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2010年08月31日

『荷風と東京』川本三郎(岩波書店)

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「街歩きと日常」


 川本三郎の街歩きエッセイが好きだ。夜中に灯りをつけて読むのもいいが、旅先の各停車中で読むのもまたいい。じぶん自身の旅と、著者の語る街歩きとが重なりあって、愉しみが二乗される気分になる。

 先日『我もまた渚に枕──東京近郊ひとり旅』(ちくま文庫)を読んでいたら、うちの近所のことが書かれていて、びっくりした。戦後の荷風が市川に住んでいたことはむろん知っていたのだが、このあたりまで散歩圏だったことまでは知らなかった。ぼくが読んだ岩波文庫版の『断腸亭日乗』は抄録だから、省かれていたのだろう。

 そこで、いまさらながらではあるが、川本の『荷風と東京』(上・下、岩波現代文庫)を買ってきた。評価の高い著者の代表作だが、未読だった。読んでみると、これがまた、おもしろい。

 『断腸亭日乗』を徹底的に読み込むというアプローチが、まずいい。さらに着眼点がすぐれている。とことんディテールにこだわるのだ。

 経済生活、かよった店、女性たちとの日々、食生活、庭仕事、そして散歩。散歩といっても、その時間の過ごし方は掃苔から買物までさまざまだ。そのひとつひとつを、こんがらがった紐の結び目をていねいに解きほぐすようにして、整理してゆく。

 荷風が歩いた当時の道筋と街並みとを種々の資料にあたりながら再現してゆく手つきは、手練れの散歩者である著者にして初めてなせる技であろう。

 日常とはまさにこうした些事の集積であるが、「文学」とか「思想」と大上段にふりかぶってしまうと、どうしても軽視されがちだ。しかし荷風と、かれが数十年にわたって日々歩きとおした東京との関係は、特異で非日常的なものというより、荷風という人間のあり方にとって根源的なレベルにあり、それゆえに日常の営みと不可分の形で存立していただろう。したがって、こうした日常の細部を丹念にたどってゆく態度こそが対象にたいする誠実さなのだといえる。

 著者の姿勢でさらに重要なのは、日常の細部をただ枚挙していくだけではない点である。たとえば、巷間いわれるのとはまったく違う手続きをへて、荷風が浅草という街を「発見」してゆく過程を詳らかにしている場面をみてみよう。細部に着目するとき、その向こう側につねに思想を見ようとしていることがわかる。それは細部をどのように読み解くかという批評性にかかわっている。

 戦災で麻布の偏奇館を焼きだされた荷風は、戦後市川に移ってくる。荷風はそこに、かれがもっとも愛した戦前の東京的な風景を見出していったことが指摘されて、本書は閉じられる。その読後感は、従前の荷風のイメージにはおよそ似つかわぬといっていいほど、穏やかで愛情に満ちた豊潤な余韻を残す。その読後感こそ、東京という街と生涯を添いとげたこの文人の長い人生にもっともふさわしいものかもしれない。


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