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2005年08月29日

『ワイナートダイアリ』(美術出版社)

20_1_winart.jpg ワイナートダイアリ →bookwebで購入

「wine diary
 message in a bottle」

「たとえばラフィットの矜持、ラトウールの豪奢、オーブリオンの寛容。ワインの形容を自ら探し、意味を問うのは、趣味の内奥に足を踏み入れるための基本である。」
出だしからしてこう言われても、私にはチンプンカンプンで、何語をしゃべっているのかも分からない位だが、結構、こういう蘊蓄(うんちく)が言えれば格好良いんだろうな、とか憧れてしまう。

ちなみに「矜持」は「きょうじ」、自負、プライドのことらしい。「豪奢」は「ごうしゃ」、贅沢、派手、を示すらしいが、何となく字面(じづら)から感じられないでもない。「寛容」位は分かるが、「内奥」は「ないおう」って読めば良いんだろうな。と、久々にマルゴーを一口、久々に国語辞典、いや漢和辞典を調べてしまう。

「マルゴーAOCのワインとは本来、陰と陽、剛と柔、拒絶と抱擁といった矛盾の統合物」と言われても、そう思ったこともなかったし「ただ美味しいなあ」位で「飲と酔う」のは分かるとか不謹慎に茶々を入れる。
「マルゴーは長いあいだ、本当のマルゴーではなっかた」と、言われてしまったら、「へえ〜そうだったんだ」と分からないような分かるような。

でも、そんな蘊蓄、そんな言葉の綾(あや)が何ともワインらしくて嬉しいし、自分では分からない憧れ。正直、本当に憧れ。

・・・
マルゴーには特別な思い入れがある。
でも、私はワインに詳しい訳でもないし、蘊蓄は語れない。
その思い入れはマルゴーと共に自分の頭の中のダイアリに潜めておくが、正直、蘊蓄を聞くのが好きという。ヘ〜色々あるんだ、歴史とか地理とか良く知ってるなあ〜、と聞きながら、決して覚えてはいないが、酔いが回る前にとにかく味わいだけは味わっておこうと。

学会などで出張に出ると、たいていの人は、人と飲みに出る。私も例外ではない。でも、タイミングを見計らって、コソコソゴソゴソとエスケープして、ここぞとばかりに閉店間際のデパ地下に出向き、美味しそうなお弁当と、適当なチーズと、そしてちょっと贅沢で、マルゴーの小ボトルを買う。学会用のネクタイスーツ姿で、帰宅途中なんだな、みたいな感じで明日の分もみたいな感じで食材を少し多めに買ったりする。
コソコソゴソゴソよりも、そういう意味ではイソイソとホテルに戻り、7時のNHKニュースとか、野球中継の音を控え目につけながら、ゴソゴソとチーズを切り出す。自慢じゃないが、実は自慢だが、コンテ(チーズ)とフランスパンがあれば後はどうでも良かったりする。桑田が1ゼロで負けてる?それはどうでも良くないが、それも人生だ、と思えるワイン。本当はDVDか何かで気に入った映画とかサッカーのゴールシーンとかがあればマッチベターだが贅沢は言えない。いつも次回こそは・・・とか思いながら、出張前に鞄に詰め込むのを忘れる。でも次回こそは・・・。

「美味しいマルゴーが手に入ったから来週末にでも飲みましょうか」
と言って去って行った人がいる。
思い入れというより、何かその人柄というか・・・思う所がある。

ワインでダイアリを綴りたいと思ったことがある。
でも何か文章に書き出すと、秘かな楽しみがなくなって、何だか飲んでいる時だけ、飲んでいる自分だけで良いかな、と思ってしまう。

一つだけ、いやその思い入れに加えて、もう一つだけ、ワインのダイアリに残したいことがあって、それはドイツのマインツ大学のリングスドルフ教授のこと。
リングスドルフさんは、我々の業界では「超分子」という分野でノーベル賞クラスの先生で、我々の研究室にも名誉研究員として何回か滞在して頂いたりした。リングスドルフさんはソムリエ顔負けにワインに詳しいことでも有名で、お兄さんがワイナリを持っていて、毎年、自分の研究室ラベルのワインを作り、ビジターにお土産で配っていた。また、数十本と並ぶラベルを隠したボトルを前に、小さなコップで2〜3種類ずつ比較するリングスドルフさん主催のワインテイスティングパーティもレアながら有名で、OHPを使いながら毎回同じジョークの落ちの蘊蓄を聞きに、私も3回程参加させて頂いた。
毎回同じ落ちでもいつも笑わせる蘊蓄。例えばワインを開ける方法のお国柄、フランスはコンコルドで引っぱり、日本は空手チョップ、**は念力、のような。それよりも何よりも、味と風味の比較は、時折ドイツ語が入って分からないが、チーズとフランスパンだけで数時間〜夜半まで楽しませてくれる。

そんなリングスドルフ先生(ここから先生)に、今から10年位前に、研究上の私の新しいアイデアを話したことがあった。それまで、人には中々分かってもらえない内容だったが、リングスドルフ先生は聞くや否や「そいつは凄い。歴史的に全く新しい発想だ。」と握手しながら初めて理解してくれた。そして次の日、鞄からおもむろに小ボトルを取り出し「Congratulations!その君のアイデアに乾杯だ。ただし成功してからな。」と貴重なワインを私に手渡してくれた。
それはマルゴーでもボルドでもないが、未だに冷蔵庫の引き出しに眠っている。夜中にゴソゴソと冷蔵庫をあさりながら、いつも横目でボトルを見ながら、これを乾杯する時を実現しなければ、と思う。

リングスドルフさんとは、7〜8年前に中国で会ったきり会っていないが、お元気だろうか?
ボトルを見ては、いつもリマインドされる。
いつのことだったか日付も忘れたが、そのワインにはそんなダイアリが潜んでいる。

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2005年08月22日

気がついた気になる雑誌
『Sound & Recording』293号
「膨大な数のモジュラーシンセで作り上げた最新アルバムの秘密」
(リットーミュージック)

19_sound.gif →bookwebで購入

「2度とその音に戻れない
 明らかに一線を画する
 卒業写真のあの人は
 優しい目をしてる」

首都高速の3号線を上ると、真正面に六本木ヒルズのビルが見えてくるということに最近気がついた。何か昔どこか気になる映画で観たような、異様に巨大な塊が、地面につきささるように青黒い夜空にそそり立つ。というのも、仕事場からの帰りの時間は渋滞もなくなり、普段は下を走るか、東名を帰るにしても環八で降りてしまうことが常だったので、そういう風景になっていたとは、つい最近まで気がつかなかった。

私の趣味は、何が趣味かと言えるか分からないけれど、一つ言える事は、気に入った音楽を聴きながら、深夜か明け方の首都高や高速を飛ばすこと。飛ばすといっても、車高低く、地面をはうようなスピード感を楽しむ時代は過ぎて、エンジンに余裕を持ったまま、東京の夜景の季節毎に変わるカラフルな色調をバックに、気に入った曲を聴くために走る、という。車が趣味、ドライブが趣味、というよりは、何かちょっとキザですが(磯村尚徳、講談社)、洗車が趣味って分からないでもない時期もありましたけど、今の生活のリセット感はここにある。自分でrecordingするように、ゆっくりと飛ばす。唯一(でもないが)贅沢な時間と空間。色々なスト−リーが頭をよぎる。これは使えるかも、とか。

冬は冬で、暖かいオレンジ色に映える東京タワーのライトアップは、夏の夜空をバックにすると心なしか青っぽい。(BGM:夜空ノムコウ)

曲の設定もまた、淘汰されたイメージがある。
1号を羽田方面から上る時は、ソロになってからのポールロジャースのAll Right Now〜Little Wing(クロニクルから)。2号の上りはZeppelinのNo Quarter。4号はハイファイセットか荒井由美(…)。5号はボブジェームスのAngela(特に明け方に有効)。申訳ないが6号と7号と9号は、あまり使わないのでゴメンナサイ。そして3号は、この10年来の私の安息の地、nine inch nails、この春からはwith teeth。
経路ごとにセットリストを換える、というのも趣味というか秘かな楽しみで、自分へのご褒美のような。で、ボリュームの設定はというと、超ラウド系か超癒し系の両エクストリーム。その時の気分による。

顔なじみの守衛さんには簡単な敬礼のような感じで手をあげてゲートを通る。
守衛さんも「ああ、どうも〜」みたいな感じで車を覗き込むが、ある日「はて?」みたいな顔をされて、ふと気がつくと密閉された車体がびびる程の音でエミネムを聴いていて、多分外には「ズック♪ズック♪タ〜、ズック♪ズック♪タ〜」みたいな、深夜の大宮の駅前通りで聞かれるようなリズムが響いていたに違いない。電車の車内のヘッドフォンからもれる「シャカ♪シャカ♪チ〜」よりタチが悪い。なので、最近は入構する時は「入構許可証よ〜し、ボリューム下げたよ〜し」と指差し確認することにしている、とはサンマちゃんの作り話ほど(でもないが)かなりマジで。

で、最近、もっと気がついたことは、音の設定。
通常、低音はmax、高音はmiddle、音のバランスは前後左右とも中央、というのを車種が替わっても4半世紀程つらぬいて来た。所が先日、あれ待てよ、と思い、with teethを機に一念発起(でもないが)もしかして、と思い、前後のバランスを30%ほど後ろに寄せたら、何と今まで聴いていた曲に違う音が聴こえるではありませんか。
スピーカーの重さや固定され方にもよると思いますが、前方奥から今までに聴こえなかった打ち込みループの高音が、それも高音は抑えたはずなのに、そして後ろからベースラインが、それも心なしかディレイ(遅れ)を持って聴こえて来るではあ〜りませんか。思わず聴き込んでしまい、ドップラー効果か?とか物理の成績を疑われる戯言(たわごと)もつかの間、実は東名の出口を通り過ぎてしまい首都高の3号の上りに入って行ったのでした。

今月号のSound & Recordingにはnine inch nailsのサウンドデザイナー、私の救世主トレントレズナーの「マッドサイエンティストの実験室のような」プライベートスタジオが公開されている。そしてビョーク、エミリーシモン、坂本龍一、Charと続くと、私の趣味そのもので、このままでは人に見せられない、と思わず書棚にあるその号全部を買ってしまおうかと本当に悩んだ(でもないが)かなりマジで。(<この辺がループ手法です)

「オレの生活がいわゆる中毒と絶望に見舞われて」
「ありのままの自分に自信が持てるように、うっせきしていたウミを流しにかかった」
「オレは自分をずっとごまかし続けていたんだ」
「人生もそうだが、創作もしらふの方がうまく機能する」
「オレと同様に不完全なもの・・・パッチを変えたらもう2度とその音に戻れない」
いや、今までのロッカーとは明らかに一線を画する。

この手の雑誌には目がない。いや、まんまと編集者の意図にはまる、というより、自分の趣味の琴線に触れると全部買って読んでしまう。全部はその全部じゃなくて、この全部。
この手の雑誌には、このサンレコは一番プロ御用達っぽくて好みですけど、最近ではDTM(寺島情報企画)やSound Designer(アポロコミュニケーション)も台頭してきて、要チェックです。ブルータスになってもターザンになっても、まんまとはまるポパイ世代は、それでも自分たちが編集出来る身分になって、増々御用達っぽくなる。最近ではクラブ系のGroove(リットーミュージック)も要チェックで増々忙しい。何か自分の本棚に並ぶ雑誌の変遷を見ると、私の人生そのもの(でもないが)趣味そのものになる。これはいわゆる一般書籍とは違って話題や書評に左右されることなく、身近な本能的な即決購入があるだけにより如実になる。

どこか気になる映画が思い出せない。

六本木ヒルズが2001年(宇宙への旅)のモノリスの様に見え始めると、with teethが違って聴こえる相乗効果で、思わずスピードを落としてその原風景と曲調の相乗りを味わう。実は高音をmin〜middle〜maxと変化させるとさらに違う音、そしてトレントの意図が聴こえてくる。味わうというよりはシートとハンドルとヘッドでリズムを取る感じで。

2001年はもう過去になり、突然FMからツアラトウストラが流れて来て、突然見 晴らしの良くなったどこかの夜明けの高速を走ったのはいつだったか。

soundは風景と相まって人を写す。弾く者も聴く者も。贈る者も受け取る者も。
even deeper...

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2005年08月15日

気がついた気になる雑誌
『広告批評』
288号「2004広告ベストテン」
(マドラ出版)

18_koukoku →bookwebで購入

「部活、夏合宿、
  今になって分かる事」

「お前のスパイクは、いつまでたっても体が流れるなあ」
これは4年でレギュラーになっても、どうしても直らない私のくせだった。

nikeに「部活」というCMがある。
昨年の「広告批評」の広告ベストテンでは、adidasのLaila AliがClint EastwoodのMillion Dollar Babyを彷彿させる勢いで優勢だったが、私個人としては今年はこの「部活」を気に入っている。曰く、「立ち止まるな、絶対に止まるな、どこまで行けるか」・・・「不可能なんて、ありえない」もいいが。

この時期、猛暑の夏休みになるとその「部活」を思い出す。
高校の時は受験で2年で辞めてしまった部活。その借りを返そうと、大学の部活は高校までのバスケではなく、松平ジャパンの勢いもあって、バレーを始めた。根本的に何が違うかというと、大差で負けていても逆転があるということ。そして、バスケのシュートは体が前に流れて走り抜けても良いが、バレーのスパイクはそうも行かないということ。
何れにしても「部活」には今になって分かる事が沢山つまっていた。

スポーツ選手は「あのシーン」というのを鮮明に覚えている。あの時の打ち抜いた手の感触、走り抜けて見た仲間の顔、見上げた観客席。私も、スポーツ選手という範疇の末席(はしくれ)にも入れないが「あのシーン」だけは鮮明に覚えている。

対戦相手はどこだったか。最後のリーグ戦、場所は渋谷の国学院だったか。
最終学年の私は、強烈なレフトスパイクを打つ新入生、丸野が入って来たので、裏レフトに降格していた。とは言え、何も気持ちは同じ。レフトクロスのレシーブは絶対取ってやると信じていた。バックセンター2年大関には毎回セットプレー毎に「全部行くぜ!」と土声をかけていた。大関も「お〜!」と答える。彼はレギュラーで一番背が高かった。膝が弱かったが、テーピングで歯をくいしばって、体を低くしてレシーブしていた。

あれは水谷のサイン。ネットに背を向け、私と今井の目を見て、膝の少し上で両手の指で「これで行くか?」と2人にサインを出す。3人はそれぞれ目配せで内容を確認する。バックの3人も確認する。
バックセンター大谷のサーブレシーブ、そして水谷のセットアップ。センターに入る今井がその長い手を振ってAクイックのおとりに飛ぶ。私はレフトから今井と水谷の後ろを回って右バックセンターから左のアタックライン内側に打ち抜く移動攻撃。相手ブロックは全部今井についていた。
体は前に流れ、タッチネットを避けながらライトに走り抜ける。肩の振り抜きは左奥だったが、あんなに高く肩がクロスに回ったのは、あれが最初で最後だった。そのまま走り抜けてコートに戻る。大谷は「原〜、今の高け〜」とコンタクトの目を細めて手のひらを出す。丸野も「原さん、今の凄いッス!」と来る。観客席にはほとんど人はいないが、控えのやつらの歓声が聞こえる。そんなこんなでそのセットは、15対10で快勝した。
レシーブのシーンはいくつか思い浮かぶ。でも本業であるはずのスパイクに限って言えば「あの1発」を打ち抜いた手の感触しか覚えていない。でも何かそれで「部活」だったなと思い出せる。

夏の合宿は本当に死ぬかと思った。
礒村に「人間て、簡単には死なねえなあ」と言ったことを、良く覚えている。
夜の練習が終って、1日が終って、皆、体育館の床にボー然と大の字になって寝ていた。

昼休みは皆、体育館の床に近い高さ30センチ程かの横長の通気マドの近くに、へばりつくかの様にゴロ寝する。そこだけは風が通る。この昼寝がポイント、午後の特打の為にも重要だった。そこからのぞき見える、畑の風景は、我々の合宿とは関係のない夏休みの1日だった。
そうもすると、地元のおばちゃんが、農作業そのままの格好で茄子の漬物とか届けてくれる。「あんたらどっから来たん」とか言われているのだろう。昼寝を起こされた我々は、方言で実は何言っているのか全く分からないまま「すみません、ありがとうございます」と頭を深く下げて頂く。
おばちゃんは「何の何の」とか言いながら、手を後ろ腰に組みながら、少し前かがみで炎天下を帰って行く。これが夕飯のテーブルに並ぶ。

入部したての合宿、あれは十和田湖だった。着いた初日に10キロの山下り山登りマラソンで足がつった。
合宿所に戻り、新入生は2段ベットの上、天井が間近に見える。
朝の起床の放送が「若者たち」だったりで、「何でなんだ」と毎朝自問自答した。

だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで

だのになぜ 何をさがして
君は行くのか あてもないのに


汗を出し切って、練習着が乾き始めると体全体がしびれてくる。脱水症状だ。
中学高校とは「水は飲むな!」の練習だったが、大学ともなるとゲータレード全盛。ところが特打の途中で補給は出来ない。
スパイクの打ち込み、特打は一人で連続30分以上にもなり、野球の千本ノックのようなレシーブもしかり、ラスト10本からが長い。
「もうダメか?」「やめちまえ!」なんて怒声も関係なくなる。そんなのに答えられるようなら、まだ十分余力がある。
「この野郎!」「バカ野郎!」とは自分に言う罵声、決して他人に言っているものではない。

「ラスト1本!」になると、逆に自分が満足するまでやることになる。「まだまだ!」とか言いながら、もうジャンプなんか、ほとんどしていない。渾身の力でスパイクをコートに入れると「ヨーシ、あがれ!」とか言われるのもつかの間、そのまま体は床にころがって大の字になる。「ま〜だ体が流れるなあ〜」とか言われて「ハイ」とか荒い吐く息に合わせてしか返答できない。
高い天井のシミを見ながら「これでも死なないんだなあ」とか思いながら。

いつの頃からか、スポーツ選手のことをアスリートと呼ぶようになって、何かアーティストのような、そんな意味はないにせよ、何か表現する者のようなイメージがあって嬉しい。
私なんか、そんな余裕もなく4年間が過ぎてしまった。
「お前のスパイクは、いつまでたっても体が流れるなあ」そう言われ続けた。
自分で出来ない事。自分だけでは出来ない事。いつまでたっても「部活」は貴重な経験だ。
「立ち止まるな、絶対に止まるな」
「どこまで行けるか」
その意味が分かるのは30年後かもしれない。
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2005年08月01日

『40歳からのピアノ入門』(講談社)

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「Closer to God」

私の求める音は年と共に増々過激になって、自分でもこうなるとは思いもよらなかったのですが、この10年位は、通常のいわゆるハードロックでは何とも感じなくなってしまっていました。いわゆるロック不感症、かなり重症でした。
客に媚(こ)びないロック、それも徹底的に叩きのめすだけ叩きのめす、弾きつぶすだけ弾きつぶすロックが何て少なくなったことか。40ならぬ50が見えて来たこの歳になって、さらに上から下まで黒ずくめで、ダイブこそないけれど、ステージ間近のスタンディングで、放水される水を浴びながらヘッドバンギングと垂直ジャンプでリズムを取っているとは、勿論誰も知る由もなし、ましてや学生さん達には見せられない(見せてもいいけど)。ましてや、ライブに合わせて髪を剃って(時には実は減量までして)いるとは誰も気づいていないだろう(という自己満足)。日本では中々そうも行かないし、思わぬトークの落ちが観客に受けて、バカらしくなってそのまま帰ってしまうことが度々あった。こんな受けを聴きに来たんじゃないって。ところが、海外のライブでは、私よりももっと年季の入ったヘルスエンジェルのようなジャラジャラバキバキの皮ジャンのおじさん達がいて、私何ぞはヒヨッ子に過ぎなく気が楽になる。ミュージシャンはともかく、ハードロックの観客は中々日本には育たない、ということで、それはそれであきらめた。でも70年代はそうでもなかったし、客を突き放した演奏、疎外感こそがロックだった、とノスタルジックも善し悪し。まあ未だにミーハーも好きだけど。

それは私が以前からいつもイメージすることで、壁と床の境に打ちのめされて、そのまま痛みをこらえながら1日が過ごせたらどんなに楽なことか。ロックとは、たとえ静かな曲でも、そんな状況に対しても圧倒的で、打ちのめして、トドメを刺してくれなければロックではない。そんな全ての音がむなしい中で出会ったNine Inch Nails (NIN) はまさに私の救世主だった。詳しい事は言うまい。分かる人には分かる、分からない人には分からない。それがロックだ。
(とは言え、元はと言えば、オリバーストーンのNatural Born Killers (1994) からだったのでNINマニアにしてみればDownward Spiralの頃からになるので偉いことは言えない。)

そして突然、転機は訪れた(=音連れた)。
2002年にリリースされたNINのライブAnd All That Could Have Beenの初回プレスには、ボーナストラックならぬボーナスCDがあって、それが歴史的名盤 (少なくとも私個人には運命的な)stillだった。それはunplugged、unleddedならぬ、生ピアノ、アコースティックな編集で、とうとう私を最後の最後まで圧倒的に打ちのめしてトドメを刺してくれた。それはハードロックの窮極に出会った瞬間だった。要は、NINのトレントが言うまでもなく、最後の勝負に出た作品、ロックの一つの結論だった。詳しい事は言うまい。分かる人には分かる、分からない人には分からない。否、分からなくていい。それがロックだ。

そして私のメモには数ページに及ぶ、書評が書かれている。
通勤電車の中で読みながら、人目をはばからず書き綴った書評がある。
ピアノを弾きたい。
でも今、多くを語ると野暮ったくなりそうで、でもこの本から「勇気」もそうだが伝わる「想い」をもらっている。言いたい事は沢山ある。9頁位ある。でもやめておこう。

私には、やり残していることがある、それがロックだ。
いや、それはどうもピアノかもしれない。
窮極のハードロックは、健さんのように復讐に燃える、振り絞るような押さえた情念。
その姿はアコースティックなピアノに現れる。
分からないでもいい。いや簡単には分からないでいてくれ。

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