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2005年09月22日

『夢をつかむイチロー262のメッセージ』
 編集委員会 (ぴあ)

夢をつかむイチロー262のメッセージ →bookwebで購入

「部活、夏合宿、
 今になって分かる事
 リミックス・バージョン」

今月号の「VS.」(光文社) は創刊1周年記念もあってか読み応えがある。グラビアも力作揃いで感動ものが並ぶ。高橋尚子がうつむき加減に走り始める。為末大が400mハードルを走り抜ける。そして、1サッカー選手に留まらないNakataという好き嫌いを乗越えた存在感。アスリートに宿る存在感は、我々オーディエンスの細胞の隅々までを活性化してくれる。
ドローとした人はいらない。最期の「その日」まで全速力で走り抜ける。一生懸命真剣が格好悪いなんて言わせない。内に秘めていればよっぽど格好良いし。

Life as Sports
No Music, No Life
何かに追われる生活に、スパイスを効かせ過ぎて悪いことはない

いつの頃からか、スポーツ選手のことをアスリートと呼ぶようになって、何かアーティストのような、そんな意味はないにせよ、何か表現する者のようなイメージがあって嬉しい。私なんか、そんな余裕もなく部活時代が過ぎていった。

「部活」というCMがある
http://nike.jp/bukatsu/index.html
「どこまで行けるか」5人のアスリートのメッセージ
「立ち止まっちゃだめだ」と田伏(ロングビーチジャム見たぞ!)
そして「TVCMを見る」

残暑が終わる、夕暮れの校舎のシルエットに遠く響く掛け声
5分休憩に吹く風
そんなグランドの音を聴きながら、空を見上げる
あいつはもう帰ったかなあ

夏合宿が終わり、秋のリーグ戦に備える
悩むより練習再開の体力回復を優先する
そんな部活の意味が分かるのは、卒業して何年も経ってからかもしれない
立ち止まるな、絶対に止まるな
そして、どこまで行けるか

新聞や雑誌の切り抜きは、高校野球に夢中になってスコアをつけながら注目選手のスクラップブックを作っていた頃と、その部活時代以来、やったこともなかったが、最近、私の机の前には、豪快なホームランを打つ瞬間、それでも振り抜くバットの先を見ている松井と、ヒットを打って低姿勢で獲物を見るような目で走り出すイチローの2枚の切り抜き写真が貼ってある。

憧れの大リーグを初めて見たのは、ちょうど2年前の夏だった。
エメラルドシティ、シアトル発祥の地、パイオニアスクエアに位置するSafeco Field 球場。センター側からの入り口上空は、周囲の風景とも相まって、移動式の屋根、銀傘(ぎんさん)が、何かギーガーが描くような、巨大な造船所のような、雰囲気をかもし出している。階段を駆け上がり、スタンドに出ると目の前に広がるグリーンの芝生と満員のスタンド。この興奮は、初めて後楽園で野球を見た時から変らない。
売店でポップコーンとマリナーズの帽子を買う。そしてビール。観戦準備は整った。

その日もイチローは、不調を引きずっていた。遊ゴロ、遊直、遊飛、の3打席ノーヒット。3打席目のライナー性の当たりは良かったが、ショート正面、今一つきっかけのない12打席連続ノーヒットだった。

スタジアムの隣りを走る貨物列車は、試合中を知ってか、通り過ぎる毎に「プアーン、プアーン」という大きな警笛を鳴らす。そんな粋な計らいの大音響が銀傘に反射してスタジアム一杯に響き渡る。スタンドの観客はその残響音に答えて歓声が「ウワーン」と広がる。

私と私の友人はイチローの守るライトの守備位置が目の前の席を取り、もうほんのそこまで走って来る、手を伸ばせば届きそうな所にいるイチローの一挙手一投足を見ていた。肩抜きのストレッチをするイチロー、BSで見るそのままだ。

結局その日のイチローは9回までノーヒット、試合は9回表まで地元マリナーズが0対2で負けていて、それまでにお客さんはマリナーズの不甲斐なさに、わざわざウエーブまで作って応援していた。
9回裏、打席に入るイチロー。左手でユニフォームの右肩の袖をつまみ上げ、投手とバットの先と自分の視線を1直線に並べる。峰打ちなしの真剣勝負。スタジアム全体が敗色濃厚の中、一人モチベーションのオーラを放つ。

日本式の応援はない。スタジアムの歓声が一瞬消え、ピッチャーの腕を振りかぶる時にユニホームをこする音がかすかに聞こえた感じがした、その時、イチローのバットの快音、3試合ぶりのヒットが野手を抜ける瞬間、スタジアムが押さえきれずにワーという歓声に包まれる。一塁に立つイチローは人差し指をイアーガードの穴に入れ、ヘルメットの位置を調整する。
その後は、信じられないようなマリナーズの連打の攻撃、目を疑うような逆転サヨナラ勝ち。あんなイチローの嬉しそうな顔って、日本では中々見られなかった。

イチローのメッセージは、宮里藍が共感を受けたとクレジットされた。そういう意味では、オーディエンスの前で何か実力を魅せるプロを目指す者には、そういう含蓄が感じられるだろう。だから我々素人は、自分がそういうプロを目指す人生だったら、と想定して読むと分からないでもない。ただ、やはり、分
からないでもない、になる。
でも自分は、野球選手になりたかった、大スタジアムを埋め尽くすハードロックをやりたかった、洒落たオーディエンスのいる前でスタンダップコメディアンになりたかった、とすると、実は分かってくる。この本の使い方は「何かをなしとげようとする人に」とあるが、たとえ人生の方向が違っていても、今夜だけでも何かをなしとげようとする夢を見ると、この本の行間が見えて来る。
だから、この本の使い方は「今夜だけはスターを目指して寝る人に」・・・でもないか。

つたない言葉、決して饒舌とは言えないコメント、でも、メンタルな部分が成果に結びつくことを言葉少なに言おうとするもどかしさが、逆に夏合宿の特打の後のようで心に響く。予想通りの精神論。こうこなくっちゃ。
実はネタ帳に、イチロー語録ナンバー毎に「精神論」「プロ意識」「ひき」などと私なりのカテゴリー分けをして文章をまとめていたけれど、面倒臭くなったこともあるけれど、何かイチローの、そして松井の切り抜きを見ている内に、そして「部活」のCMを繰り返し観る内に、言葉にしないでも伝わる風景がある、と思えてきた。

あの頃を信じてくれたら、俺も喜んで振返るよ
人生、走った距離は裏切らない
野口みずきも内に秘めたいいアスリートだよな

そして、どこまで行けるか
今日という1日も全くそのままで
everyday is exactly the same ...


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2005年09月12日

『その日のまえに』 重松清 (文藝春秋)

その日のまえに →bookwebで購入

「私の老後の夢は案外単純だったりします」

こうして窓からマンチェスターの風景を見ていると、日本でのバタバタの生活を恥ずかしく感じたりします。最近は何だか、慌ただしい殺人的なスケジュールの生活にドップリで、頭に浮かぶ無数のハイパーな感覚が整理しきれなくなってきていて、その昔、カウンセラーに、自分の才能を優先するか生活を優先するか、どちらも辛いかもしれないけど、一つ一つ全て正直に考えてみなさい、と言われたことを思い出しています。
今週はこの風景を見ながら少し自分をリハビリしなければと思っています。何れにしても何かこう、自分の感覚に満足出来ない辛い状況が続いています。でも、こうして風景を見ていると「そう言えばそうだったなあ」とこっちの生活のリズム感を少しずつ思い出したりしています。公園を老夫婦が手をつなぎながらゆっくりゆっくり歩く風景、それはこっちにきて初めて出した手紙にも書きましたね。でももう4半世紀も前のことですけど。
でもここには、私の原点、原風景があります。あの時も辛かったけど、今の辛さとちょっと違います。

その昔、毎月愛読していた雑誌 Music Life にロックミュージシャンのカップルという特集があって、例によってジョンレノンとオノヨーコが並んだ写真とかが出ていました、その中にデュアンオールマンが歩いている写真が出ていて、彼に負けず劣らずのロングヘアでタイトなジーンズの奥さんが少し遅れて後ろから歩いていて「今さら手なんかつなげるかよ」とのコメントがありました。

私の老後の夢は案外単純だったりします。
老夫婦がゆっくりゆっくり歩く風景。
でも、今さら手なんかつなげるかよ、とか強がりながら。

健康のためなら死んでもいい、と言えばサンプラザ中野っぽくなりますけど、彼も走る走る俺達とか歌いながらフルマラソンランナーになりましたけど、そこにはそれなりの理想とする健康状態があります。
(「痩せ方上手-サンプラザ中野の簡単“健幸”マニュアル」(講談社))

最近、早朝や深夜にウオーキングをしている夫婦や女性の仲間をよく見かけます。これが男性の仲間というのを見ないから、ここに男女の違いを見ますが、ママさんバレーがあって、パパさんバレーがないようなもので。
さて、ジョギングというのも何で、あれは元来一人でやるもので、年を取ったらジョギングなんて心拍数を見てなければ無酸素運動になったりして逆に健康に良くありませんよ、と人間ドックの女医さんに注意されましたが。そのウオーキングにしても、早朝や深夜に見るウオーキングは、ペチャクチャchatしてたりで、chatしないまでも無言で首にタオル巻いてたりで、そんなの誰だって出来て、自分達だけの秘かな楽しみもへったくれもないし(下品な表現ですみません)こういうのは私の老後の夢とは少し違います。

ゆっくりゆっくりでいいんです。でも一つだけ大切なことは、その時にはiPodかiShuffleかi携帯かどういう形になっているか分かりませんが、要はウオークマンでもいいのですが、同じサウンドを2人で聴きながら、ゆっくりゆっくりウオーキングというものです。
手なんかつながなくても、サウンドでつながっているような。
年を取ればそれなりに言葉がおっくうになるもので、そんな時は、Zeppelinでも井上陽水でも、はたまた、やすきよの漫才でもいいので、そんなの共通のサウンドを聴きながら、もどかしい言葉を気にせずに同時性を楽しむというのが、夢だったりする訳です。NHKニュースでも良いですが、せめてカビラさんのFMくらいで行きたいもんです。株の相場とかはやめときましょう。

要は、音楽を聴きながら街を歩くと、その風景すら違って感じるもので、それを共有したいというものです。ただ、やすきよを聴きながら街を歩いたことないので、今度試してみます。まあ逆に渋い落語の方が良いかもしれません。

でも、その疑いもない大前提、手をつなぐ(つながなくても)相手がいるという当たり前の風景が、手をつなぐ間もなく崩れて行く。その、手をしっかりつないでいても「その日」がやってくる、ということ。

「だから、僕たちは日常を生きた」
そして
「僕たちはもう、その日を生きている」
そして「その日」は必ずやって来る。

何か入試問題に出そうな文章は、惜しげもなく、泣く、泣く、泣く、泣く・・・そして泣き続ける。この手の作品にしては、泣きを出しすぎます。
でも、これを入試に出して、試験中に学生さんが泣いていたら合格にしてあげましょう。
でも、何か、泣きたい時に、泣きたい映画を泣く覚悟でレンタルで借りてくるような、でも、そんな、泣ける自分の快感、人生の重さ、日常の大切さ、そしてリハビリ、かな。そうだ、何が気になっていたかって、本を読みながら映画館にいる気分になっていたんだ。泣く、というより、自分をさらけ出しながら読みふける。でも、電車で読むとまずいです。隣りの子供が、この人、何泣いてるんだろうって、覗き込む。ごめんね、だらしのないおじさんで。

はじめは、どこまでこのテンポを引きずるのだろうという展開。ロッキーの前半のような?
そして「その日」から一気呵成に来る。
連作短編7編は、やはり「その日のまえに」から読み始めて、最後まで読んでから、最初の「ひこうき雲」に行くといいかもしれない。エピソード5〜7から1に戻る感じで。何か聴いた事のあるタイトルの深い意味を探索するのはやめましょう。

そして、私のリハビリテーションツアーはもう少し続きます。

その同時性は、喫茶店で向き合うのではなく、バーのカウンターで並んで同じ方向を見るような。なので、映画館とか動物園とか美術館とか、はたまた車の中とか、横並びで同じ方向を見る位置づけというのが、時に必要だったりします。視線は面と向かうと「カツ丼でも食うか」の取り調べ室みたいになりますから、角度を持って、さらには平行に海を見るような、という視線の同時性は重要な要素になります。

たまには手をつないでもいいか。
いや、それこそよれよれになって手をつながなければ歩けないかもしれないし。
そして、同じサウンドを聞きながら、いや、渋い落語でいつもの同じパターンに落ちながら、フッとか笑いながら、2人してあっちを見ながら。
そして、たまには、出窓に飾る花でも買いに行くか。
そんな、当たり前の日常が来てほしい。
「その日」が来るまえに。

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