2016年09月20日

『戦後日本のアジア外交』宮城大蔵編著(ミネルヴァ書房)

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 本書の内容は、表紙見返しに要領よく、つぎのようにまとめられている。「戦後日本はアジアとどのような関係を築いてきたのか。大東亜共栄圏を唱えて世界大戦に敗れた日本は、戦後にはアメリカの影響を受けつつも独自のアジア外交を模索し、今日のアジアの繁栄実現に大きな役割を果たしてきた。本書は、戦前の歩みから戦争賠償、福田ドクトリン、東アジア共同体構想など、近年に至るまでの日本のアジアに対する関与の軌跡を多面的に明らかにする本格的な通史である」。

 戦後70年の「起伏に富んだ日本とアジアの関係」を、編著者の宮城大蔵は序章「戦後日本とアジア」の冒頭で「「アジアと日本」から「アジアの中の日本」へ」という見出しを掲げ、その変化の大きさに改めて驚いている。したがって、その劇的な変化の全体像を把握することは容易ではない。その理由を、つぎのように2つあげている。「一つは日本とアジアの関係があまりに大きく変化したことであり、二つ目には戦後アジア自体の変化の激しさである。また研究の世界について言えば、戦後国際政治は米ソを中心とした冷戦史として把握されることが一般的であり、日本外交研究においても日米関係が中心的な問題であった。その中で日本とアジアの関係を包括的に論じる試みは決して多くはなかった。また冷戦下の時代にあって「日本とアジア」は、日本国内における政治的主張やイデオロギー対立が濃厚に投影されるテーマであったことも、議論の際の難しさであった」。

 「国際関係の広がりを意識しつつ戦後日本とアジアをめぐる歴史の全体像を提示する」本書は、適切なバランスをとりながら、歴史的な流れを理解し、未来へとつなぐ意義を、つぎのようにまとめている。「振り返ってみれば近現代日本のアジアに対する視座は常に、「連帯か、蔑視か」といった「感情過多」を特徴としてきたように見えるし、その傾向は今でも否定できない。二一世紀は、「西洋の優位」というここ数世紀に及ぶ潮流が反転するとも見える歴史的大変動期であり、なかでも日本が位置するアジアはその最前線にある。長らく「アジア唯一」を自らの枕詞にすることに慣れ親しんできた日本人にとって、この変化に向き合うことは大胆な自己変革を必要とする。日本とアジアをめぐる現代史をまず、しっかりと把握することが、過去を経て未来へと向かう潮流の核心を見抜き、それに沿った賢明な選択を行ううえでの出発点となるに違いない」。

 本書は序章、全7章と終章からなる。各章の終わりにコラムがあり、2章以降その時代を象徴する人物、ロムロ、スカルノ、朴正煕、鄧小平、趙紫陽、マハティールが紹介されている。通史であるから、年代ごとに並んでいる。第1章「近代日本とアジア-大日本帝国の時代-」が1945年の敗戦まで、第2章「サンフランシスコ講和とアジア-一九四五~五二年-」が敗戦後を扱い、3章以降10年ごとにつぎのような章タイトルの下、時代ごとの核心をおさえながら議論を進めている:「「ナショナリズムの時代」のアジアと日本-一九五〇年代-」「アジア冷戦の分水嶺-一九六〇年代-」「冷戦構造の流動化と日本の模索-一九七〇年代-」「「経済大国」日本とアジア-一九八〇年代-」「「吉田ドクトリン」を超えて-一九九〇年代-」。

 そして、終章「二一世紀のアジアと日本-二〇〇〇年代-」を、つぎの文章で終えている。「二一世紀アジアの様相を見れば、日本を含めアジア諸国の大半にとって中国は最大の貿易相手であるが、安全保障面では米国と同盟を結ぶ日韓などを筆頭に、米国を頼りとする国は多い。中国を主柱の一つとし、一体化傾向を強める「経済のアジア」と、米国中心の同盟網とこれに含まれない中国という構図からなる「安全保障のアジア」という二つのアジアの姿が併存しているのである。この二つのアジアの間の潜在的な緊張関係を適切に管理し、いかに安定した地域秩序を維持するかが二一世紀アジアの未来を占う焦点となるであろう。日本のアジア外交の方向性と選択も、そのようなアジア地域秩序の将来展望の中に位置づけて構想すべきであろう」。

 本書で扱われている「アジア」とは、具体的には日中韓にアセアン10ヶ国のことである。「戦後70年、日本はアジアとどう向き合ったか」を考えるとき、「アジア」はこれら13ヶ国プラスでよかったかもしれない。だが、これから「どう向き合うか」を考えるとき、地域としての「アジア」をどう捉えるか、その「アジア」のなかでの日本の位置づけが、課題となってくるだろう。

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