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2006年07月31日

『映画検定公式テキストブック』キネマ旬報映画総合研究所【編】(キネマ旬報社)
『映画検定公式問題集2級・3級・4級』キネマ旬報映画総合研究所【編】(キネマ旬報社)

映画検定公式テキストブック映画検定公式問題集2級・3級・4級
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「私はまだかつて
 嫌いな映画に
 逢ったことがない」

昔、キネマ旬報という雑誌があって、今もありますけど、それに原稿を採用してもらうのが最大の目標だった時期があります。

当時はワープロなんてものはないので、とにかく紙やノートに原稿を書きまくり、1年間で大きなダンボールで1箱になったこともありました。そしてその一部がまだ実家のベットの下にたまっています。

実際、月に最低2本は「映画館」で観ていたと思います。飯田橋の佳作座ギンレイ系もありますからロードショウばかりではありませんが、邪道のTVを含めるともっと多くなりますが、曰く映画は「映画館」が一番です。特に大学の頃は、今日は調子が悪いと感じると、朝、大岡山を通り過ぎて、自由が丘で乗り換えて、渋谷まで出て、朝イチで映画を1本観てから研究室に戻ったものでした。それでも早かった覚えがありますし、朝から映画1本アドバンテージをもらったという感じでした。
またそれに、ライブ、舞台、観戦、美術展、はたまたファッションショーあり、国際会議ありで、それよりも体育会系クラブ優先で、webでしか世界が見られない人達よりは、かなり現場主義のご多忙な学生生活だったのが自慢というか自己満足というか。
で、その調子が悪い時ではなく「映画館」に出向く時は、大体いつも1つの作品を2回は続けて観ていました。理想的には1回目は何もせず観通して、2回目は観ながら思いつく散文を書く、でしたが、結局は毎回衝動にかられ、1回目から評論にもならない散文を暗いひざ元で書き綴るという生活、勿論1人で観に行く時だけです。2人で行く時はそんな野暮なことはしません。そして1本目の後、喫茶店でしばしご歓談、時に2作品をハシゴすることもありましたが、休日でも朝イチで観に行くという結構健康的で律儀な学生生活だったわけです。

それで1人で観る時は、とにかく気になるカット、台詞、俳優の、そして監督の思い入れ、何でも書き綴りました。映画評というより映画そのものを創りたかったからです。そして1回目の休憩の時に、そのメモをザッと読み直して、ただし、大体自分でも読めないようなメモ書きでしたが、そのシーンを思い出しながら、2回目に望んだのでした。そして2回目が終ったらすぐに近くの喫茶店に入り、文章をおこしました。毎回毎回文体を変え、始めはキネ旬のことを考えず、字数制限もなく自分で映画を創るつもりで第ゼロ号を仕上げます。
それから帰りの電車の中でも、家に帰ってからも、何回も読み直して、その内容もさることながら、特に韻を踏むなり、言葉や背景のリズム感を気にしながら、要はロックで言えば、ブルース調だったり、プログレッシブだったり、超ハードロックかパンクだったりと、何か多分作曲をする人もこんな感じなんだろうな、という感じで校正をかけて行きました。
時にはBGMが必要ですし、時にはサイレントで別の映画を流したり、時にはそれに好きな音楽とワインを重ねたりしながら、文章を完成させて行きました。それこそ初めは長さは気にせず、時には何頁にも及ぶシナリオのような、時には井上靖のような律儀な文章にしたりしました。

そして2〜3日それを忘れ、放置熟成させ、今度は制限字数に絞り込んで行きます。実はこの作業が一番大変で、せっかく練り上げたセンテンス、リズム感を字数制限でそぎ落としていくわけです。ある意味、これが一番苦手で、本来の原稿のフレーバーを如何に消さないかが勝負でしたが、ほとんどの場合が失敗作品に終っていました。
ここではディレクターズカットと劇場公開版の関係のような、映画監督とプロデューサの関係のような、つまり作品を好きに撮るスピルバーグと、それを興行という観点からエディットするルーカスのような、つまりは、私の文章には興行に成功する、キネ旬に受け入れられる、ルーカスのような存在に任せてみたいという思いがいつもありました(思うだけだったら誰でも出来るし、それくらいいいですよね)。

それまで、そこそこ「ステレオ芸術」とか当時のハイパーカルチャマガジン「クエスト」とかには、そこそこの音楽評(レコード評)は採用されていたのですが、映画評となると中々採用されず、藤本義一さんが「鬼の詩」で直木賞を受賞された秘話で「審査員の作品を片っ端から読んで、審査員の文体と好みを研究した」というたぐいの話をされていたので、いっそのこと、と思いましたが、私にはそんな技量と甲斐性がなく、とにかく書き進むしかありませんでした。同じく藤本義一さんは「井上ひさしは、そんなことせずに書くからすごい」とも言っていました。11PMでしたか。
それでも今でも一番良く覚えているのが「地獄の黙示録」の映画評がキネ旬に採用された時で、当時はキネ旬が出る日に本屋に行って、すぐに横開きの目次を開いて、自分の名前がないかを確認するのが常でしたが、そしてその日は、表紙はロバートレッドフォードとジェーンフォンダの「出逢い」で、とうとう自分の名前を見つけて、喜びいさんでウチに帰ると「そんなに嬉しいことなの?」みたいな拍子抜けでしたが、自分的には部屋に入って一人何回も何回も自分の原稿を読み直したのでした。

ポイントは何だったかというと、マーロンブランドでもなくスティーブマックインに代わってのマーチンシーンでもなく、ドアーズのジムモリソン、ロックの影武者ビルグラハム、そして当時ジャンキーそのものだったデニスホッパーだったわけです。で自分的には、前半は「ウッドストック」のような、後半は「偉大な生涯の物語」(マックスフォンシドー主演)のような、と映像のフォビスムの一つの極論であると位置づけて、コッポラの迷いそのままである、と字数制限内に納めて、これはこのような観方をするのは、日本でも世界でもコッポラと私だけだろうと思う自信作だったのでした(思うだけだったら誰でも・・・)。審査員の1人だったであろう荻昌弘さんの文体の好みとは全く違うアプローチで、わざと最後をブチ切れにするという、これで終るの?という文章にして、当時、横光利一に傾倒していたので、何かそんなタッチで。その後、コッポラの奥さんが「ハートオブダークネス−コッポラの黙示録」というメイキング版を発表して、それがコッポラと私、ではなく、コッポラの奥さんと私だけが理解していたという思いを強めたのでした(それくらいいいですよ ね)。

で、話は戻りますが、そうこうして書いた映画評は2〜3週間くらい手を付けずに放置熟成させるわけです。頭の中からも忘れて、別の映画を観たりするわけです。そして、その内容を忘れた頃に、もう一度同じ映画を「映画館」に観に行くのです。要は3回目ですが、今度は何もメモせずに観通すのです。そして映画終了後、印象がフレッシュなまま喫茶店に入り、その2〜3週間くらい前に自分が書いた映画評を、改めて読み直すのです。そこで校正をかける。これを自分ではスニークプレビュー、要は読者としての自分の反応をチェックするプロセスのつもりでいました。
そうして出来上がった文章を出版社に送り、採用されるか否かを心待ちにする日々でした。最低3回観ると、原稿料(当時は希望した出版物を1冊送ってくれました)では赤字ですが、自分的には十分にアドバンテージをもらった感覚でいました。

しかし「知るべき女優」でクラウディアカルディナーレと最近ではメリルストリープが入っていながら、イベットミメオ(ミミュ)とジョディフォスターが入っていなくてちょっと気になりました。要はどちらも私の想い入れだけですが(もしかして書評らしい書評ってこれだけ?)。

(筆者談)
いやー、要は暇(ヒマ)でしたね、今考えると
でも根本的には今でもこの傾向は変わりませんし
散文が、山ほど散らかっていて
当時は紙でしたけど、今ではコンピュータのファイルの中ですけど
要は、頭の中はいつもそんな散文が飛びかっていて
最近は喫茶店はなくなりましたが、はなちゃんのtime for brunch(J-WAVE日 曜11:40〜)のような美術館のテラスで、その散文を反復反芻(はんすう)したりします
その時は1人でも2人でも同じです
(中略)
映画に関しての、その想い入れを語れば切りはありません
それはロックにも、ミュージカルにも、スポーツにも、芸術にも、はたまたファッションショーにも、その他諸々にも同じ話で
私はいつも、その想い入れの散文を頭にかかえて生きていくのです
正直、学術的な文章に思い入れを入れることはほとんどありません
(たまにはありますけど)
これを言ったら、バッシングに合いそうですが
私の業界から追放されても、キネ旬に採用される方が大切だった日々がもっと重要で、これを知らない人達にとやかく言われたくない、という勝手な境地に達していて、今日も映画を観るのです
そしていつも次の言葉を思い出します

「映画館」で映画が終って、まだ座っている老人がいた
「お客さん、もう終わりましたよ」と声をかけると、死んでいた
 そんな最期をとげたい・・・淀川長治

・・・いや、本当にそうです

(エピローグ)
夏のあの日に
同じようにヘッドフォンで聴いていた
このサステインの効いたリフのギター
this is how you remind me
of what I really am
are we having fun yet ?
ヘッドライトに照らし出されたセンターラインだけを頼りに
このハイウェイがあの人の想い出の場所まで届けばいいのに




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2006年07月30日

『シネマ・シネマ・シネマ』梁 石日(ヤン・ソギル)(光文社)

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「あれはいつだったか
 私の記憶が正しければ
 ロッキーの試写会で
 私の斜め前の座席で
 荻昌弘さんが泣いていた」

再び夜明け前にホテルを出て、ヘッドライトに照らし出されたセンターラインだけを頼りに空港へのハイウェイを走る。FMをClassic Rock Stationにすると何故かnickelbackのhow you remind meが流れて、どこがclassicかと思うと、 DJが密かに、それも低い声で「これからクラシックになるロックでした」と個人の思い入れがそのままの明け方のロックステーションが嬉しい。そして、東の空が遠くでオレンジ色になり始める頃は「ロストハイウェイ」か、月明りが残る海岸線なら「グランブルー」か、妙な気分になる。それでも、それだけでも、幸せだと思ってしまう。

自慢じゃないですけど、結構自慢ですけど、自宅に100インチのスクリーンをつけてから、かれこれ20年になります。
当時何十年かのローンで購入したマンションに、唯一プラス贅沢で買った物は39インチのTVでした。当時40インチ以上は急に値段が上がって、今となってみれば40インチなどはある意味当たり前になってきていますけど、当時は電気屋さんがマンションに運んで来たダンボールを見た時、ブラウン管の奥行きも含めて「何てデカイんだ」と店頭で見た時と自宅で見た時の大きさの違いに驚いた程でした。
それまで、そこそこ知人が飲んだり食べたりでウチの宿泊台帳に名前を連ねていったりでしたが、この39インチが入った時は「それで映画を見よう」という仲間が飲みに来たものでした。「3丁目の夕日」のプロレス観戦シーンそのものでした。
もう一つの贅沢品はレーザーディスクプレイヤーで、それもレーザーディスクをサイレントで再生させながらCDが聴けるという一種のスポーツバーをねらった自宅企画で毎晩のようにビールを飲んでしまいました。レーザーディスクの映画にしても、とにかく劇場公開版とディレクターズカット版の両方を買うもんですから、倍々に増えるわけで、でもディレクターズカットを観る楽しみというか密かな喜びと言うか、何とも「シネマ・シネマ・シネマ」の毎日で、そして時に映画の音を消して、映像はそのままで、好きなCDを聴くという、何と贅沢者なんだ・・・と。

それで子供が出来て、好きな映画館、ちなみにこれが「映画」ではなくて、この「映画館」というのが大切で、その「映画」そのものもですが、その給料の3ヶ月分のようなチープなCMのある「映画館」が好きなことが大切で、そこに行けなくなるという夫婦共通の言い訳で100インチスクリーンと、当時は馬鹿デカイ出始めの液晶プロジェクタを買ったのでした。当時の液晶プロジェクタはそこそこの値段がして、ようやく新中古を探したものです。今では弁当箱程度の大きさで十分の明るさがありますが、当時は全長50センチ以上の、何て言いますか、アメリカのそこそこの一戸建ての住宅街で道沿いの芝生に立つ新聞や郵便が来ると旗が立つ新聞受けと言ったら増々分からなくなりますが、そんなズンドーな全長50センチ以上の筒の先にレンズが付いていて「ボ〜」と冷却ファンの音の方がうるさいプロジェクタだったわけです。それでもウチら夫婦にしてみれば「ニューシネマパラダイス」の映写機がウチに来たような宝物になったわけです。
実際は価格的にはスクリーンの方が高くて、輝度を得るには、径が揃っている良質な細かいビーズで出来ているスクリーンが必要という結論にたどり着き、今でもあると思いますけど「キクチ」のスクリーンにたどり着いたというものです。とにかくホームシアターという発想がなかったというか出始めの頃だったので、何か100インチのスクリーンをウチの天井の梁に取り付けた時は、何か人知れず夫婦だけのシネマパラダイスになったわけです。

その倍々に増えるレーザーディスクは擦り切れる程、観ました。
レコードの時代と同じく、裏が聴こえるのではないかという位、観ました。
趣味は「気に入った映画を繰り返し観る事」というのは本当で、自分でも異常と思える程、気に入った映画を毎晩1回は観るという、ワインとバラの日々でした。特にロイシャイダーの「オールザットジャズ」は300回以上は観たと思います。

要は、監督がやりたいように作るディレクターズカットが一番良いのですが、それを公に公開する時にオーディエンスはどう反応するか、例えば見続ける時間配分は適当か、などを考慮エディットして劇場公開版になるのですが、例えば「ブレードランナー」は、劇場公開版ではオーディエンスに理解してもらう為にハリソンフォードの独り言のような台詞を重ねていますが、ディレクターズカットではそのような説明的な台詞はなく、解釈を全てオーディエンス委ねる叙情詩に仕上がっています。例えば「レオン」では、ディレクターズカットではレオンとマチルダの関係をより詳細に表現するシーンが入っていますが、劇場公開版ではそれらをカットし(大体カットする場合が多く)よりアクション的な部分を強調しているかのように見えますが、逆に説明的な部分がなくなってより「レオン」の良さが出ている感じです。「アラビアのロレンス」も同じような感じで劇場公開版の方がしまった感じがします。
劇場公開版とディレクターズカット、という関係以外にも、劇場公開版シネマスコープとビデオ/TV画面版という2種類の編集もあります。例えば「ターミネーター2」では、後半でシュワルツネッガーが液体窒素のタンクローリーから飛び降りるシーンで、T2人形をつった糸が劇場公開版では見えてしまうのですが、ビデオ/TV画面版では、上手く画面の枠を変えているとかです。
より馴染みのあるこれらの作品でもこれだけ編集に伴う違いが見えるわけですから、ディレクターズカット系の多い岩波ホールクラスでは言わずもがな「シネマ・シネマ・シネマ」の世界という処です。ちなみにコッポラとルーカスがプロデュースした「コヤニスカッティ」の公開版では、あれは六本木WAVEでしたが、ゴッドフリーレジオ監督(名前も凄いですが)がロビーにいて、その劇場公開版とディレクターズカットの違いを直接聞いたりしました。そこにいたウチの奥さんは「こればかりはどこが良いのか分からない」と、確かに1回観ただけでは何だか、という正直な映画評を言っていました。
(つづく)


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