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2009年10月28日

『豆腐屋の四季 ある青春の記録』松下竜一(講談社)

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「テレビに出ることの喜びと恥ずかしさを取り戻すために」

 本屋の文庫本新刊コーナーで、本書が平積みにされているのを見た瞬間、鈍い予感が身体のなかを走った。これは何だか、とんでもなく面白そうだぞ、と。本書について何かの知識があったわけではない。帯に「永遠のベストセラー」とあるが、聞いたこともない。むろん、松下竜一という著者の名前には見覚えがある。私のなかでは、70年代から活躍してきた反公害運動のルポライターといったところだ。その著者の本が、「講談社文芸文庫」という文学臭がぷんぷんするところから出ているというミスマッチに、私は興奮したのだと思う。帯には「貧しさと恋の歓喜を短歌と文に綴った永遠のベストセラー」(鵜呑みにすれば、気持ち悪い本だ)とある。まったく内容を想像できず、ただドキドキして頁も開かずに平台に戻してしまった。実際に買ったのはその10日ほどあとだ。読んでみて、やはりとんでもなく面白かった。

 著者が本書を書いたのは、プロの物書きとなる前、大分県中津市で父親の豆腐屋を継いで生計を立てながら、朝日新聞西部版の朝日歌壇の常連として歌を投稿していた、1967年から68年にかけてのことだ。何の出版のあてもないまま、「小さな平凡な豆腐屋の、過ぎゆく一年の日々を文と歌とで綴ってみようと」決意し、そこから一年にわたって短い随筆を書き継いで行って一冊の本として自費出版された(翌年、講談社から出版されテレビドラマ化されることになるが、書いている最中はむろん分からない)。その数々の短歌と随筆から、彼の暮らし向きが見事に浮かびあがってくるのが素晴らしい。早朝2時、3時には起きて豆腐を作り、一日に4回もバイクで近くの漁港町の豆腐店にそれを卸しに運ぶという、貧しい暮らしの記録である。しかし同時に、愛する幼い妻(19歳)と共に働き、その妻が妊娠して子供を授かる日までの、幸福な生活の記録でもある。

真夜孤りの心おのずと優しくてくどの子蟻ら逃がして点火す
豆腐五十ぶちまけ倒れし暁闇を茫然と雪にまみれて帰る
臨月のかがめぬ妻に靴下をはかせてやりぬあした冷ゆれば

 暮らしのなかから生まれてくる感情をそのまま言葉として定着させたような素晴らしい歌の数々だ。深夜一人で豆腐作りをしているときの孤独感と小さな生き物への共鳴(「くど」は竈のこと)、雪のなかで転倒してせっかく作った豆腐を無駄にしてしまうときの悔しさ、臨月の妻の身体への気遣いなどがそれぞれストレートにこちらに伝わってくる。ちょうど私たちが楽しい気分になって、ふと口笛を吹いてその楽しさをメロディーとして表現して自分の感情を確かめるときのように、ここでは自分の日常生活にちょっとした彩りを与えるために短歌が歌われているように見える。それは制度化された芸術や文学が、いまここの平凡な暮らしから私たちを離脱させようとする超越的な「美」の力を持っているのとは正反対だろう。鶴見俊輔の概念を使えば、「限界芸術」と言ってもよい。だから著者は、取材に来た新聞記者に答えて「ぼくは、自分が文芸をやっているのだとは思いません。ただ、日々の生活記を歌や文の形で残そうとしているのみです。ぼくにとっていちばん大切なのは、日々の現実生活そのものです。それを充実する手段として記録に励むのです。歌人の歌には生活の根が読み取れません」(205頁)と言うのだ。
 
 こうした考え方を持つ著者は、人々の暮らしのなかの生き生きした会話を奪うテレビを憎んでいる。「家庭の夜が、こんなに悲しいものであったはずはない。夜の窓とは、ほのぼのと暖かい家庭の象徴ではなかったか。生き生きと家族の対話と笑い声が漏れ来るものではなかったか。今、窓から漏れ来るのは、テレビの音とそれに反応する無気力な笑い声なのだ。家庭の笑い声はどこに行ったのだ?」(97-98頁)、と。だから著者は、妻がテレビを見ることを原則的に禁じ、できるだけ夜の時間を二人で語り合ってすごすよう努力する。メディア空間に侵略されない、人間の生き生きした自律的な暮らしを守ろうとする。1970年代になって私たちの社会生活がすっかりテレビに覆われていく直前の、美しい抵抗として著者の暮らしは維持されている。

 だが、そうだろうか。本書が素晴らしいのは、メディアによって私たちの日常が空虚化する以前の人間の土着的な暮らしのありようを、限界芸術としての歌と随筆によって描写しているからだろうか。それはおそらく違うだろう。むしろ私が本書でいちばん感動するのは、彼の歌の素晴らしさと暮らしぶりがメディアによって注目され、彼ら自身がラジオやテレビに出演し、新聞記事に紹介され、有名人になっていく過程がここに率直な喜びと共に描かれているからである。騒動は妻の新聞投書から始まる。結婚式のときに私家版として作った夫の歌集が11部残っているのでお分けします、と家庭欄で呼びかけたところ、数日のうちに800通もの応募が来てしまったのだ(夫妻は600部の増刷と100円ずつの徴収で対応することを決める)。そして新聞社やラジオ局、テレビ局などが取材や出演依頼にやってくる。むろん暮らし第一主義者の著者は、「いかに私の歌や文がもてはやされようとも、この羞恥心だけは失いたくない」(204頁)と自分を戒める。だが私はそんな戒めよりも、彼が新聞やテレビに出たことを、親戚がみんなで素直に喜びあっている様子の描写のほうに感動する。テレビを見た親戚から電話がかかってきて「みな、泣いて観たと告げる。とてもよかった、母ちゃんが生きていたらどんなに喜んだろうなあというのだった。」(120頁)

 そう。テレビに出るというのは、そういうくすぐったいような誇らしさと恥ずかしさを孕んだものだったのではないのか。テレビに出た知人や親戚が光輝いて見え、自分までうれしくなって思わず電話をかけてしまうこと。そのようなメディアの輝きがあることを信じることが、人をして慎ましい生活を維持させるのではないか。実際、良く考えれば、著者は最初からただ自分の私的空間のなかで歌を詠んでいたのではなく、新聞というメディアに投稿してプロの選者に採択されることを目的として歌を作っていたのだった。「昭和三十七年十二月十五日から昭和四十三年十一月十日現在まで約五年十ヶ月の朝日論壇に、延べ二百九首入選、内、一位四十二首、二位三十四首です」(314頁)と著者は誇らしげに書く。つまり公的なメディア空間における卓越という輝きこそが、著者の、暮らしに密着した歌を作ることを可能にしていたのだ。著者の厳しい暮らしの支えになっていたのだ。
 
 だから現代の私たちは、本書からメディアに汚染されていなかった時代の豆腐屋の素朴な青春の記録を読み込んで、のんびりしたノスタルジーに浸ってはならないだろう。そうではなく私たちは、機械化やテレビに疑いを持つ著者が、それでも自分の慎ましい暮らしを輝かせるものとしてのメディアを信じていたことに驚くべきなのだ。それに対して現代の私たちは、「しょせんテレビなんて大したことないよ」とすれっからしの振りをするからこそ、つまりはテレビメディアへの憧れと夢を喪失してしまったからこそ、自分たちの暮らしをイメージ化させ、その実質性を失ってしまったのではないか。だから私たちは本書を通して、テレビを見ることを自らに禁じた著者の意図とは全く正反対に、いかにしたら著者の慎ましい暮らしを輝かせたテレビメディアを、再び私たちの手に取り戻せるかを考え直すべきなのだと思う。それが「永遠のベストセラー」と呼ばれる恥ずかしい本をいま読むことの意味だろう。



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2009年10月23日

『東京骨灰紀行』小沢信男(筑摩書房)

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「過去の死者たちを慰霊することが未来を開く」

 畏怖すべき傑作である。私のような無知・無粋な人間に本書を書評する資格があるのか、何度も躊躇してしまったほどだ。いや、別に難しい本というわけではない。いま流行りの、東京の歴史を訪ねての、街歩き本の一冊といってもよいだろう。文章も講談調とでもいうのか、ぶらぶらと歩きながら街の様子を軽快に語っていく感じで、いたって平明である。訪問する先は、両国回向院、小伝馬町牢屋敷跡、小塚原の刑場跡、谷中墓地、多摩霊園、東京都慰霊堂など、東京のあちこちに建てられた、死者を慰霊するための碑、供養塔、墓地など。有名人の墓地よりは、火事、震災、空襲の被災者、刑場の処刑者、遊女など無名の死者たちの慰霊碑を辿っていくところに本書の魅力がある。東京という大都市の歴史を、無数の無残な死者たちの側から見直そうというのだ。

 のっけの「ぶらり両国」から、私は打ちのめされた。まず著者は、両国駅近く、隅田川河畔の回向院を訪ねて、明暦三年(1657)に起きた、焼死十万七千人といわれる大火の慰霊塔の前にやってくる。この火事の(身元や身寄りのわからない)焼死者をまとめて慰霊するために同年、隅田川の東側に開かれたのが、他ならぬこの回向院なのだ。その2年後には、この火事のときには橋がなかったために大勢の溺死者を出ししてしまったことを教訓として隅田川に両国橋が(回向院のすぐ先に)架けられ、その周辺に見世物小屋、旅籠、飲食店が立ち並び、春は相撲、夏は花火で賑わうようになったという。なるほど火事の被災者の霊を慰める場所から江戸の芸能や賑わいは生まれ、発展して行ったのか、と、無知な私はそれだけですっかり感心するのだが、それだけでは終わらないのが本書のすごさだ。

 著者は、この明暦大火の慰霊碑の横に回って、石碑に刻まれた長い漢文の(いまや薄れた)文字を丹念に拾って写していく。「且貧窮下賤・・・・・・諸霊魂等」、「繋囚牢獄病患・・・・・・諸精霊等」、「捨市殃罰殺害・・・・・・霊魂等」と。そしてこう感想を記す。「写しとりながらたじたじとなる。大火の焼死溺死者のみならず、この江戸城下で行き倒れ、牢にぶちこまれ、殺し殺され、ろくでもない死にざまの連中すべてを、いっそまとめてひきうけるぞ、という大慈悲心の碑なのだな。」(9頁)つまりこの回向院の碑は、単に明暦大火の慰霊碑というわけではなく、江戸という都市社会から打ち捨てられたさまざまな無名の死者たち(無縁仏)をすべて慰霊する碑だったのだ(建立は大火の18年後)。じっさい著者はさらにこの碑の周囲を歩いて、安政大地震(1855年)の供養塔、回船問屋が建立した海上溺死者のための追善供養塔、牢死者・刑死者のための供養塔、水子供養や動物供養塔までもが狭いスペースに立ち並んでいるのを次々と見出していく。たったそれだけのことで、私には、現在のイメージ消費都市・東京が、無名の死者たちが埋められた場所としてまったく違った相貌で見えてくる。
 
 こうした無名の死者たちへの著者のやさしい視線は、江戸時代に吉原の遊女たちが2万5千体も投げ込まれたという千住・浄閑寺の「吉原総慰霊塔」や、頻発する交通事故死者たちを悼むために1969年に築地・本願寺に建てられた「陸上交通殉難者追悼之碑」や、明治期の行路病者の引き受け所「養育院」の無縁の死者たち3,672名を弔った谷中墓地の「東京市養育院義葬」など、東京の裏の歴史を見せてくれるような慰霊碑をあちこちに見出していく。だが、そのような過去の死者たちへの視線は、決して過去へのノスタルジックな思いに浸っているというわけではない。反対に著者は、いかに過去の死者たちを悼むかが、未来の私たちの社会を形作っていくと考えているようなのだ。だから彼はどの慰霊碑を見るときも、それらがいつ、誰によって、どのように建立され、どのように保存されてきたかという観察を怠ろうとはしない。だから本書は無名の死者たちの歴史というより、その死者たちを慰霊してきた都市の歴史になっている。

 その著者の意思を最も直接的に教えてくれるのが、本書のなかにいささか違ったトーンを持ち込んでいる、地下鉄サリン事件をめぐる築地・聖路加国際病院のエピソードである。地下鉄サリン事件による死者が12人で済んだのは、実はこの聖路加国際病院の尋常でない救出活動があったからだと言う。一歩間違えれば死者数百人という可能性もあったのだ。いかにそれが防げたのか。最も多くの被害者が出たのが、秋葉原駅でサリンを撒かれ、小伝馬町駅ではホームに袋が蹴りだされ、築地駅(病院の最寄駅)でようやく止まった日比谷線の中目黒行き電車(全被災者5,510名のうち2,475名)だった。この電車の大勢の被災者を院長の命令の下に迅速に受け入れ(640名)、他のすべての診療を中止して1000人以上の職員で治療にあたったのが、この聖路加国際病院だった。実はその3年前に新館を建てたとき、こういう非常災害時に大勢の患者を一度に治療できるように、酸素吸入装置を据え付けた礼拝堂を臨時治療所用に作ってあったのだ。そしてそこに、松本サリン事件の治療に当たった医師が、テレビで事件の様子を見て、被災者の症状がサリン中毒の症状と酷似していることを知らせてくるという幸運が重なったために、奇跡的に、原因不明のままサリン解毒剤を使った治療が可能になって多くの命が救われた(この病院での死者は1名のみ)。
 
 なぜそんな礼拝堂を作ってあったのか。それは院長・日野原重明が過去の苦い経験にこだわっていたからである。1945年3月10日の東京大空襲のとき、33歳の内科医だった日野原は数多の罹災者たちに満足な治療ができないまま死なれて悔しい思いをした。だから新館建築のとき周囲の反対を押し切ってまで、災害時のための治療スペースを礼拝堂として作っておく案を押し通した。つまり、日野原一人だけ過去のほうを向いて、東京大空襲という過去の死者たちを悼み続けていたために、多くの人々の命を救い、私たちの社会に未来をもたらしたのだ。いわば、聖路加国際病院の11階建ての新館は、東京大空襲の巨大な慰霊塔として建てられていた。いやこれは言い過ぎなのだろうけれど、そして著者がそう言っているわけでもないのだけれど、この本を読んだ私はもうそうとしか見えない・・・
 
 本書を読みながら、私はしきりとベンヤミンの「歴史の概念について」を思い出した。「かつて在りし諸世代と私たちの世代とのあいだには、ある秘密の約束が存在していることになる。(中略)だとすれば、私たちに先行したどの世代ともひとしく、私たちにもかすかなメシア的な力が付与されており、過去にはこの力の働きを要求する権利があるのだ。この要求を生半可に片づけるわけにはいかない。」(『ベンヤミン・コレクション 1近代の意味』ちくま学芸文庫、646頁)著者・小沢信男は、まさにその過去の死者たちの要求するメシア的な力を、都市の片隅に忘れられた慰霊碑を訪ね歩き、お参りすることを通して、この社会に立ち上らせようとしている。死者とともにある社会を想像的に作り出そうとしている。・・・21世紀の東京をベンヤミンのように歩き、記述する書き手がいたことを、いまはただ驚きとともに喜びたい。



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