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2005年10月11日

『中国の歴史09 海と帝国 明清時代』上田信(講談社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 前回、「中国制度史と社会史の乖離を埋めることによって、全体史が現れ、また違った中国史が出現することになるだろう」と書いた。その乖離がかなり埋まったと思える概説書が出版された。著者、上田信は、「専攻は中国社会史」と自己「紹介」している。一昔前までは、中国史で「社会史」と言っても、社会史の発達した地域の研究者からみれば、「制度史」としか見えなかった。それが、本書を読んで、中国社会史もここまできたか、という思いがした。

 本書からわかる中国社会史の発展の要因は、ふたつある。ひとつは、本書が、著者が雲南で台湾東岸の港町からやってきた海の女神、媽祖の神像に出会ったことからはじまるように、著者が中国各地を調査で訪れ、また中国人自身も国内・海外各地を往来するようになったことだろう。著者は、ほかの著書に『森と緑の中国史-エコロジカル・ヒストリーの試み』(岩波書店、1999年)があるように、中国史を環境や景観から理解しようとしている。それだけに、随所に歴史上の舞台となった町の様子が生き生きと描かれ、人びとの生活の息吹が感じられた。

 もうひとつは、視野を中国国内から東アジア、東南アジア、さらに世界へと拡げたことだろう。日本との関係では、日本史の側からの視野の拡大が貢献し、日本と明代中国の相渉的な関係が見事に描かれている。それが、明代の海からの中華帝国の歴史叙述を可能にした主要因だろう。そして、著者は、「国の歴史としてではなく、人の歴史として見たとき、一九世紀は中国人がグローバルな環球という舞台において、生活の領域を広げ、社会的・経済的なネットワークを張り巡らせた世紀である」と、肯定的に清末をとらえている。たとえばフィリピン史で1950年代からさかんに唱えられた「民衆の歴史」が、ようやく中国史でも書かれるようになった。さらに、中国への影響だけでなく、中国から周辺地域・世界への影響も、バランスよく描かれ、世界史のなかの中国史が見えるようになってきた。

 本書を読んで、これまでにない斬新な中国史に、魅力を感じる読者も少なくないだろう。しかし、難点もふたつあると感じた。ひとつは、制度史を中心に学んだ世代は、制度史から見えない中国人の歴史に大いに興味をもったことだろうが、制度史の基礎知識に乏しい者は、著者の工夫にもかかわらず内容についていけなかったかもしれない、ということだ。それは、著者だけでなく、社会史的な記述をふんだんに盛り込んで、通史や概説書を書こうとする研究者の共通の悩みと言っていいだろう。

 もうひとつは、より深刻な問題だ。著者は、「海域世界の成立」を「陸からの自立」としたり、「一七世紀に海域世界が終焉し、陸の政権が海を管理できるようになった」と記述したりして、海域世界の自律性を認めていない。「海の歴史」の定義も、「海洋をヒトが交流する場として捉え、近代以降に成立する海洋によって区切られる国家単位の歴史を相対化しようとする歴史観」として、前近代の「海の歴史」の存在を認めていない。これは、著者だけの問題ではない。陸域世界の歴史の視野を広げた先の「海域世界」の歴史研究が発展していないと、陸域中心史観の歴史のままであったり、充分に実証されていない研究成果を鵜呑みにしたりすることになる。本書で「海洋民」といわれた人びとは、海上交通・交易に携わり、生活を陸域世界に寄生していた人びとである。それは、陸域世界と接触をもったときの海域世界のほんの一面にすぎなく、海戦に巻き込まれたとき、もっとも華々しく歴史叙述に登場した。海域世界が本来の自律した姿をみせるとき、陸域との関係は乏しく、文献史料に残ることはあまりなかった。まだまだ研究がすすんでいないどころか、手つかずの分野が多いことから、残念ながら歴史をグローバルに語るには大きな障壁がある。遊牧民世界のような発展した歴史研究が、海洋民についてはまだないのである。

 ともあれ、本書は、人びとの生活というミクロな視点と雄大なヒト、モノ、カネのマクロな動きを組みあわせながら、「古代的な明から近代的な清へ」の500年の歴史を描いた、身近でスケールの大きな好著である。このスタイルをまねる歴史書も出てくることだろう。わたしもまねたいが、これほどのものは書けそうにない。

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