2017年03月21日

『カロライン・フート号が来た!-ペリーとハリスのはざまで-』山本有造(風媒社)

カロライン・フート号が来た!-ペリーとハリスのはざまで- →紀伊國屋ウェブストアで購入

 伊豆半島の南端近くの下田には、「下田開国博物館 (黒船来航の記念館)」がある。ホームページには、「下田から世界へ発信した 幕末開港の歴史」の見出しのもと、つぎのような説明がある。「下田は古くから風待ち港として栄えてきましたが、嘉永7年3月(1854年4月)アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊来航によりわが国最初の開港場となりました。ペリーが去るとロシアの使節プチャーチンが訪れ、北方の国境画定を含む日露和親条約を結びました。翌年にはアメリカ総領事タウンゼント・ハリスによるアメリカ領事館の開設があり、イギリス、フランス、オランダ等の船も下田港に姿をみせました。日米修好通商条約の締結により開港場の役割は横浜、神戸などに移りましたが、ペリー来航から明治維新まで僅か15年、その最初の数年間、下田は日本が世界に飛び出す役割を果たした地でした。下田開国博物館は、日本開国に係る約2000点の資料・遺品の中から約1000点を入れ替え展示しています」。

 このような教科書的説明から、日本人はペリーやハリスが幕末の日本、日本人にどのような影響を与えたかに思いを馳せる。だが、ペリーが1854年に締結した日米和親条約に影響されて日本にやってきたアメリカ人がいたことや、そのアメリカ人がハリスが58年に締結した日米修好通商条約に影響を与えたことに、思いをめぐらす日本人はいない。

 本書「はしがき」は、つぎの文章ではじまる。「一八五五年三月一五日(安政二年一月二七日)、終日、輝く富士を目指して進んだスクーナー型のアメリカ商船カロライン・E・フート号が、夕暮れになって下田港に入った」。「ペリー艦隊やプチャーチン使節団などの来訪でいろいろな外国人を見慣れてきた下田の人々にとっても、六人の平服の紳士が三人の妙齢の婦人と二人の幼い子供を連れて上陸し、「夫婦手をひきあふてあゆむ」様子は、誠にセンセーショナルであった。彼らは結局二ヶ月半の余にわたって下田に留まり、その後箱館を経て六月二七日(五月一四日)帰国の途に就いた。六人の紳士がホノルルでフート号をチャーターして出帆したのが二月一三日(安政元年一二月二七日)、サンフランシスコに帰着したのが九月一七日(安政二年八月七日)のことであった」。

 本書の目的は、「彼らはどこから来たのか。何を求めて日本を訪れ、何を得たのか。彼らは日本に何を見、日本人は彼らに何を見たのか」を明らかにし、「ペリー条約の締結を聞くや否や直ちに、友を誘い家族を引き連れて「ジャパン・パイオニア」を目指したフート号乗客たちの商人魂こそ、この時代の西漸運動の市民精神を代表する具体的一例と見做すこと」である。

 本書は、「はしがき」、全3章、「あとがき」からなる。「第一章「カロライン・フート号婦人図をめぐる若干の考察」では、フート号日本行の概要を見た後、現在下田開国博物館に所蔵される絵図「豆州下田港入津之亜米利加婦人之図」を出発点とし、当時に残されたいくつかの絵図・巻物類の探索を通して、日本人の眼に映ったフート号乗客の有様と印象を描いてみる」。「第二章「ロジャーズ司令官の下田と箱館-カロライン・フート号「居留問題」を中心に-」では、たまたま下田と箱館でフート号に遭遇し、日本側とのトラブルに巻き込まれることになったアメリカ海軍・北太平洋測量艦隊の司令官ロジャーズ大尉の行動を通じて、フート号の居留問題の展開を考察する」。「第三章「下田「欠乏品交易」とその周辺-カロライン・フート号「貨幣問題」を中心に-」では、安政「開国」以前のいわゆる「欠乏品交易」にかかわる通貨・貨幣問題を、フート号乗客の場合に即して考える」。

 そして、「はしがき」は、つぎの文章で結ばれている。「こうしたアメリカ市民の居住権の獲得、内外貨幣交換率をふくむ官営交易の是正といった問題、広くいえばペリー艦隊による「日米和親条約」の不備・不足を正し、一歩進んで自由な「通商関係」を確立することが、初代総領事(ならびに外交代表)に任命されたタウンゼント・ハリスに与えられた基本的な使命であった。「下田協約」の締結から「日米修好通商条約」にいたる彼の奮闘努力については、すでに多くの幕末開港史に詳しい。小著でのハリスは、カロライン・フート号乗客が残した問題に彼がどのように対応・対処したかという視点から観察される」。

 本書の3章は、同じ事象を別の角度から見たという側面があり、繰り返し表現が散見される。それは、著者が、「本格的な「開国」に先立つアメリカ人と日本人のはじめての出会いを、「大きな歴史」としてではなく、社会史的、政治史的、経済史的なエピソードを重ねる「小さな物語」として描いてみようとした」ことによる。

 その結果、つぎのように「彼らは日本に何を見、日本人は彼らに何を見たのか」が著者には想像できた。「カロライン・E・フート号の乗客たちは、パイオニア精神にあふれたまさにアメリカン・デモクラシーの子であった。彼らは、新たなフロンティアの開拓を自らの使命であり、かつ権利であると信じていた。同時に彼らは、市民の権利を日本人に知らしめることもまた自らの任務であり、かつ責任であると信じていたに違いない」。「このやかましいアメリカ人のやかましい要求には、江戸の幕閣から現場の小役人まで、さぞ手を焼いたことであろう。しかし、このやかましさの一部が彼らの少々お節介な啓蒙精神の発露であることが分かってみれば、むしろロシア人よりもフランス人よりも金離れが良く、闊達で楽しい人々であると思ったことであろう。ましてや、容顔美麗な婦人や綺麗な児共(こども)らの姿は、町の人々の心を和ませた」。

 「またアメリカ人からすれば、つねに付き纏ってスパイ行為をつづける役人にしても、こずるく立ち回る欠乏会所の商人にしても、また物見高くて遠慮の無い庶民にしても、すこし付き合ってみれば、日本人が清潔で賢い人々であることにすぐに気がついたことであろう」。

 本書から、教科書からはみえない「小さな物語」がみえた。それは近代史のなかでは「小さな物語」であったかもしれないが、「小さな物語」の積み重ねで歴史がつくられていくグローバル化社会にあっては「大きな歴史」となっていく。近代の「小さな物語」を、現代のグローバル史のなかに位置づけ直すことによって、現代の問題がみえてくるかもしれない。

 3月から下田開国博物館の入館料が1200円に値上がりした。高すぎる! 多くの観光客は入館をためらうだろう。こういった文化施設、とくに地方の文化施設は無料で入館できるようにすべきだ。すくなくとも、特定の曜日や日を無料にして、地元の人びと、とくに子どもたちが身近な歴史や文化に接することができるようにすべきだ。本書の「小さな物語」を「大きな歴史」に結びつけることができるようになるには、まず地元の理解が必要になる。

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