« 2005年09月 | メイン | 2005年11月 »

2005年10月28日

『生きて死ぬ智慧』柳澤桂子(文)堀文子(画)(小学館)

生きて死ぬ智慧 →bookwebで購入

「崩れ落ちる気持ちを拾いに
しゃがみこんだまま
頭をかかえてうずくまる」

強烈なストレスの毎日です。
この数年、安眠という言葉から見放されていて、レムとノンレムの周期の90分おきに目が覚めては、寝言にもならない唸り声のような感じで自分を奮い起こします。起きている時も、眠気というより、一瞬自分でなくなる感じがしたり、突然摩訶不可思議な事を考えたり、今考えていたのは何だろう、誰だろう、と慢性的な覚醒状態に陥らないようにしなければと、これは結構マズイ光景です。

でも、そんな時の救いはどこにあるのか。
音楽でも映画でも良いのですが、そう言っては何ですが、一瞬のヒーリングは増々罪悪感をつのらせるばかりで、ここはもっと根本的な抜本的な策が必要です。

その昔、今の車にする前は、2シーターの車に乗っていました。
エンジンも足回りも太くて最高に気に入っていました。高速の加速でシートに余裕で吸い付けられる感じは、何かそのまま行ってしまう感じで、老後はまたその車に戻ろうと思っていました。年寄りがペアでサングラスなんかで2シーターで、とかって格好良いじゃないですか。ポニーテールじゃなくてもいいですから。
6〜7年に1度のモデルチェンジと聞いていたので、3〜4世代位先のモデルになるなと思っていましたけど、そんなこんなもゴッツイエンジンが割に合わないということで生産中止になり、老後の夢を考え直さなければならないはめになりました。

その車に乗っていた頃、凝っていたのが「般若心経」でした。
実は、本屋さんでカセットテープを買って来て、毎朝、その車で出勤する時に「般若心経」を聴いていました。聴いて、というより一緒に唱(とな)える感じです。勿論CDはハードロックでしたが、朝だけは守衛さんの前を通る時、軽く会釈しながら「ギャーテイ、ギャーテイ、ハラギャーテイ」とか言っていた訳で、これは結構アブナイ光景です。

今のスタイルのプレジデント(プレジデント社)になる前のプレジデントは、かなりゴッツイ雑誌で「家康に学ぶ組織論」とか、それこそ「般若心経の神髄」とか、紙質も違って、カジュアルではないVIP宛の記事が満載でした。学生時代からビジネスマンのノウハウものにはまっていた私は、その重いプレジデントもかなり買い込んで、その中で出会ったのが「般若心経」でした。
でもそれこそ無謀にも、一切の解説に目をつぶり、その「般若心経」を繰り返し唱えることで、理解しようと試みていました。茶道の作法のような、柔道の受け身のような、繰り返し行なうことで自ら意味を理解出来るのではないかと過信していて、結局のところ、何も分からずじまいでした。
それから何冊かかなりその手の本を買いましたが、何となく眺めるだけで、積ん読状態が続きました。

車種を変えて、MDとCDになり、カセットが入らない状況で、聴くものもいつの間にかハードロック一辺倒になっていきました。
ここに来て、またこの10年来スケジュールが破綻していて、強烈なストレスの毎日です。
ウチのマンションで1番忙しいという自信があります(比較が…)。
一瞬の快楽は睡眠薬みたいなもので、いや、睡眠薬は一瞬の快楽みたいなもので、その一瞬は良いのですが、酔いが醒めれば自己嫌悪の繰り返しです。なのでまた「般若心経」かなとか自宅の引き出し一面に並んだ過去のカセットテープをゴソゴソと探していました。
キャンディーズ解散コンサートとか(図らずも行きました)デビュー前の学生時代のアルフィーの学園祭ライブとか(一瞬、かぐや姫とかガロの物真似バンドでした)リリイとかマリーンのライブとか、今は見られない畳の裏の新聞を交換する気分で、洋楽一辺倒の私がカセットだけは何でこんなライブラリになったんだと、これは結構笑える光景です。

それはともかく…
「引き」とは不思議なものです。ストレスの窮地に追い込まれた時にこの本に出会いました。
曰く、科学的解釈、心訳「般若心経」
ところが初めは何のことはない、どこが科学的解釈なんだかと思った訳です。
ところがこれが何のことはない、自分が荒(すさ)んでいる証拠だった訳です。

あとがきを読んでハッと気がつく。
この人、何か凄いバックグランドがあると感じてくる。
般若心経が教える空(くう)について、科学的に理詰めで書くことはできます。
しかし、科学的である以前に、もっと崇高に歓喜を込めて、さとりの喜びを表現したい、と。

通勤時間90分で10回は読める。常備薬のような感じ。さし絵も素晴しい。いや、さし絵には留まらない、一方で画集。悩める大人の為の壮大な絵本に見えてくる。
10回程読むと、理系の人が書いているという感覚が伝わってくる。
これが本当の意味での科学的解釈かもしれない。いやそうでもない。

私は、観、空、慧という字が好きで、でも画数が良くなくてあきらめたという非科学的解釈。それでも朝の10回の余韻で1日が過ごせたりする。そのまま寝られれば、平穏無事な生活が戻るように感じる…ところが。

ところが、次の日の朝になると未だに現実に結びついていない現実に愕然とする。
結局の処、次の日の朝、今もって、私の問題は全くもって解決されていない。
昨日の「般若心経」はどこに行ってしまったんだ。
山積みの仕事はそのままで、十種類以上の書類を仕上げなければならなく、百件以上の仕事が同時進行で、千通以上のメイルに返事をしていない。やりたい事はやらなければならない事の十倍以上で、私の一生は一瞬でしかない。
この全く同じ毎日の繰り返し。

今日もまたこの本を読んで、通勤の90分の間に気を取り直して、坦々と眈々と淡々と、この全く同じ毎日を繰り返さなければならない。

そして、また明日の朝には「般若心経」とは関係のない現実が待っている。
そして再び、私の問題は全くもって解決されていない。
しかし、それを繰り返すことによって、「般若心経」が現実で、現実がshow time、空(くう)であるといつになったら観えてくるのだろうか?

坦々と眈々と淡々と、そんな感覚がその昔カセットで聴いていた時よりは気持ち少しは進歩しているようでいて、ところが、未だもって修行の身であることに変りはないという現実。
よって、私の問題は未だもって解決されていない。

崩れ落ちる気持ちを拾いに
しゃがみこんだまま
頭をかかえてうずくまる

今日も1日、何一つ片付かず
全く同じ毎日が繰り返される
結局の処
私の問題は全く解決されない


→bookwebで購入

2005年10月21日

『CREAM Royal Albert Hall 2005』
(ワーナーミュージック)
『LEGENDS Live at Montreux 1997』
(コロムビアミュージック)

CREAM Royal Albert Hall 2005 →bookwebで購入 LEGENDS →bookwebで購入

「where the shadows run from themselves
 来週はマジソンスクエアガーデン
 行けそうもないおやじロッカーの宿命」

CREAMとはエッセンスという意味
精華、粋(すい)、凄い…という意味もあるけど、初めからのLEGENDS

サンボーン、クラプトン、マーカスミラー、スティーブガット、そしてジョーサンプル、間違いのない良質の上質のライブ、Live at Montreux 1997。誰一人として余裕のない者はいない。クラプトンがラリーカールトンでない緊張感、エリックゲイルでもなく、コーネルデュプリでもなく、335のセミアコがストラトのソリッド感になっても(あっ!と少し外した?)それでも安心して聴ける。going down slowで眼鏡をはずしてリラックスするクラプトン。自分をそのまま任せられる至福のライブ。

真剣に見なくていい。贅沢な、これほど贅沢なBGV, BGMはない。
1日が終わり、1週間が終わり、そして今年も夏が終わり、秋が深まる深夜のベランダで、ひんやりとした夜景と雲ににじむ月を見ながらのjazzとbluesとwineの至福の時は、あの人にも伝わるだろうか。いいんだよなあ、分かるよな、このスローなリフ。ゆっくりとベランダで、サンボーンの音がかすれて、それを追うクラプトン。グラスを月にかざしてリズムを取ろう。月しか見ていないし。弘兼憲史もそんなシーンを描いてた。あれは島耕作がニューヨークだったか、美人劇場だったか。
In a Sentimental Mood〜Layla〜Everyday I have the Blues
そう、毎日がブルースさ。任せてくれよな。
あの日以来、今夜もMt. Fujiは見えないけれど、分かるよな。Can you see the moon ?

・・・
1997年は丁度、クラプトンがJourneyman(旅がらす、職人)以来9年ぶりのオリジナルPilgrim(放浪者、巡礼者、そして新参者)の完成が間に合わず、Montreuxのメンバーとやや精神的にも迷ったソロ公演を行なった年。その前の来日1995年にはnothing but the blues tourという客に媚びないクラプトンの決意を感じる最高に徹底したブルースライブを披露してくれて、その後の何年間かの間、クラプトンも私も次を模索する不安定な日々であったというシンクロニシティ。

場所は変って、今年の5月、英国ロンドン、ロイヤルアルバートホール。
私も行きました、いや、このライブじゃなくて、アルバートホールそのものを見に。
「ここだよクリームが解散したのは」と、最上階のバルコニーから円形のフロアを見下ろす。はあ〜とため息。「ここが私のスターティングポイントだった」と決意新たにホールを後にしたものです。

ブライアンメイがあの頃に戻った顔で目を輝かせて観客席にいる。
クラプトンにしても、ジャックブルースにしても、ジンジャーベイカーにしても、音の端々に愛を伝えようとしているのか、不満をブチまけたいのか、分かる瞬間がある。本当に。でもこのリユニオンは、目を閉じて、指に思いを乗せて、今までの人生を思い出している。確かに。

ジャックブルースだって椅子にこしかけながらだって、フレットレスで音を外さない。外す訳ないじゃないか。クリームは生きながらのレジェンドだぜ、見くびっちゃ困る。誰もそんな・・・。何言ってんだ、俺達の神様じゃないか。
来週はMSG、マジソンスクエアガーデン。でも行けそうもないな…とか、そんな現実、それもおやじロッカーの宿命さ。でもそんな気持ちがあるから誰にも負けない。何を言われても、余裕のヨッちゃんさ。

おやじロックの粋(すい)
そんな下世話な表現でも構わない自信
ロック魂は誰にも負けない
ジンジャーベイカーがボーカルをとってスティックを投げる
そしてsleepy time time
この時だけでも酔わせてくれ
http://mbs.jp/voice/special/200510/18_1164.shtml

あの時と同じ、I'm so grad
今から37年前、10歳か11歳かの私にとって、地元中延から見た初めての「世界」だった
こんな「世界」があるんだと

Thank you ! とクラプトンとブラッキー
うなずくジャックブルース
来日を果たせなかった病理が迫る
でも37年経っても目だけでうなずく

5月6日(金)
解散した時もアルバートホール
あれだけ不健康だったジンジャーベイカーがたたいてるじゃないか
死んだとも言われてたのに、どこに生きていたんだ?
俺達の魂の中さ、なんて臭い言葉も許してくれ
これが俺の初めてコピーした曲「政治家」だぜ、おいおいそのままじゃん(当たり前)

rollin' and tumblin'
stormy Monday, Wednesday is even worth
we might be going wrong, but that's alright...
うちにはクラシックギターしかなくて、弦をスーパースリンキーにしてチョーキングとかしてさ、指は痛いわ、ネックは太いわで、ませたガキだぜ。源氏前小学校とか何だか由緒ありそうでなさそうで、中学は中学で荏原5中フォーク集会とかでそのクラシックアコギをバイオリンの弓で弾いて、エレキなんて持ってないからさ、キーキー散々な音だったわけ。皆「あいつ何?」とかポカーンと口開けてて、おいおい、ここは「幻惑されて」なんだから、うお〜とか言ってくれよ…とか妄想も虚しく、仕方がないから、長谷川きよしの「別れのサンバ」から「戦争を知らない子供達」に入りました。どこが「幻惑されて」なんだか・・・。

俺達は基本的に真面目で、影で退廃的で、その2面性、任せてくれよな、双子座だからしょうがない。受験勉強とかしながら、ヘッドフォンで聴いたロックは絶対に負けない。そんな感じで真面目な37年の生活も、こうやって復活されると今までが全部肯定されるみたいで、許せることも許せないこともロックとともに俺のもの、誰のものでもない。

観客を裏切る曲を持ってくる気持ち、分かるんだな
ここで入れようぜ、この曲、自分達だけが楽しむために
だから、簡単に分かるなんて言わないでくれよ
媚びない、群れない、そう、毎日がブルースさ

おじさん、おじさん、最前列で携帯で写真とるなよ
そういう世代じゃないって、俺達
もっとうつむき加減で体をゆすらなきゃ
それにしても、至福の笑みを浮かべるオーディエンス、ロックは私達の時代のもの、誰にも負けない

・・・
夕方、うちの子と渋谷で待ち合わせた日は、私は仙台からの出張の帰りで、新幹線の中でその手の格好に着替えて直接渋谷へ、荷物は新横浜のコインロッカーへ。JRのホームの五反田の方にいれば分かるから、と言っても、中学2年にはまだ不安だったかもしれない。ラーメン博物館って言ってもそう何杯も食べられないし、でもせっかくだからラーメンで腹ごしらえしてから行くか。
実は小さい頃から武道館とか何回かクラプトンは見せていたけれど、いつもアンコールのレイラまでダッコされたままぐっすり寝ていた感じだから、意識してクラプトンを見たのは、あの横浜が初めてだっただろう。考えてみれば、うちの子はその時ちょうど私が武道館でZeppelinを見た時と同い年だった。
実はその日、クラプトンは「我々のために」特別にレイラを2回弾いてくれた。これ絶対うちのためだよ。ファン心理はそんなもの。うちらには特別な思い入れがあるし。しかし、アンプラグドバージョンとオリジナルバージョンを1回に聴けるなんて、後にも先にもこのツアーだけだったし、そのライブDVDにも片方しか入っていないし。これは絶対クラプトンがわざわざ今夜のためにセットリストに挙げてくれたんだよな。
仕上げはOver the Rainbowで、何かうちの子が私の横で、こんな「世界」があるんだと、目を見開いてステージを見てて、こんな瞬間は2度と来ないんだろうな、と。

・・・
お父さんが死んだら、このビデオを見てくれよな。
そして必ず生まれ変わって、バークリーに行って、お前達の生きている内に、新人でデビューするから、それまでぜったい生きているんだ。生き延びるんだ、何があっても。
どこかの場末のライブハウスか分からないけれど、届かないかもしれないけれど、この地球のどこかでレイラを弾いているから、耳をそば立てて聴いていてくれ。

あの日、名前を決めなければいけない最後の日、もう夜中の12時をとっくにまわっていた。迷いに迷ってベランダに出て月を見上げて、そのまま視線を下げると、はるか向うに本当に富士山が見えたんだ。夜の夜中に黒いシルエットで。そして、富士山が見えたから名前を決めたんだ。だからいつか、夜中に富士山がシルエットで見えた日には、目を閉じて聴いてほしい。どこかでアンプラグドのイントロが聴こえるかもしれないから、そうしたら、そこに伝えたい気持ちがあるから、月と一緒に、月にグラスをかざして聴いてくれ。



→CREAM bookwebで購入
→LEGENDS bookwebで購入

2005年10月07日

『81−1』夏木マリ(講談社)

81−1 →bookwebで購入

「サルトルとボーボワール
突然炎のごとく
体内時間じかけのオレ・・
必ずアイルシートに座る」

六本木の芋洗い坂にストライプハウスという個性的なギャラリーがあって、一 昨年だったか、サルトルとボーボワールの写真展があった。
http://striped-house.com/2002.12.html

サン・ジェルマン通りのカフェ・ド・マゴを横切ると、誰もが、サルトルとボーボワールを想い浮かべる。今、二人はモンパルナスに寄り添って眠る。国会図書館の中庭には傾いたサルトルの像がある。1965年、リトアニアで過ごした二人の夏の一コマ、砂丘を歩く、それでも何かペーソスを感じるサルトル の一面を撮らえた新鋭写真家スツクスの作品をモチーフにしているのだろう。
その時代、というより、時代を超えた寵児(ちょうじ)、悪い意味ではない、
ある意味、理想の二人。

・・・
空が少しずつ明るくなってくる頃の首都高は、東京が日本の東京というよりは、どこかアジアの国の東京という感じで、中々雰囲気があるものです。丸の内の地下を抜けて、プランタンの横に出て西銀座デパートの上を走る。かつてはモノレールに添ってそのまま直進しましたが、最近は左手に入って右前方にフジテレビを見ながらレインボーブリッジを渡ってアクアラインに抜ける。
ああヤバい・・・レインボーブリッジの手前で曲がsomething I can never
haveになったりして
I'm down to just one thing
I'm starting to scare myself ...
地球上の全ての音が無くなって、ピアノとベースの深い響きだけになって、遠くからはかすかに小鳥のさえずり。ガスっている橋の向こう側から朝日が散乱する。

朝日が昇る頃、ガスッてる湾岸は何かブレードランナーの逆光シーンのような、でも、そんなシーンがあったかどうか他の映画とゴッチャになっているかもしれないけど、勝手に映画の1シーンとシンクロする。

私は渋滞は全然気にならなくて、だって運転だけしてればいいし、それも長々と曲も聴けるので、でももちろん好きというものでもなく、避けるという感覚はいつもあって、銀座とか玉川高島屋(夏目雅子の写真展良かったし)も早い時間に車で行くと、それなりに快適だったりする。
銀座へは同じプランタンの横を抜けて、新橋側から首都高を降りる。今は有料になっているけど、昔の土日はパーキングが無料だったので、裏通りにとめて、まだどこも開いていない、カラスと季節外れのTシャツの外国人の観光客の人しかいないような銀座の街を早朝からブラブラしていた。

早朝の繁華街は何となく前夜の喧噪を引きずっているようで、それも今から寝ようとしている感じで、中々雰囲気がある。裏通りのルパンとかよくお邪魔した準高級カラオケ屋さんとか、数時間前に終わった位で外にゴミが出てたりで何か生々しかったりで、健康的な早朝なのに逆に何かマズイものを見てしまったような感じで嬉しかったり。

画廊に絵を運ぶのを手伝っていた時も、朝早くから車を乗り付けて、画廊の開く時間を待って、GパンとTシャツで「はい、すみませ〜ん」とか言いながら、向こう側の見えない畳2帖位の絵を持ち上げ、銀座の休日を楽しむ人の間を抜けると、何となく歩道だけ業界になったみたいで少し優越感で。

夜中は夜中でゴソゴソと、今は原稿を書いたりで、時に丑三つ時に車で仕事場まで行き、一仕事してから目覚ましTVの前に帰宅するなんてこともしてたりしましたが、家で高速ネットがつながるようになってからは、さすがにその回数は減りました。その分、台所を拠点に、トロロをすったりしながら、ついでにグラスを洗ったりして。
ウチの子も誰に似たのか朝も早いのですが夜も遅かったりで、私が夜中にヘッドフォンをしてリズムを取りながら冷蔵庫をのぞいたりしていると、後ろでソーと戸が開いて、いつどこから仕入れた情報か分からないけど「シェリルクロウ結婚したんだって知ってた?」とか声をかけられたりして驚いたりする。

要は私は自分勝手ですが、要は時間勝手なところがあって、自分でもいつ寝ているんだか分からなかったりしていますが、そんな自分が結構好きだったりして、体調のバロメータにもなっています。
そしていつも際どい時に、目覚ましなしで意味のある数字の時間に目をさませる。そんな体内時計で生きている感じがずっとしていました。

夏木マリは(とか呼び捨てですみません)好きでも嫌いでもなく、まあその存在感が印象に残る感じでしたが(アニーのミス・ハニガンではイメージ貧弱なので今度「印象派」見に行きます)この本は、いわゆるジャケ買い、CDとかDVDとかも時々あるのですが、本屋の平台で手に取って、久々に直感に訴えられる感じで買ってしまいましたが、ジャケ買いでの当りはLDの(LDですよ、LD)コーエン兄弟の「ファーゴ」以来なので、かなり久しぶりですが、ある意味正解でした。

レジの前に並んで開いた頁の言葉
「男は自分の体内時計で動く」
「映画と人生はシンクロする」
これ、正解です。

「占いは好きである」
「自分がいくつかだか解らない時がある」
「飛行機や新幹線は必ずアイルシートに座る」
そして
「人生で今が一番楽しいと思える」
何か断定的に言われるのが嬉しい数少ない人。

「男が輝く条件」カッコいい男前になってほしい。私のためではなく、日本のために・・・いやいや、結構、夏木マリさん本人のため、でしょうね。でも、そんな結構1人称のところが、同性に受けるのではないでしょうか。

「男たちよ、ご一読、よろしく」と始まる文章だが、時に女性に向かって話す口調になる。
「悲しんでいるとブスになる」「バカじゃん、こいつ、と思った人間と時間を費やすほど私には残された時間はない」「我を忘れるぶっ飛んだ感じ」「知性、品、清潔」「男に余裕で接してもらうと女も優しくなれる」「いい顔というのは少ない」「時間を感じる男に会いたい」「エネルギーのある音って飛べる」

異性の私は、何も夏木マリさんにうけたいとは思わないでも、何かこう言い切られてしまうと「これは当てはまる!」「こんなこと言われてもなあ・・・」とか一喜一憂してしまう。異論反論もあるけれど、こう言い切る潔さに、桃井かおりさんとはまたひと味違う、こういう飲み友達がいたらドキドキしていいなとか、ちょっとまた、ありえないデカイ夢に向かってみようかな、とか。

これは彼女の本心だし、でも同時に、男も女もないエールになる。それと、男性に向かって、こう言い切れる女性=夏木マリを同性の女性が見て、読んで、多分「あなたたちも良い恋愛をしなさい、素敵な人になりなさい」と言われている感じになるのだろう思う。

「素晴しい俳優はアスリートと同じ」「丈夫も芸のうち」「食べ物に好き嫌いのある男はえらくなれない」「己(おのれ)を知っている男は群れない」
「好きなモノがたくさんあって、好奇心が旺盛で、そしてそれを言葉にできるというのは素敵なこと」
「フランスは、女性が歳をとることの素敵さがきちんと認識されている」
「フェリーニの81/2は大好きだ」
夏木さん、1度お会いしてみたい・・・

・・・
サルトルとボーボワールの関係に憧れていたという。
形式を取らず、死を迎える時に一緒にいられる関係。
恋愛は長くなるほど孤独になる。距離感という意識。

ローレン・ハットンの「ヘカテ」でも良いが、何かトリフォーの「突然炎のご とく」のような、例えばジャンヌ・モロー系をじっくり鑑賞したい気にさせる。それだけでもこの本の意図することが伝わった感じがする。



→bookwebで購入