2017年07月25日

『戦禍を記念する-グアム・サイパンの歴史と記憶』キース・L.カマチョ著、西村明・町泰樹訳(岩波書店)

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 著者の「カマチョ氏は、チャモロ人やカロリン人を抑圧してきた欧米や日本の政治に対しては徹底して批判的である」と「解説」に書いてある。また、解説者の矢口祐人(東京大学大学院総合文化研究科教授)は、本書の意義をつぎのように説明している。「カマチョ氏はグアムとハワイで、アメリカの影響下にある太平洋の島々が直面する矛盾や問題を日常的に感じつつ、太平洋の島々の近代史を再考しようとしてきた。これまでの太平洋島嶼史は先住民に焦点をあてたものについては考古学的な古代史が一般的で、近代の歴史は、イギリス、フランス、アメリカ合衆国、日本などの植民者の視点から考えるものがほとんどであった。たとえば日本で刊行されているマリアナ諸島の歴史は、日米の戦いを、日本軍や日本人市民の視点から描いたものが大半である。日本ではサイパンで多くの兵士が玉砕し、市民も自ら命を断ったことは広く知られている。しかしそこで不可避的に日米の戦争に巻き込まれたチャモロ人やカロリン人にとっての戦前、戦中、戦後の歴史に正面から取り組んだ書はない」。

 「本書ではまず、マリアナ諸島における第二次世界大戦の記憶について検証するが、さらにその記憶が植民地主義政策や現地民の文化的行為者性によってどの程度特徴づけられているのかについて、そして最後に、記念行事による特徴づけについても検証する」。著者、カマチョの関心は、「たんに戦争の歴史というものを暴力的な過去だけに限定して提示することにあるのではなく、むしろマリアナ諸島において長いあいだ主題化されずに周縁化されてきたいくつかの論点について、さらなる議論を育んでいくことにある。本書はチャモロ人の著者がそうした取り組みに向けて、群島全域にわたってチャモロ文化内外の諸関係を考察しまとめたマリアナ諸島の歴史叙述としては初の試みとなる。これまで、マリアナ諸島に関するほとんどの研究は、アメリカ合衆国未編入領土〔準州〕であるグアムと、北マリアナ諸島自治連邦区という二つの現行政体に焦点を当ててきた。その結果、実際には、植民者や地元の人びとや移民といった諸集団のあいだで、多くの接触や交流が見られた時代の研究においても、グアムと北マリアナ諸島とが一見分離し関係を持たない地域であるかのように捉える歴史叙述の傾向が生じたのである。読者に対してはグアムと北マリアナ諸島を比較しながら焦点を当てる際に、この群島の分断された歴史について認識し、注視し、検証するよう勧めたい。私のねらいは、対立的な植民地史の産物であるこうした分裂状況の源流を探求し、それに代えて、過去をめぐるチャモロの文化的・政治的語りを表現するための包括的な場を生み出すことにある」。

 本書は、序章「戦争・記憶・歴史」と全7章からなる。終章や結論、あとがきなどはない。序章第4節「本書の構成」冒頭で、「本書において私は、三つの理論的テーマについて検証する」と述べ、つづけて「第一の目的は、ローカルとグローバルにおける同一化と差異化のプロセスとして、「文化」が果たす機能のあり方を探求することである」とし、つぎのように説明している。「集団の文化的ラベルが、世代間や文化内に存在する多様性や区別というものを時に画一化し、あるいは植民者や地元民、移住者同士の対立する利害さえ助長するのであれば、これは重要な考察となる。地元民においては、「集合的なアイデンティティを示すために用いられる」「インディアン」や「ハワイアン」という概念は、「多様な人びとを再定義し、再配置するなかで植民者が創出し、被植民者に押しつけたカテゴリーを前提とするものである」。しかしながら、文化的なカテゴリーが具体化されたのは、たんに植民地化だけの結果ではなかった。文化的アイデンティティや連帯、差異性といった観念はまた、文化、人種、伝統といった人類学的概念によっても形成されたものである」。

 第1章「忠誠と解放」では、ジェフリー・ホワイトが「ソロモン諸島において第二次世界大戦をめぐって対立する記憶が「忠誠」や「解放」といった歴史的な語りを形成してきたことを論じている」「議論を元に、マリアナ諸島における日米の植民地主義と土着の文化実践とのポリティクスを議論する」。この「第一章ではまた、「植民地主義」がどのような方法で植民者と被植民者のニーズに配慮するのか、という本書の二番目の目標に対して部分的に応答している。つまり、植民地主義に対するこのような立場によって、植民地主義や抵抗の歴史叙述をある部分で規定し続けてきた政治上の征服や宗教上の改宗、経済上の従属といった強圧的で暴力的な歴史を認識することができるのである」。

 第2章「マリアナ諸島における第二次世界大戦」では、「マリアナ諸島における第二次世界大戦について検証することで、植民地主義のポリティックスと現地民の文化的行為者性に関するこうした議論の幅を拡げたい。戦時期の植民地政策や土着の文化をめぐるポリティクスの動因やその帰結に注意を払いつつ、群島における第二次世界大戦の歴史を精査した」。

 第3章「戦争の爪あと」で「焦点を当てるのは、マリアナ諸島における第二次世界大戦直後の時期である。ここでは次のように問いを立てた。つまり、忠誠と解放が戦争以前の時代における植民地主義の歴史を語るうえで鍵概念として機能していたのだとすれば、戦争直後の時期にはどのように作用したのだろうか、というものである」。

 「本書の第三の目標は、過去の想起や記念に対する人びとの積極的な関わりを論じることである。すなわち、平凡な人びとが歴史によって作られるのと同程度に、彼らが「歴史を創出している」ということである。第4章「宗教的行列から市民的パレードへ」と第5章「英雄なき地」では、「多様な世代のアメリカ人、チャモロ人、日本人が戦争をずっと記憶し、彼らが適切で意味深いと認めたやり方で戦争の解釈をたえず行っていることを示す」。

 第6章「記憶と歴史の周縁で」では、「日本が一九四一年から一九四四年までの戦時期にグアムで行った現地民労働者の徴用という「忘却された」歴史を検証することで、マリアナ諸島における集合的忘却の問題について検討する。ここでは、戦時期の大日本帝国に対する現地「協力者」とでも言えるような人びと、すなわちチャモロ人の「慰安婦」や通訳、警察助手といった人びとの役割について議論を行う」。

 そして、第7章「ドゥエニャス神父の生涯と死」では、「結論として、第二次世界大戦の社会史として本書で探求した主要テーマに立ち返りたい。植民地主義のポリティックスと現地民の文化的行為者性の変化によって、マリアナ諸島における記念行為は将来どうなっていくのだろうかという問題を提起する」。著者の関心は、「過去がいまだ過ぎ去っていないということや、人びとが歴史の創出に意識的に携わっているのだということを示すことにある」。

 第7章を「結論」としていることから、著者は、第7章の終わりのほうで本書をつぎのようにまとめている。「本研究では、こうした記念行為の歴史に学問的関心を集めることで、読者諸氏に対して、歴史学者のジョン・ダワーが名づけた(日米における戦争をめぐる学術的、大衆的想起を支配し続けている)戦争をめぐる「勝利」と「悲劇」の語りを乗り越えてもらえたらと考えている。本書において私は、戦争をめぐる単一の語りが、マリアナ諸島において現在中心的な戦争記念である解放記念日の意味と方向性を支配しているわけではない、ということを示してきた。忠誠と解放という概念は、持続的な反省と吟味と変化を経てきた。さらには、それらは、チャモロ人たちが決して心の底から忘れ去ることのない戦争の過去に対する記憶や社会関係をつねに媒介している概念なのである」。

 そして、本書における「理論的テーマ」「目的」「目標」の関係がよくわからないが、「本書における私の第三の目的は、アメリカ人と日本人とともに、チャモロ人たちが、「歴史」によって生み出されていると同時に、積極的かつ意識的に「歴史」を作り出してもいるということを示すことであった」と述べ、続けてつぎのように本書を結んでいる。「歴史とは、過去に関する経験主義的研究やポスト植民地主義的研究を形成するにとどまらない。また、たんに直線的な語りや円環的な語りを創造するにとどまらない。植民地化と脱植民地化の歴史は、それらが議論の唯一の焦点となるわけではないにしても、学術的な注目を必要としている。太平洋における歴史の創出は、一九四五年以降にマリアナ諸島で行われてきた戦争の記念行為に明らかなように、競合と祝祭との活気に満ちたプロセスなのである。私の希望するところは、チャモロ人たちが過去に行ってきたように、チャモロ人自身と他者とが理解しあうための共通の基盤をさらに育んでいくようなやり方で、戦争を記念し続けていくことである。相互に配慮を持った視点で過去を解釈することは困難で、時に暴力的な課題ともなるが、二一世紀のアメリカ植民地主義の舞台となっている太平洋諸島では早急に求められている視点なのである」。

 近代国民国家では、国民のための歴史が語られてきた。国家や国土をもたない民族にとって、歴史を語ることは困難で、社会史として語られても、自分たちを主題とすることはたやすいことではなかった。グアムやサイパンにおいても、植民支配した宗主国を中心に語れてきた。だが、国民だけでなく市民も重視される時代になって、市民社会を創ってきたのはだれか、これからの社会を創っていく主体はだれか、が問われるようになった。それは、過去への責任と同時に未来への責任を問うことになる。では、そのような社会での歴史教育はどうなるのか。グアムやサイパンで、どのような歴史教科書が使われているのか、知りたくなった。

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