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2005年07月05日

『イスラームの国家と王権』(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 現在アメリカ合衆国の主導の下に、アフガニスタンやイラクで「民主的」な国家づくりがおこなわれている。イスラームについて多少の知識がある者なら、イスラーム教徒が多数居住する地域での国家づくりに、疑念をもつ者も少なくないだろう。それが、アメリカの主導となると、その疑念はさらに深まる。

 イスラーム世界は、以前より国家より信者の共同体であるウンマや国家を超えた商業ネットワークを重視してきたという考えがある。また、定着より移動を重視することから、近代国家の中枢である首都機能が弱いと指摘されることもある。そのイスラーム世界に、アメリカを中心とするグローバル化が及んで、イスラームのネットワークの優位性が崩れ、さらにウンマの内部にまでアメリカ的価値観が浸食してきた。イスラームにとっての危機は、9.11以降「文明の衝突」として表現された。

 本書が、このような現代の問題を考えるにあたって、ひじょうに基本的で、きわめて重要な知識を提供していることは疑いのないことである。にもかかわらず、著者佐藤次高は、時事問題にまったく触れることなく、まず「いまイスラームの国家と王権について考えることに、どのような意味があるのだろうか」と問いかけている。出版社の編集者が書いたであろう帯にも、「世界化するイスラームにとって「国家」とは何なのか?」としか書かれていない。歴史研究者としてわたしは、この静かな問いかけに、著者の研究者としての真摯な姿勢と学問の奥深さを感じずにはいられなかった。

 著者は、「イスラームの国家や王権は、都市や農村社会の秩序を維持し、交易活動の安全を確保するうえで、それほど重要な役割を果たさなかったのだろうか」という「素朴な疑問から出発」し、「カリフやスルタンの権力論だけではなく、社会秩序を維持し、人びとの意識を糾合して国家を運営していく「しくみ」を明らかに」しようとした。そのために、多彩な史料を駆使し、最近の研究成果を取り入れて論を展開している。

 いま「近代科学の危機」のなかで、いろいろな新しい学問の試みがおこなわれている。また、「歴史学の危機」といわれて久しく、制度的色彩の濃い文献史料を基本とした実証主義的文献史学が、制度が以前ほど機能しなくなった現代社会にとって無用であるかのように考えられたりしている。本書は、このような「知の危機」にあって、目先の問題が複雑になればなるほど、いかに基本が大切であるかを教えてくれる。実証性を無視した「知の空論」が幅をきかす時代であるからこそ、原史料から事実をひとつひとつ確認していき、確認された事実を基に論を展開していくスタイルは、読者に安心感を与える。学問とは、歴史学とは、「かくありき」という見本のようにも感じられた。また、著者の現代社会へのメッセージが伝わってきて、歴史学が現実社会のために直接役に立たない「虚学」ではなく、確実に役に立つ「実学」であることを証明したかのように思えた。

 惜しむらくは、著者も気づいているように、16世紀で記述が終わり、イスラーム発生以来の「しくみ」と国家の役割はわかっても、それが現在とどう結びついているのかがわからないことだ。さらに、南アジア・東南アジア、アフリカ、旧ソビエト連邦などに拡大したイスラーム世界をどうとらえるかが、「エピローグ」でほんの付け足しに語られているだけで充分でないことだ。

 本書が、現代社会を理解し考えるうえで、多大の貢献をすることは間違いない。ただ、著者があまりにも謙虚で、そのメッセージを感じとってもらえないかもしれない。著者自身が直接語る必要はないが、著者のメッセージを時事問題と照らしあわせて考える必要があるだろう。本書で得たイスラーム世界の基本的知識をもとに、イスラームをとりまく問題が解決され、平和な社会が築かれていくことを祈りたい。

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