« 2005年05月 | メイン | 2005年07月 »

2005年06月28日

『南洋日系栽培会社の時代』(日本経済評論社)

南洋日系栽培会社の時代 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 著者柴田善雅の膨大なデータを駆使した実証的研究には、ほんとうに頭が下がる。本書は、『占領地通貨金融政策の展開』(日本経済評論社、1999年)、『戦時日本の特別会計』(日本経済評論社、2002年)につづく同著者の大部の単行本で、戦前・戦中のデータを整理しながら、日系ゴム栽培業、日系マニラ麻栽培業を、それぞれ時系列に考察している。本書は企業史アプローチを採用し、「企業の進出環境、企業家の進出の意思決定、導入技術水準、進出後の操業環境と企業成長への対応、その後の事業環境の変動に伴う退出・吸収合併等を重視」している。そして、本書であつかった日本の南洋投資は、日本の直轄植民地や中国の割譲地・租借地・疎開への投資と違い、日本政府の国策的な大規模な支援は望めず、当該植民地政庁との関係のなかで進めなければならなく、従来の海外投資の研究とは違う意義があるという。

 本書によって、朝鮮、台湾、満洲に進出した日系企業の研究だけではわからなかった、戦前・戦中の日系企業の動向がつぶさにわかり、研究書としてだけではなく、資料集としても、また事典的にも利用できる。ほんとうに便利な本が出た、と利用する者として感謝したい。また、これだけのデータの校正も超一流の研究者にしかできないことで、誤植は驚くほど少ない。著者の細心の注意がうかがわれ、この点だけをとっても信頼できる研究書であるということが言える。

 これだけ優れた研究書であるだけに、わたしには大きな危惧がある。一言で言うと、「知の帝国主義」になりはしないかということである。本書のきっかけとなった共同研究の成果である『「南方共栄圏」−戦時日本の東南アジア経済支配』(疋田康行編著、多賀出版、1995年)では、「東南アジア史の一環として位置づけることも可能であるが」、「東南アジア地域研究として先行業績を踏まえて位置づける力量に欠くため、かかる視点は特に考慮されていない」とし、本書でも「エリア・スタディの研究成果を取り入れて利用する」が、「当該地域産業史を主たる分析と対象とするものでは」ない、と念を押している。学問的議論を限定することに問題はないが、東南アジア側の視点を欠くことにどういう意味があるのかを考える必要があるだろう。とくに、関係史の場合、双方の研究状況・研究環境が対等であることが大前提であり、その大前提のないなかでの研究は一方的な見方になり、双方の今後の政治的・社会的関係にも影響しかねないことになる。

 日本の東南アジア史研究者の数はひじょうに少なく、国別の専門でいえば数人程度しかない国が多い。そのなかで、日本との関係史を専門にしている者はそれほど多くない。また、東南アジアの研究者で、日本語資料を読みこなして研究している者はほとんどいないのが現状である。このような研究状況のなかで、圧倒的に資料的に有利である日本側の資料を主として使い、東南アジアにかんする知識があまりない日本人を中心として研究をおこなうことに、どのような波及的影響が出るのだろうか。たとえば、ロンドンのブリティッシュ図書館(大英図書館)インド政庁文書室や公文書館には、インド人など旧植民地の研究者の姿がよく見られる。イギリス人だけによる研究は、インド人などの研究によって、より相対化され、深みを増し、豊かになっているのだろうと想像される。しかし、インドネシアのように歴史研究をするだけの余裕・関心のあまりない国は、宗主国だったオランダ人による研究に頼りがちになったりする。歴史叙述を公平におこなう環境がないことを、まず研究者は意識する必要があるだろう。

 近年、日本と中国、日本と韓国・北朝鮮などのあいだでは、歴史認識の問題が政治的に取りざたされている。その解消のために、アジア歴史資料センターの設立や共同研究・共通教科書の試みなどがおこなわれてきた。東南アジアと日本との関係史においても、われわれは『近現代史のなかの日本と東南アジア』(吉川利治編、東京書籍、1992年)で、東南アジアで使われている歴史教科書で、日本との関係がどのように書かれているのかを検討した。いま、わたしたちが歴史認識問題の解消のために必要なことは、日本語の資料を読むことのできる東南アジアの研究者を育てることであろう。そのためには、日本語修得後にアジア歴史資料センターなどの文書館で日本人研究者とともに研究することができる場をつくることだろう。中国や韓国、さらにドイツなどの欧米の研究者も加わると、日本の対外関係史や二国間関係史を超えた学問としての歴史学、世界史として、歴史認識問題を考えることができるだろう。

 そのとき、本書が優れた先行研究として役立つことは間違いない。この研究成果を、存分にいかすためにも、歴史認識を共有できる研究の場が必要である。

→bookwebで購入

2005年06月21日

『中村屋のボース−インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)

中村屋のボース  →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書の著者中島岳志は、「私の二〇代は、この本を書くためにあった」と「あとがき」の冒頭に書いている。若者の社会意識が希薄だといわれ、大学になんの目的もなく入学してくる学生が多くなっているのを年々実感として感じている者にとって、まずは著者が青春をかけてなにを言おうとしているのか、耳を傾けたくなった。

 「中村屋のボース」ことラース・ビハーリー・ボースは29歳のとき来日した。その同い年のときに、著者は本書を執筆した。そして、ボースが活動した場所を訪れ、追体験することに執着した。植民地政府の有能な事務員として平穏な生活を送ることができたはずのボースが、やがて独立運動に目覚め、総督爆殺未遂事件や兵営反乱事件の首謀者となって、日本へ亡命せざるをえなくなった。著者は、ボースが「日本のアジア主義者たちと共通する文明論的課題を背負い、超越論的観点から「近代の超克」を目指した人物であ」り、「近代を超克するためには戦争や武力闘争という近代的手法を用いざるを得ないというアポリアを常に背負い、それと懸命に格闘しながら行動し続けた人物であった」と結論している。しかし、ボースの叫びは「近代日本の時代精神と難問を引き受け」たにもかかわらず、1945年1月の死後、無視されつづけた。残ったのは、逃亡中のボースが匿われたのが縁で名物となった新宿中村屋の「インドカリー」(イギリス化した「カレー」ではない)だけだった。そのことが、著者には許せないようだ。

 近年、日本人若者にとって、アジアが身近になってきた。大学でもヨーロッパ言語の履修学生が減り、中国語が圧倒的な人気だ。朝鮮(韓国)語やタイ語などほかのアジアの言語も、学生にとって身近になってきている。東・東南アジアの芸能界は、もはや一体化していると言っていいだろう。インドも映画、IT産業、新たな投資先として注目されるようになってきている。そのいっぽうで、近代日本とアジアとの関係史について、日本の若者はほとんど知らない。戦前・戦中の日本の進出・侵略や占領の痕跡は、アジア各地の街角に歴史案内板が付されて残されており、通り行く人たちが日常的に目にしている。博物館でも、日本がもたらした戦争について大きくとりあげている。日本とほかのアジアの歴史認識の相違は、若者にとってアジアが身近になればなるほど拡大していくようにみえる。  テロリストであったボースは、日本のアジア主義者を利用することによって、インドの独立を目指そうとした。しかし、対英戦争になって逆に日本に利用され、同胞インド人からも見放されていった。それは、ナショナリストのボースにとっては、なんとも悲しいことだった。日本のアジア主義には、「アジア人のためのアジア」ではなく「日本のためのアジア」という限界があった。大東亜共栄圏という日本主導のグローバル化で、日本人にとってアジアは一気に身近になった。しかし、多くの日本人はアジアの人びとにも社会にも関心がなく、アジアを日本化を推し進める場所としてしかみていなかった。

 いま著者のような若い世代が、「近代を超克」した目でアジアを見はじめている。著者がボースにこだわりつづけたのは、ボースのインド独立にかける熱情・人柄だけではなく、ボースが生きた時代のアジアと自分が生きている時代のアジアがだぶって見えたからではないだろうか。テロという暴力でしか問題の解決を見いだせなかった20代のボースと、現代のさまざまな問題を意識しながらなにかしっくりとしない自分とを、重ねあわせていたのではないだろうか。だからこそ、ボースと同じ空間を味わいたくて、かれの足跡をたどり追体験したのではないだろうか。

 著者は、すでに『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ、2002年)で、インド社会の現状を報告している。書き慣れた筆致は、読者を一気にボースの世界へと誘う。難をいえば、中盤で研究者としての著者が現れ、筆致が鈍ってわかりにくくなったことだろう。すこし欲張りすぎたかもしれない。ヒューマン・ドキュメントとは別に、学術的に論じたほうがよかったように思えた。今後が楽しみだ。

→bookwebで購入

2005年06月14日

『海域イスラーム社会の歴史−ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店)

海域イスラーム社会の歴史  →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 5月27日の朝刊第一面に、「ミンダナオ島に日本兵」の記事が掲載されて以来、しばらくマスコミの対応に追われた。イスラーム教徒の居住地区ではない地名が出て、イスラーム教徒ゲリラと一緒に住んでいるなど、情報が不確かで錯綜していたため、そしてなにより、研究者として責任ある発言をするための基本であるオリジナルなデータをわたし自身がもっていないために、マスコミの要望には応えることができなかった。それでも、ミンダナオ島についての歴史や社会についても訊かれたため、何度も長電話でレクチャーする羽目になった。そのとき、ほんとうは「この本を読んでください」と一言だけ言いたかった。

 なぜ、キリスト教徒が支配的なフィリピンで、ミンダナオ島にイスラーム教徒が多く居住し、反政府ゲリラ活動がさかんなのか。本書から、つぎのような答えを導き出すことができる。16世紀にヨーロッパ人が東南アジアにやってくる前後に、この地域はイスラーム化が進んだ。フィリピン諸島南部のスールー諸島やミンダナオ島にはイスラーム王国が成立して、現在のインドネシアやマレーシアとともにマレー海域イスラーム世界を形成した。それにたいして、フィリピン諸島北部のルソン島やビサヤ諸島の低地では、スペイン人による植民地化とカトリック化が一体となって進んだ。その後、1898年に独立をめざすフィリピン革命に介入して、スペインからフィリピン諸島を譲渡されたアメリカ合衆国は、ミンダナオを「約束された土地」として開発に乗りだしたが、成功したのはダバオの日本人移民によるマニラ麻産業だけだった。戦後、北部から移住してきたキリスト教徒主体のミンダナオ開発が試みられたが、生活空間を失ったイスラーム教徒だけでなく、移住してきた一般キリスト教徒もあまり豊かにならなかった。キリスト教徒との経済格差、なにより政治的自律性を失ったイスラーム教徒は、キリスト教徒主導の政府にたいして、1970年ころから本格的に反政府武力活動を展開した。さらに問題を複雑にしたのは、分類・分布がきわめて複雑な多くの小民族が高地山岳地域を中心に分散居住しており、そこに共産主義勢力が入ってきたことだった。ミンダナオは、「紛争の島」となった。

 このような歴史的変遷を経ても、ミンダナオではマレー世界の「村落国家」、すなわち自然集落を基本とする自律した首長制社会が存続しており、中央集権的な構造が成立しなかった。同じことがゲリラ組織にもあって、コマンダーとよばれるリーダーを中心に、それぞれ独自の行動をとっている。情報も中央集権化されておらず、口コミ情報は早く正確なこともあれば、錯綜して訳がわからなくなることもある。異常に多いラジオ局も、その錯綜に拍車をかけることがある。サービス精神旺盛なフィリピン人が、日本人を見てお愛想で不確かな「日本兵」情報をもたらしたことも考えられる。日本のマスコミのなかには、この「騒動」を通して、フィリピンの国状やフィリピン人の民族性を悪く書くものもあった。本書を熟読し理解していれば、もっと違った目で今回の「騒動」を報道したことだろう。

 本書の目的は、温帯の陸域、定着農耕民、男性エリート中心の近代の歴史観から脱却し、今日のグローバル化、多元文化社会の尊重にふさわしい新たな歴史観を模索することにあった。そのため、熱帯の海域、流動性の激しい海洋民が活躍する海域東南アジア東部という歴史的地理世界に注目した。中央集権化し合理的な近代的制度の下で、行動し考えることはわかりやすい。しかし、制度より個々の対人関係を重視する「海域イスラーム社会」に、それを求めることはできない。世界が流動化し、制度と個人との関係が逆転しつつある今日、「海域イスラーム社会」から学ぶことも多くなってきている。今回、マスコミがミンダナオで求めたものは、機能していない近代的制度がもたらしてくれる情報であり、それに翻弄されたといえるのではないだろうか。

 それにしても不可解なのは、なぜこれだけの騒ぎになったのかである。「ミンダナオ島の日本兵」については、終戦直後から今日まで何度も情報がもたらされ、外務省の方でも充分承知していたはずだ。「現地化」し、本人が帰国を望んでいないとも言われていた。年老いて「日本兵」の心境の変化から、この騒ぎになったのならまだわかるが、「日本兵」の存在を利用してなにかを企んでいる日本人がいるとするなら話は別だ。これだけの騒ぎになったのだから、日本人に「愛国」をよびさますという効果は充分にあった、とほくそ笑んでいる人がいるかもしれない。

 今回の「ミンダナオ島の日本兵」騒ぎについて、ミンダナオの歴史と社会から理解したいという人、近代の価値観から解放されてこれからの社会を考えるヒントをえたい人は、ぜひ読んでほしい。

 本書は、第20回大平正芳記念賞受賞作(2004年)である。

→bookwebで購入

2005年06月07日

『思考のフロンティア 教育』(岩波書店)

思考のフロンティア  →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「教育」という言い古された言葉が、なぜ「思考のフロンティア」シリーズの1書のタイトルになるのか、不思議に思った人がいるかもしれない。しかし、本書を読めば、教育が常に時代の最先端を歩まなければならない、宿命のようなものがみえてくるだろう。

 著者は、近代教育の基礎となっていた「普遍的・超越的な原理」がグローバル化とともに崩壊し、現在「教育」という思想の危機があると認識している。1980年代に近代教育の制度では現状に対応できなくなったことから、新たな教育学の枠組みの模索がはじまり、その「一つの解としての新自由主義教育改革」が進行しつつある。そこでのキーワードは、縦軸として「個人化」と「グローバル化」、横軸として「社会化問題」と「配分問題」であると説明されている。個人と制度との関係が逆転した今日、社会性のない青少年が増え、教育機会や知識の配分に格差が生じている。また、グローバル化にともなって国際理解教育や多文化教育への取り組みが本格化すると、文化的独自性が強調されるいっぽう、国民国家像が曖昧になるという問題が生じてくる。さらに、国際間の経済競争下で、財や資源の配分の問題もでてきた。このような現状のなかで、現在教育の現場で、複雑化する社会に対応するだけの理論と実践が必要となってきているのである。

 本書を読むと、教育がいかにすばやく現状を認識し、長期的に未来を見据えて対応しなければならないかがわかってくる。教育が常に「思考のフロンティア」でありつづけなければならない所以である。しかし、教育は現場からの反応が早く、顕著であるだけに、問題に気づきやすいという「恵まれた環境」にあるということができるかもしれない。学問分野によっては、時代の流れや要請に応えることなく、旧態依然の研究に満足していることに気づかない恐れがある。

 この「思考のフロンティア」シリーズは第㈵期全16冊・別冊1(1999-2002)につづいて、第㈼期全13冊・別冊1が2003年から刊行されている。正直言って、このシリーズのなかにはまずタイトルからしてわからず、なかを読むとさらにわけがわからなくなるものがあった。その原因は、わたし個人の能力にあるのだろうが、新しいキーワードが充分に成熟していないことから、その分野になじみのない者に理解されにくいということもあるだろう。その点、本書は教育学という長年の学問的蓄積のうえに論を展開しているだけにわかりやすかった。新しい学問には想像を超える論の展開があって啓発されることも多いが、この教育学のように着実に学べるという安心感はない。そう感じたのは、学問的性格だけでなく、本書の著者によるものも大きいだろう。

 著者広田照幸は、自身を「理論家というよりも実証研究者である」と「あとがき」の最初で述べている。旧来の原理が崩壊しているようなとき、大切なことは「実証性」を離れた「空論」がひとり歩きすることを避けることだ。その点、本書には、安心して読むことができるだけの「実証性」があった。それでいて「既存の教育学の理論を足場にしてこれからの教育学を考えるかぎり、既存の理論では考えられてきていない範囲にあるものが見えなくなってしまう」という観点から、大学院生と「ずいぶん風変わりなテキスト」を読んでいるという。このような教師の下なら、「教育の未来に向けて」「一つの代案」を出せる人材も、着実に育っていくことだろう。

→bookwebで購入