、東南アジアのことを学んでいる学生がほとんどで、数人はビルマ語を専攻している。あらかじめ本書を紹介したこともあったが、この作品を評価しない、理解できない、という意見が多かった。戦争責任や戦後責任についてなぜ考えなければならないのかわからない世代が、東南アジアの言語や文化の学習を通じて、より客観的に「戦争」をみることができるようになってきている。これらの学生にたいして、わたしは「戦争責任や戦後責任は考えなくてもいい」と言っている。しかし、「ポスト戦後責任はある」、と言っている。それは、「いまを戦前にしない責任」である。「ポスト戦後責任」を考えることは、当然ポスト戦後へと続く「戦争責任・戦後責任」についての知識が必要だということがわかるだろう。「戦争責任・戦後責任」が目的ではなく、手段になったとき、ポスト戦後世代の日本の若者とほかのアジアの若者が、「戦争責任・戦後責任」を乗り越えて、友好関係を築いていってくれるものと信じている。著者やわたしようなその中間の世代の「知識人」は、そのための材料を提供する責任があるだろう。著者は、本書を通じて立派にその責任の一端を果たした。今度は、わたしの番だ。

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2006年01月10日

『グローカルネットワーク-資源開発のディレンマと開発暴力からの脱却を目指して-』栗田英幸(晃洋書房)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「グローカル」という言葉を聞いて、10年以上になる。大学の授業でも、はじめは詳しく説明したものだ。それが、だんだん身近になってきて、学生にも説明しやすくなった。その理由は、グローカルネットワークが、「ローカル、ナショナル、グローバル、それぞれのレベルで相互に補完・強化し合いながら、急速に影響力を強めてき」た結果であることが、本書からよくわかった。

 本書の目的は、「鉱業を事例として、開発主義が「持続可能な開発」制度の奥深くまで食い込み、制度を変質させていることを明らかにした上で、開発主義を克服するための具体的な変化としての新しいグローカルネットワークの可能性と課題について提示しようとするものである」という。しかし、林業資源などのように、鉱物資源が再生できるのだろうか。どのようにして「持続可能な開発」ができるのか、まず疑問に思ってしまった。

 本書の構成は、著者、栗田英幸が「はじめに」で要約してくれているので、わかりやすい。4部からなり、Ⅰ部「分析のフレームワーク」では、「「持続可能な鉱業開発」に関する先行研究を、促進派、否定派の2つの立場からそれぞれ整理した上で、それぞれの分析ツールの問題点を明らかにし、本書で用いる分析ツールについて提示し」ている。Ⅱ部「グローバルネットワークと鉱業制度の変遷」では、「「南」鉱業国の時間差を含んだ同質の鉱業制度の展開過程に注目し、鉱業制度に対する多国籍企業、「南」政府、地域住民3主体間の影響力バランスのグローバルな変遷過程を描き出し」ている。Ⅲ部「フィリピン地域住民を取り巻くグローカルネットワーク」では、「Ⅱ部で描き出したグローバルな影響力バランスの変遷と、ナショナル、ローカルでの制度との連関について論じ」ている。そして、終章のみからなるⅣ部「グローカルネットワークの機能と開発主義克服への課題」では、「これまでの分析から、グローカルネットワークと鉱業制度との関係を描き出し、グローカルな史的変遷の中に現在の状況を位置づける。この作業を通して、「持続可能な開発」制度の問題点および問題を克服する上で必要とされるグローカルネットワークのあり方を提示」している。

 「自然科学(工学)から社会科学」へ転換したという著者は、自然科学者らしい技術面にかんする考察がみられ、人文・社会科学を専門とする研究者にはみられない特徴がある。学際・学融合的研究には、いかに自然科学の基礎知識が必要であるかを具体的に示した好著といえよう。さらに、4つのグローカルネットワーク(メジャー独占、ナショナリズム、多国籍企業、NGO)と3つの制度(英米法、資源ナショナリズム、「持続可能な鉱業開発」)をバランスよく論じることによって、「開発主義を越えるグローカルネットワークの可能性」を探っている点は、説得力がある。そして、最後に「貧困故の妥協の克服」「社会不安定化の克服」「利害関係からの超越」をあげることによって、今後の課題としている。

 本書の問題としては、人文・社会科学的な基本事項の確認の甘さをあげることができる。『諸蕃志』の「麻逸」はミンダナオ島ではなく一般にミンドロ島に比定されており(書名も間違っている)、フィリピン第一の国民英雄リサールのスペルも間違っている。日比友好通商航海条約の調印は1960年、批准は73年で、条約の名前も年も間違っている。このほか、著者の専門ではないフィリピンの基本的事柄についての間違いが散見される。地名・民族名なども、一般的なカタカナ表記とは違っているものがある。これらは、すべて『フィリピンの事典』(鈴木静夫・早瀬晋三編、同朋舎、1992年)で確認すれば、わかることである。このような明らかで単純な間違いは、本題ではないにもかかわらず、本書全体の不信感に繋がる。フィリピンを専門とする地域研究者からは、評価されないことにもなりかねない。残念だった。また、本書では、表が多用されているが、地図は1枚もない。学際・学融合的研究成果の発表の仕方も、そう簡単ではない。

 ところで、本書で実例としてとりあげられているWMC社のタムパカン・プロジェクトにかんして、わたしは1996年に西オーストラリア州都パースのWMC社で、当地の人類学者らとともに説明を受けている。映像など視聴覚資料での説明は、まだパワーポイントなど知らないときで、プレゼンテーションとはこういう風にするのかと感心したので、よく覚えている。鉱山開発によって、地元住民のバラ色の将来が約束されているような、素晴らしい説明だった。このように、地元住民にも説明しているのだろうと思った。同時に、WMC社には協力する人類学者もいたが、フィリピンのミンダナオ島の実情を知っているのだろうかと疑問に思った。案の定、この計画は、2002年1月にWMC社が撤退を表明したことで終わった。そして、いまWMC社は、買収される話で鉱業界に話題を振りまいている。

 この計画の失敗の第一の原因は、ミンダナオに公平な社会正義がないことだ。本書で示されている通り、ミンダナオでは3G(銃、私兵、金)がまかり通る社会で、富の分配が不公平である。そこにWMC社が目をつけて、3Gでなんとかなるだろうと思ったのだろう。しかし、グローカルネットワークによって、3Gが従来ほど機能しなくなっている。新たな時代に入ったことは、確かなようだ。それはわかったが、それが「持続可能な鉱業開発」とどう具体的につながり、地域の住民が公平な富の分配に預かれるようになるのか、いまひとつわからなかった。

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2006年01月03日

『複雑適応系における熱帯林の再生-違法伐採から持続可能な林業へ』関良基(御茶の水書房)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 1978年以来、もう何回ルソン島を上空から見たことだろうか。見るたびに、森が消え、禿げ山化するのがよくわかった。消えていった森の木の多くが、日本に輸出されたことはフィリピン人も知っていた。かつて、日本をはじめて訪れたフィリピン人が、日本に豊かな森があることに驚いて、言ったことばが忘れられない。「日本には木がなくなったから、フィリピンから輸入したのだと思った」。その日本の木材は、阪神・淡路大震災後でさえ売れなかった。片や国土の大半の森を失い、洪水などの自然災害が発生しているフィリピン、片や森の手入れが行き届かず荒廃し、自然災害の原因になっている日本、なにか変だと感じるのが当たり前だろう。

 著者、関良基は、森林資源が枯渇し、違法伐採から持続可能な森林管理へとシステムが変化するルソン島でフィールドワークをおこない、その「事例研究を通して、違法伐採問題を解決するための普遍性のある解決策を提起する」ために藻掻いている。そう、「藻掻いている」という表現が、本書にもっともふさわしいことばかもしれない。「まえがき」から「「私的管理か共同管理か」という二者択一を迫るような議論を乗り越え、「私」と「共」をアウフヘーベンすることを目指す」という、なにやらわけのわからない「アウフヘーベン」なることばが説明抜きで登場する。それを「止揚」といわれてもわからないし、ヘーゲルを思い浮かべて頷く人も少ないだろう。また、本文を読んでいくと、「ミーム」ということばがキーワードとして多用されている。これも、「自己複製子」といわれてもわからない。わからないながらも、著者が一所懸命理論武装して、政策提言までもっていこうとしていることはよくわかる。そして、そのためには、総合的アプローチと複雑適応系としての把握が重要であることもわかった。そして、その結論が、終章の「まとめと政策提言」である。

 わたしは、林業のことはよくわからない。著者の提言が、「熱帯林の再生」のために有効であるのかどうか、判断するだけの知識はない。しかし、著者の「藻掻き」の意味は、すこしわかる。それは、著者自身が述べているつぎのことばからよくわかる。「私が商業伐採跡地の開拓コミュニティと向き合ってきた調査経験を通して帰納的にいえることは、地域住民は、地域社会を取り巻く多種多様な諸条件に対し、必至になって適応しようとしている。その中で、うまく適応できず「破壊的」と捉えられるような資源利用・土地利用を行うこともあるし、うまく適応できた場合には、十分に持続可能な利用を行うこともある。普遍法則は存在しないし、発展経路も、そのときどきの諸条件の作用の仕方に依存して大きく異なってくる。二次林と人間社会を含む系の挙動は、偶然性にも左右されつつ、流動的で複雑な軌跡を描くのである」。つまり、いくら理論武装しても、実際に現場で生活している人びとには、かなわないということだ。そのことを、フィールドワークを通して理解しているだけに、著者の提言には真実味があり、耳を傾けたくなる。しかし、住民は著者の想像をはるかに超えるたくましさで、現実に向き合っている。それが、著者が願っている「持続可能な林業」へとつながるといいのだが・・・。そのためには、本書のような地道な研究と、その研究成果を充分いかせるだけの「もっと大きな力」が必要だろう。

 ところで、バージンパルプ100%のトイレットペーパーが市場にあふれ、再生紙使用のものが片隅に追いやられていることは、この「持続可能な林業」と関係ないのだろうか。バージンパルプは、どこからきているのだろうか。再生紙の原料は、ほんとうに不足しているのだろうか。両者の価格差があまりないのは、どうにかならないのだろうか。市場原理を超えた「もっと大きな力」が必要なのではないだろうか。消費者が身近にできることはなにか、「もっと大きな力」をつくりだせる源はなにか、これからの持続可能な社会に生きる人、みんなが考えていかなければならないことだろう。

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