2018年01月16日

『アキヒト天皇と戦後日本』河西秀哉(羊泉社歴史新書)

アキヒト天皇と戦後日本 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「床に座っている被災者に対して、わざわざ床に膝をついて同じ目線で話を聞く天皇・皇后の姿」を、何度われわれはテレビや新聞で見たことだろう。本書は、「なぜ天皇はこうした行動をとるのだろうか」という「疑問を解くために、現在の象徴天皇性のありようを規定している明仁天皇に焦点をあてて、その戦後のあゆみを概観」することを目的としている。

 著者は、つづけてつぎのように述べている。「それによって、現在の天皇の行動の意味が明らかになるはずだと考えるからである。また本書の試みによって、象徴天皇制が戦後社会にあってどのような位置づけにあり、それがどのように変化しているのかもわかるはずである。明仁天皇のあゆみを通して、戦後社会の姿や象徴天皇制とは何かを明らかにする試みとしたい」。

 この天皇の姿は、安倍首相とずいぶん違う。『朝鮮日報』(chosun Online 2017年12月21日)などで、つぎのように報道された。「安倍晋三首相が首相官邸を訪れた外賓に会う時、「いすの高さ」を巧妙に調節して相手国やその外賓に対する態度を意図的に示す外交手法を使っているという見方が出ている。特に韓国に対しては、現政権関係者を含め第1野党の代表に会う時も、ほぼ例外なく安倍首相の方がやや高いいすに座り「見下ろす」の位置関係を取っていることが確認された」。目線をどこにするかは、人の上下関係を表す。天皇はなぜ、被災者と同じ目線にしたのか。たしかに、明仁天皇を語るポイントになる。

 本書は、「はじめに-「平成流」の皇室と国民意識」、全4章と終章「慰霊への思いと戦後日本」からなる。全4章は、「新しい皇太子像の創出」「ミッチー・ブームとその後」「次期天皇への芽生え」「新天皇の意志」と時系列で話が進む。

 本書の特徴は、「あとがき」でつぎのふたつがあげられている。「第一に、長い皇太子時代を描くことである。敗戦直後にヴァイニングから受けた民主主義教育を明らかにし、それが現在の明仁天皇の思想と行動に繋がっていることを示す著作は多い。本書が示したようにそうした側面はたしかにあるし、その経験が原点となっていることは間違いない。しかし人は連続して生きている。その間に考えが次第に変化したり、より深まっていくことはあるだろう」。

 「第二に、マスメディアにおけるイメージを描くことである。これはこれまで私が象徴天皇制を検討する際に用いてきた方法である。その結果、明仁天皇の実態とイメージの差が明らかになったと思う。先に記したように、皇太子時代、国民から期待感がかけられたのち、急速に「憂鬱」感を与えられていく。しかし皇太子の実態はそれほど変化していなかった。マスメディアや国民が時代の雰囲気からそう捉えたのである」。

 そして、終章をつぎのように結んで、本書の結論としている。「皇太子の行動に魅力を感じなかった」のが、「明仁皇太子が天皇に即位したことで変化する。天皇が変わったことによって、再び天皇制が変化したという新しさのイメージに注目が集まるようになるのである。そのなかで明仁天皇は皇太子時代と基本的には変わらず、戦争の記憶の問題に取り組み、国民との接触を重ねていく。バブル経済が崩壊し、社会にさまざまな不安が広がるなかで、次第に天皇・皇后の動きや考えに注目が集まるようになった。そこに国民は理想的な人物像を見たのである。その一貫した姿勢に、人々からの関心が寄せられたともいえる。こうした傾向に大きく寄与したのがマスメディアの報道であった。報道で何が伝えられるのかによって、国民の意識も変化する。明仁天皇はこのような国民の意識と関係しながら、戦後社会とともに生きてきたのである」。

 このように移ろいがちな「国民的関心」とともに、「象徴」としてのあり方を模索しつづけてきた結論が、国民と同じ目線であった。この移ろいやすい「国民的関心」に、これからの天皇が順応できるのだろうか。一抹の不安を感じる。

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