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2008年04月16日

『五味康祐 音楽巡礼』五味康祐(新潮オンデマンドブックス)

五味康祐 音楽巡礼 →bookwebで購入

「JBL」

あれは12月の28日過ぎ、29日だったか30日だったか。
何れにしても正月休みに入るので、建物は全館ロックされてしまうので、夕方の5時だったか、出て行きなさいとアナウンスがあって、私はソソクサと身の回りの物を片付けて、建物の外に出ると、指導教官の福田先生も出てきたところでした。
「ああ原君、いたんだ」
「ええ、まあ、ここまで来るとデータも意地で取るって感じで」
と言うと、福田先生は
「お〜いいなあ、意地でも取るっていいよ〜」
と言ってもらったのが、未だに根底にあるみたいです。

しかし本当に心底、死にそうに忙しい。
心底、とは言い得て妙、正に行き交う様々な思惑(おもわく)の狭間(はざま)で強烈な心労で、本当に朝シャワーを浴びていて死ぬこともありうると納得の賜物に近い。

REMとNon REMの間で、90分おきに起きては仕事をする。
体がもたないのが良く分かるし、早死にする確率は有意に高そうである(ここだけ理工系風)。それよりも、時間ギリギリの最後の攻防にもつれ込む毎日には、今何を苦慮しているかを誰にも悟られず平静を装うテクニクも限界で今イチ化けの皮が剥がれそうで怖い。目黒駅に向う階段の途中で壁側に顔をよせ、電池が切れるまで携帯で話をする。帰宅途中の車に至急の伝言が入り、自宅に戻り直ぐに電話を始める。親友は燃え尽き症候群を行ったり来たりしているが、私はその"show time"の演技力でやり抜くしかなく、国際電話といってもアジアの近隣諸国に限らず、時間帯関係なく携帯でやりとりする時代に電話料金はバカにならないが、公費では出せないディナーにしても懇親会にしても国際電話にしても、全て自分への投資だと思っている。そういう意味では、自分への投資、という根底はケチな考えである。

本業以外の収入分はそんな投資で使い切ることになる。むしろ赤字で、自分の命も使い切っている感じでもあり、確定申告でもきちんと申告しているが、心労を何かに換算して控除の対象にならないものか、大盤振る舞いの割には、全くケチな考えである。

それはどうでも良いが、昔、五味康祐さんが、収入に見合わない高額のJBLのスピーカーを購入して、生活が赤字になってもこの音を聴けるのなら、と語ったことが印象に残っている。要は、いわゆる贅沢ではなく、自分にも他人にも、音楽、芸術、そして人生に対して、ケチは自分への冒涜(ぼうとく)であるということであると私は悟った。
自分は自分の葬儀代だけがあれば、あとは棺桶にお金は必要ない。これだけ出費がかさむのは、普通からすると尋常ではないが、五味康祐さんのJBLを想い出して気持ちバランスを取っている。

その意地でもデータを取っていた頃、なけなしの貯金をはたいて、国際会議にも行きましたし、バックパッカーもやりました。そして、あるメーカーのあるスピーカーを買いました。今のような小型で高機能なものはありませんでしたから、いわゆるオーソドックスな冷蔵庫の小型版のような箱ものでした。

で、自宅に届いたらやたらデカイ。
店頭で見た時は店内が広いから、そう大きく感じなかったんだろうな、とか思いながら設定していると「あっ?手前のネットが外れるんだ」ということに気付き、スピーカー丸見えだと武道館のディープパープル、山積みマーシャルアンプ〜、みたいな〜、格好いいじゃん、と思うのもつかの間、もしかしてこれ買ったものと違うじゃん、と気付いた訳です。

電気屋さんに電話して「どうも違うんですが」と言ったら、先方は違うスピーカーを配送したことに気付いていなく「えっ?そうですか〜」みたいな感じで、数日後、私が購入したスピーカーと交換に来ました。
「そうそう、このこじんまりとした大きさ、ネットも外せないし」とか、確認していましたが「お客さん、言わなければ分からなかったのに」と、配達のお兄ちゃんは言い残して行きましたが、それから何年か経って、始めに間違って配送された大きなスピーカー、それもネットが外せるやつは「幻の名機」と呼ばれ、その音は五味康祐さんの耳にかなうものだったらしいのでした。
その音も聴かず、ネットを外してディープパープル〜、とか言っていた正直者の自分は、返す前に1回だけでも音を聴いておくべきだったと、未だに後悔するのでした。

最近は残念なことに、か、残念かは分かりませんが、自宅の5.1チャンネルスピーカーはもっぱら映画用で、子供がジョニーディップかジャックブラックを繰り返し観ていますが、音楽を聴く時は、新譜や気に言った音源を入手すると、車で首都高、高速を1〜2時間走って、その時の風景を環境ビデオにして聴くことがメインになって来ました。スピーカーが低音で歪むくらいの音で聴くって、今では車ぐらいしかないじゃないですか。安全運転には音を下げますが。

そうなると時に、車好き、と人が自己紹介する時、何か自分がアドバンテージを取った感覚があって、JBLほどではありませんが、贅沢ではない贅沢、棺桶にお金を持って行っても仕方がないでしょ、少なくとも自分の葬式代くらいは残しておけば、と想うのです。子供達は子供達、彼らは彼らで自律してもらうようにならなければと、ジャックブラックも良いですが。

この、死にそうに忙しい、の結末は分かりませんが、私の周囲1キロ以内くらいであれば、深夜でも隣りのマンションの幾つかの世帯には明かりが見えますが、1キロというと市役所までの半分ですから、その範囲内であれば、多分一番燃え尽き症候群に近い生活をしているのだと想います。

結末はどうなることやら。
このまま私が死んだら、私は「■■■■■」と想うでしょう。
その、さもしいケチな気持ちだけは避けたい。
それが一番の課題です。
予算申請はその次です。

それにしても、良い音に飢えるこの頃です。

クライスラーの弾く「ロマンス」が少女とぼくの気持ちを、終尾楽章の顫音まで秘めやかに空間に展開してくれる・・・五味康祐



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