2016年08月23日

『忘却された支配-日本のなかの植民地朝鮮』伊藤智永

忘却された支配-日本のなかの植民地朝鮮 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 表紙見返しに、本書の内容がつぎのようにまとめられている。「戦争体験と比べて、意識されることの少ない「植民地支配」の記憶。だがふとした日常に、その消えない記憶、忘れられない遺物が見え隠れする」。「宇部、北海道、筑豊、紀州、知覧、そして四国・・・・・・炭鉱や特攻で死んだ植民地出身の犠牲者を想起し、追悼しようとする人びとの営みをたどる」。「植民地支配の体験とはなにか、それは日本にどのような感情や記憶を刻み、当時と今になにをもたらしているのか。毎日新聞の連載「支配した国 強制の記憶」をもとに単行本化」。

 本書でとりあげている記念碑や博物館を列挙してみよう。
 1982年、宇部炭田長生炭鉱「殉難者之碑」建立
 2013年、宇部炭田長生炭鉱「追悼碑」建立
 1982年、筑豊麻生吉隈炭鉱「徳香追慕碑」再建
2000年、飯塚市国際交流広場「無窮花堂」建設
 2010年、紀州鉱山「朝鮮人追悼碑」建立
 2008年?、知覧特攻平和会館「アリランの鎮魂歌碑」建立
 1998年、東郷茂徳記念館オープン
 1972年、万世「慰霊碑」建立。1993年万世特攻平和祈念館オープン
 2009年、筑前町立大刀洗平和記念館オープン

 比較的最近建てられたものがあることに気づく。そのことについて、著者の伊藤智永は、つぎのように語っている。「特に冷戦後、世界中で人権意識が高まり、インターネットで民間のつながりが発達すると、国の枠を破って個人が前面に出てきた。国同士で「解決」した問題も、民間の力を借りて補う工夫と努力を、今や国家が必要としている」。

 そして、民間が声を上げるのに時間がかかったことを、つぎのように説明している。「一様にほぼ半世紀経って声を上げるのは、今さら蒸し返したり、ようやく勇気が出たからではない。恐らく個人の記憶を社会的な言葉にするには、さまざまな他者と向き合える十分な強さと粘りを熟成させるまでに、それだけの歳月を要するのだ。そうした声が、忘却されていた歴史を社会的記憶に変える。その手順を「思い出す」と呼んでもいい。歴史の、まして戦争という多面的で全体的な体験の社会的記憶は、忘却から引っ張り出すのにも手間と時間がかかる」。

 体験者がいなくなったから、できることもある。証拠となる文献などがなくても、体験者と体験者の周辺にいた人びとは「事実」を知っている。その「事実」を知る人がいなくなったとき、証拠がないとして「無きもの」にするのか、証拠がないからこそ「事実」を「事実」として受けとめるのかによって、人間性が問われる。植民地支配は、支配した側の論理で文献が残る。したがって、植民地支配にもいいことがあるという論理になる。支配を受けた側を主体とした歴史資料が乏しいがゆえに、支配された側は泣き寝入りを支配された側から要求される。植民地支配から解放され独立しても、政治的、経済的に劣勢であると旧植民地宗主国側の論理を受け入れざるをえない場合がある。1965年の日韓基本条約が結ばれたときの韓国は、朝鮮戦争の結果、軍事的にも経済的にもアメリカや日本に頼らざるをえなかった。そのときの状況を無視して、「国同士で解決済みの問題を今さら蒸し返すな」というのは、植民地支配の意味と実態を知らない宗主国側の一方的な見方だ。植民地支配は、支配が終わり、支配の意味を問おうとしたときに、よりその弊害が如実に表れ、支配された側の苦悩がはじまるが、支配した側は支配した事実さえ忘れようとする。それが歴史認識問題として表面化する。解決するためには、支配した側が支配された側のひきつづく苦悩を理解するしかない。

 著者は、「おわりに」でつぎのように述べている。「「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」(安部談話)という願望は、「支配され、強制された」側にすれば、虫がよすぎる上に、お門違いだろう」。強制か強制でないかを議論すること自体が、「強制」の意味がわかっていない。植民地支配下の住民が、支配している側から言われれば、すべて「強制」なのである。それが植民地支配で、その必要がないなら植民地支配する意味もない。

 著者は、「戦争の記憶の底に眠り、日本各所に埋もれる植民地支配と強制の記憶」を、つぎのようにまとめて、本書を終えている。「「民族」「国民」としては支配者の子孫に他ならない日本人でありながらも、そのような記憶にこだわる営みは、同情や憐憫や贖罪だけでは決して続かない。支配し強制した過去を認めたくない多くの人たちの心情と、あえて認めさせようとする少数の人たちの信条。植民地の歴史を持ち出せば、必ずと言ってよいくらい、対立とすれ違いも生まれる。それらの心情と信条が何に根ざし、どう受け継がれてきたのかを探ることも、植民地支配と向き合う上で避けては通れない。しかし、そうした難所を通って植民地支配にこだわる営みは、安部談話で満足するような戦争の思い出し方に、それとは違う思い出し方を差し出してみせていると思えた。そのこだわりを尋ね歩くことが、私の戦後七〇年取材になった」。

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