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2005年12月13日

『比較の亡霊-ナショナリズム・東南アジア・世界』ベネディクト・アンダーソン(作品社)

比較の亡霊-ナショナリズム・東南アジア・世界 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 東南アジア史研究が、世界に誇れる研究がすくなくともふたつある。ひとつが、アンソニー・リード『商業の時代』で、西洋史でいう「大航海時代」や日本史でいう「朱印船貿易」を世界史の枠組みで考察し、「大航海時代」も「朱印船貿易」も香料貿易など東南アジアを中心に発展した「商業の時代(1450-1680年)」に遅れて参入した一部にすぎないことを明らかにした(日本語訳の『大航海時代の東南アジア』(法政大学出版局、1997-2002年、2巻)は、本書の内容を台無しにした誤訳タイトル)。もうひとつが、本書の著者であるベネディクト・アンダーソン著の『想像の共同体-ナショナリズムの起源と流行』(増補、NTT出版、1997年)である。インドネシアなどを事例として考察した「想像の共同体」としての国民国家の成立過程は、東南アジアのナショナリズム研究だけでなく、世界各国の研究モデルになり、多くの読者を得た。しかし、この近代史研究の「新古典」も、グローバリゼーションが進行するポストモダンの時代にあっては、もはや分析枠組みとして参考にならないという声も聞かれるようになった。その著者が、初版の発行された1983年以降に書いた論文を集めたのが、本書である。著者は、新たな時代に向かって、研究をどのように進化・発展させたのだろうか。

 タイトルの「比較」自体が、近代的な考えである。欧米を中心に発展した近代は、画一化した価値観で合理的にものごとを考える傾向があった。だから、比較することにも意味があった。しかし、社会にはいろいろな価値観があり、それぞれの歴史を踏まえた文化を尊重する多文化社会の到来とともに、単純に比較すること自体が時代遅れになってしまった。その比較の「亡霊」が、今日でも現れるという。期待をもって、読みはじめた。

 本書では、インドネシア、フィリピン、タイの3ヶ国を基本とし、この3ヶ国同士の比較だけでなく、ときに世界のなかで、東南アジアのなかで、そして旧植民地宗主国やアメリカとの比較を通して、3ヶ国のそれぞれの特色が明らかになっていった。比較は、1ヶ国の自分自身の研究を基盤に、ほかの国を考察対象としたほかの研究者の成果を援用するのが通常である。本書は、著者自身がそれぞれオリジナルな資料を基に考察・分析した成果を使っている。それだけでも、驚異である。いったい、いくつの言葉をマスターすればいいのか、考えただけでもゾッとする。そして、多くの章でそれぞれの歴史や文化を踏まえた近現代史や時事問題を扱っているが、それぞれの国にたいする批判がまことに手厳しい。しかし、著者がもっとも批判しているのは、これらの国にたいするアメリカの政策かもしれない。長年入国を禁止されていたインドネシアで、1998年のスハルト政権崩壊後に大学生に向かって挑発的な演説をしたのも、著者の愛情の表れだろう。

 本書は、「第一部 ナショナリズムの長い弧」の「三つの「理論的」論文」で、「ナショナリズム一般の起源、性質、将来という問題を深くふみこんで探ろうとしている」以外は、好き勝手に言いたいことを言っているだけのように思える。博識で、だれにも真似のできない「比較」が、著者を冗舌にさせたようだ。その比較のなかで、おもしろいのは、「どうして資本主義国家の最強国」アメリカの植民地であったフィリピンが、「東南アジアの共産主義ブロック以外の独立国のなかで最も貧しい国になったのだろうか」、フィリピン革命時(1896-1902年)の「あの英雄たちに比肩するような人物が二度と現れないのだろうか」というあたりや、また「植民地化されなかったタイが、アメリカ領フィリピンやオランダ領東インドよりずっとあとになって選挙を実施しはじめたにもかかわらず、西洋式のブルジョワ民主政治に最も近いものを今日保有しているというのは、すくなくとも表面的には皮肉なことである」というあたりだろう。

 「プチブル」という表現も、何度か出てきた。そのことばを忘れたふりをしている世代や、まったく知らず意識しない世代へのメッセージだろうか。この忘れ去られようとしていることばは、東南アジアでも、世界でも、そして日本でも、貧富の差が拡大している現実を思い出させてくれるキーワードになるかもしれない。ちなみに、「プチブル」とは「プチ・ブルジョア」の略で、『広辞苑』(岩波書店)には「中産階級に属する者。ブルジョワジーとプロレタリアートの中間に位する階層。小市民」とある。

 まだまだ皮肉たっぷりに、だが愛情をこめて辛辣な東南アジア論を展開していくのだろう。楽しみにしたい。

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