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2005年09月13日

『思考のフロンティア 法』(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 前近代から近代へ法観念が根本的に変わったのであれば、いまわたしたちは近代からどのような新たな法観念に向かっているのだろうか、ということを知りたくて本書を開いた。残念ながら、わたしの期待したものを得ることはできなかった。しかし、本書からいまわたしたちが考えなければならないことを、たくさん教わることはできた。

 本書は、第Ⅰ部で「法の根拠をめぐる理論的考察から出発して、法と暴力、法と正義、法と神話の相互に絡み合ったある起源的ないし前-起源的な場面を経由した後」、第Ⅱ部で「「市民的不服従」「歓待」「死刑」を今日最も緊急な、避けては通れない問題系として取り上げ」ている。著者、守中高明は、まず「はじめに」で、アメリカ合州国の「対テロ戦争」における拘禁政策のために、「国際法のもとで認められるはずのほとんどすべての権利を剥奪され」た人びとがいることを紹介し、本書で「法の「根拠」について、法と「暴力」についてささやかな素描を試みよう」としたと述べている。そして、今日の日本における問題点について指摘している。

 1999年に法制化された「国旗及び国歌に関する法律」は、「戦後という時間を脱色し、かつての植民地主義的帝国主義の記憶を積極的に忘却しつつ、新たな国民国家の編制へ向けて象徴の政治を再-発動させようとする意図が明らかにこめられていた」とし、「職務命令」に従わず「処分」された教職員250名は、「「市民的不服従」の実践者であり、その行動は法に反する正義を表現している」と正当化している。この法制化にたいして、天皇明仁が、「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と応答したことは、なんとも皮肉な話だ。また、人権「後進国」である日本は、難民にたいして「「難民条約」の締結国としてあってはならない」ことをしていると指摘している。この国際化、グローバル化についていけない日本の姿は、就職、参政権など外国籍の人びとの社会的権利の大幅な制限にもみられる。そして、死刑について、アメリカや中国とともに存置している、世界的にみても少数派になった日本が、「いつ、国家主権の名において殺人の罪を犯すのをやめることができるのか」と問うている。

 著者は、第Ⅲ部「基本文献案内」を、本書の結論としてふさわしい、つぎのような言葉ではじめている。「今日を生きるあなたが、現実の世界の中で法的思考を実践する際に参照し、携え、立ち戻り、あるいは批判的に乗り越えるための本、法の主体たるあなたがみずからを養うための本である」と。そして、「法はあらゆる分野に関わっており、あらゆるジャンル・形式・語りを要請するのだ。だから、ここから先はあなたの手にゆだねよう。法の姿を捉えるために、おのずと多数化しながら伸びてゆくあなた自身の手に」で終わっている。法は、権力者や国家から離れて、個人のものになろうとしている。それが、近代からの「脱構築」なのだろう。

 本書がわたしの当初の期待に応えてくれなかったのは、歴史性が感じられなかったからである。「思考のフロンティア」シリーズの1冊として、当然なぜ本書が「フロンティア」なのかの説明があるものとばかり思っていた。このシリーズのほとんどを読んでいるが、歴史性のある語りには、奥深さとわかりやすさがある。わたしのいう「歴史性」とは、過去のことを語ることではない。過去のことを語っていても、時代性やときの流れのないものは歴史ではなく、たんなる過去の語りにすぎない。それにたいして、現代のことを語っていても、ときの流れの到達点としての現代を語っているものは、歴史として充分な読みごたえがある。基礎研究としての歴史学の存在意義は、ほかの学問を深く豊かにする効果をもっていることである。

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