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2010年12月22日

『八十二歳のガールフレンド』山田稔(編集工房ノア)

八十二歳のガールフレンド →bookwebで購入

「慎ましい生の痕跡としての文学」

 
 文学は、なぜあるのだろうか。ある人間がそこに生きていたという痕跡を、自ら「ペン」を使ってこの世界に残すためかもしれない。「パン」を作ったり、食べたりするだけでは満足できない、ややこしい感情を持った生命体としての人間が、自分という存在のそのややこしさを持てあまして格闘するさまを、抜け殻のように文字として死後に残そうとする生命活動なのかもしれない。本書『八十二歳のガールフレンド』を読んで、私はそんなことを思った。

本書の著者・山田稔は、そうした(いわばマイナーな)作家たちの慎ましい生のありようを彼らの作品や人柄を通して丁寧に紹介し、後世に残す手助けをしようとする。もしここでそれを書き留めておかなければ、人知れず忘れ去られてしまうだろう作家たちのことを、決して世の中の評価に抗って称揚するためではなく、彼らの歩んだ生の慎ましさのままに書き残そうとする。そのような慎ましい書き振りが、こちらの胸を深く撃つ。

冒頭に、他の作家論風の文章とはいささか趣の違った、「独り酒」という短いエッセイが置かれている。酒場で酒を飲むよりも、自宅で独り酒を飲むほうが楽しくなってきたという身辺雑記的な話題が書かれているのだが、二つの印象的な挿話が含まれていて、読者は気を抜くことができない。

一つは、自宅の独り酒で、盃が濡れたテーブルの上をついと流れるという話。山田は、友人で詩人の大槻鉄男が読書しながらの独り酒でこの現象が起きると、酒が彼に対して「ほっておく気か、とすねているよう」に感じたと生前に話していたことを回想する。やがて大槻氏が亡くなってしばらく後に山田が自宅で飲んでいると、盃がすうっと流れたので、彼が帰ってきてあたりにいるような気がしたという。もう一つは、晩酌の最中に小さな羽虫が盃の縁にとまってぽろりと中へ落ちたのを、箸の先で掬いあげ、テーブルの上にそっと横たえてやったという話。「ぐったりとして、もう微動だにしない。完全に酔いつぶれている。」という文章でこのエッセイは終わる。

酒の盃がついと動いたり、羽虫が酒のなかにぽろりと落ちたりすることなど、いずれも私たちが日常生活のなかですぐに忘れてしまうような、どうでもよい些細な出来事だろう。しかし山田はそうした出来事のなかに、生命体の小さな蠢きのようなものを感じとって、それを丁寧に描き出している。しかも「完全に酔いつぶれている」という文で終わるのだから、小さな虫への愛といった柔わな情緒性を鋭利に断ち切り、生きること(=死ぬこと)の即物性を読者に差し出してくるかのようだ。実は、彼が本書で描き出す、さまざまな無名の作家やほかの人間たちの話もまた、まさにこの盃や羽虫のように、はかない生命体の「すうっ」とか「ぽろり」といった微細な動きとして、即物的に描かれているのだと思う。

例えば、谷原幸子という無名作家のことを回想した「やさしい声」という散文。「VIKING」という、「自らの存続を唯一の目的として発行されている」ことを掲げた文芸同人誌に1981年に書かれてたもの(今も700号を超えて出ている)。今年の夏は暇だったので、机の引き出しを整理していたら、一通の封書が見つかったというさりげない話から文章は始まる。その手紙は、その時から10年余り前に山田が大阪文学学校の機関紙「新文学」に掲載された谷原幸子という無名作家の作品の、独特のユーモアに関心して感想の手紙を送ったことに対する返礼の手紙だった。彼女はすでに山田がパリ滞在していた1977年に亡くなっている。
 
そこから山田自身がすでに忘れかけていた、谷原幸子という作家に関する回想が始まる。手紙を交わしたとはいっても、その手紙を忘れていたぐらいだから、あまり深い付き合いがあったわけではない。彼女の出版記念パーティーの30人ほどの集まりに呼ばれてスピーチをしたときに一度会ったきりらしい。だからこの散文は、彼女の作品を丁寧に読み直すという作業を通しての、喪の作業になっている。

山田が中心的に紹介するのは、同人誌「鈍」に75年に発表された「つりがねにんじん」という作品で、これは島秋人という死刑囚の歌人と、彼の作品を高校生のときに読んで以来、彼が処刑される67年まで6年間にわたって文通し、野の花などを差し入れていた前坂和子という女性との交流を描いたものである。とりわけ島秋人が恋心をよせていたにもかかわらず、それを拒絶しながら処刑前日につりがねにんじんを差し入れるような付き合いを続けた前坂和子の気持ちに谷原幸子の興味は向かっている。そのような作品内容を紹介したあと、山田はそこに谷原の死後に発表された「「つりがねにんじん」ノート」によって知った事実、すなわち谷原が前坂和子に実際に会ったという事実を書き加えていて、この散文は幾重にも折り重なり、入れ子状になった多層的な時間を持って生きだし、山田独特の世界を形作っていく。

しかしそうした錯綜した構成の向こう側から私たち読者に送り届けられてくるのは、彼女たちそれぞれの慎ましい生のありようなのだ。死刑囚の歌を新聞で読んで、実際に手紙を出したり花を差し入れたりして交流した若い女性。その交流に関心を持って、小説に書いて同人誌に発表した中年の女性。その女性作家と短い交流があったことを彼女の死後に回想して、また別の同人誌に書いた山田稔。さらにそのエッセイを発表後23年経って小さな出版社から出した単行本に、忘れかけていたのを思い出すかのように収録して、それを私がここで出版5年経ってから読んで書評を書く。誰かが生きたという慎ましい生の息遣いが、何人ものペンを通して細く細くつながっていく感じだ。まるで奇跡のようではないか。
 
そこでリレーされているのが、このエッセイの題名にもなっている「やさしい声」だろう。山田稔は書く。「そして私は考えた。谷原幸子の声のやさしさ(それは文学の声のやさしさと言い換えてもよいが)は、やはり単純な、並大抵なやさしさでなく、何かつらく苦しいものをくぐりぬけたやさしさ、つらく苦しいものによって鍛えられ、醸し出されたやさしさである、と」(189頁)。それは、1960年代のヒーロー大島渚が島秋人の遺稿集に寄せたという推薦文の、死刑反対を叫ぶ自信に満ちた声と文章の騒々しさ(と谷原が言うのだが)とは正反対のものだろう。

 むろんここで山田がいう「文学の声のやさしさ」とは、山田稔の書いた本書自体の魅力のことでもある。本書はそのような「やさしい声」が、あちこちから聞こえてくるような素敵な書物なのだ。遠いむかしの天野忠の詩に少し出てくるポーランド人のマリアさんのその後の消息を追い、想像する「マリアさんの話」。読んだ本の翻訳者に感謝の念をこめて手紙を出したことから始まった女性との交流を彼女の死後に回想した「八十二歳のガールフレンド」。シャルル=ルイ・フィリップ(山田はその翻訳者だ)の生家を訪ねたときに知り合ったフィリップの評伝作者(高齢女性)との、文通を中心にした微かな交流を、やはり彼女の死後に回想した「シモーヌさん」。それらの文章の「やさしい」書き振りに深い感銘をうけながら、私もまたあまり大きな騒々しい声ではなく、その「やさしい声」をそっとそのまま誰かに伝えたいと思った。

(追記)
最初は山田稔の新刊『マビヨン通りの店』(2010年)を読んで感動して書評を書こうと思いたったのだが、私はそれまで『富士さんとわたし─手紙を読む』(2008年)しか山田作品を読んだことがないという初心者だったので不安になり、『八十二歳のガールフレンド』(2005年)、『北園町九十三番地─天野忠さんのこと』(2000年)と読み進めていくうちに麻薬中毒的な快楽にかかってしまい、結局新刊でない本書について書いてしまった。しかしここに挙げた本はどれも素晴らしい(発行はすべて編集工房ノア)。


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