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2005年07月18日

『血の婚礼』(東北新社)

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「ストイックな魂のうねり
 スポーツシートにGを感じるような
 書評が始まらない(後編)」

ステップが始まる。天才ダンサー、ビセンテ・エスクデロが乗り移る。
指が鷹のように先が細くて鋭くなり、完璧を目指さなければいかん、と。私はナイフを抜く瞬間をこの眼で見た。本当に刺し違えるかと思った。
1986年春、来日。

いつもの"All That Jazz"の主人公ロイシャイダーは毎朝シャワーを浴びて、タバコをくわえながら鏡の前で"It's a show time, folks"とおどける。ショウビジネスでは、自分の生活とshow timeのどちらが現実の生活か分からない。この作品もノンフィクションなのか演出なのか、どこまでがドキュメンタリーでどこまでがリハーサルでどこまでがフラメンコでどこまでが映画なのかクロスする仕上がりになっている。人生は劇中劇、その観る者を困惑させて引きこむ快感。
ガデス曰く「日常を演技し、舞台の上で生きろ」と。
とにかくアントニオガデスのオーラは凄い。来日した時の舞台はもっと凄かった。
足元を照らすダウンライトに、むしろ顔に影が入るような照明演出。

静かに繰り返されるステップ、手拍子、それらが徐々に徐々に織り重なり、ステージの上で大きなうねりになる。大きなうねりは劇場全体に広がって行く。こんなことってあるのか。人が来る。人が波となって来る。ステップ幅は小さいのに、どんどん私に向かってくる。思わず座席に座りながら後ずさりするような。このストイックな魂のうねり、静かに加速されて、スポーツシートにGを感じるような。

彼のストイックな魂は、観る者の心を揺さぶる。
同じ体を動かすにしても、無駄のない、そして、曲線を描くにしても、その最短距離を結ぶようなイメージで空間を切り抜く。
パコデルシア(ギター)も天才だが、アントニオガデスは修行僧のような天才だ。

だからと言って私はフラメンコに詳しい訳でもなく、他のフラメンコを見聴きする訳でもなく、ただアントニオガデスにたどり着いただけという。ただそれが窮極の感覚に近いと中々その先には行かず、その系譜も彼で止まっている。

そこまで、そこまでしなくてもいいだろう。
そこまで、そこまで素顔を見せなくてもいいだろう。
最期の儀式にも似た、手慣れて並べる化粧台、手拍子、ステップが始まる。
分かるか、この凄さ・・・
言葉はそこで途切れる。

列車はピレネを横切る。
予約したはずのコンパートメントには、少しかっぷくの良いお母さんと5人の子供達が座っていた。下は3〜4歳か、上は中学生位まで、男の子か女の子か何れにしても顔を見れば兄弟だと一目で分かる。「ここ予約しているんだけど」と英語で行っても、何語だか分からないが、多分「あたし達が先にいたんだから」と言っているのだろう。ありがちの光景。車掌さんが通りがかり、乗車券を見せると、何だかんだとその家族に説明してくれて、そのお母さんは少し不満な感じで何だかんだ言いながら子供達に荷物をまとめて移動するように指示し始めた。私は通路でその家族が片付けるのを待っていたが、こうなると何だかこっちが申訳ない。無邪気な子供達は次はどこに行くんだ?みたいな感じで、はしゃぎながら一段となって狭い通路を出て行った。その最後に、お母さんに手を引かれた末っ子であろう女の子だけがこっちを振り向きながらニコッと笑って小さく手を振ってくれた。
私も目と口だけで笑って、腰の横で小さく手を振った。そのまま切り抜いておきたいような1カット。
大きくなって家族の前でフラメンコのお遊技を踊って見せてくれよな。兄弟家族みんな元気でな、と。

ようやくコンパートメントに座りバックパックを降ろす。
窓の外にはまだピレネが広がる。真っ青な空に、乾いた岩肌がクッキリとはえる。あの空にはアンダルシアの夏、そしてブエルタ・ア・エスパーニアの乾いた風が吹いていた。その向うから、あの手拍子と共にステップの音が徐々に聴こえてくるようだった。

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2005年07月04日

『アントニオ・ガデス』(新書館)

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「ストイックな魂のうねり
 スポーツシートにGを感じるような
 書評が始まらない(前編)」

ピレネを超えたらそこはアフリカ、とはナポレオンの言葉だったか。
確かに突然、車窓に広がる山肌の色が変る。
ピレネとは、フランスとスペインの国境に横たわる山脈で、当時は電車のレール幅が違っていて、夜中でもたたき起こされて、国境で電車を乗り換えなければならなかった。1等車は乗客が乗ったまま車体ごと車輪幅を変えてくれると聞いていたが、経験はない。

また学生時代の話だが、イギリスのヨークで液晶の国際会議があって、学会後ロンドンに出て、いつものヴィクトリア駅からフェリー経由パリ直行列車に乗り、で、いわゆるバックパッカーで貧乏旅行をした。何度目だったか、そんなに何回もやっている訳ではないが、マンチェスターの生活とバックパッカーは、今の私の原点、原風景になっている。

もちろん当時は日本からの往復渡航費からして全部自腹なので、本当にお金が無かったので、宿代を浮かす為に3日に1泊は移動の夜行列車泊のような。
パリの北駅を乗り継ぎ、色々あって、さらに夜行でスペインへ。
そのピレネでたたき起こされて、また色々。で、マドリドに早朝着くと、バックパックを肩に、「i」が目印のインフォメーションへ。地球の歩き方曰く、マドリドのコンロッカーは危ないから使うな、と。確かに全部カギが壊されていて、当時はロッカーに預けば、荷物が中に入っているというサインで、全部中身が取られてしまっていた。で、外の荷物預かり所が便利、というバックパッカーの情報で、よれよれのランニングシャツの男の子が、こっちこっちと客寄せをする。増々怪しい。

だがこれから今夜の宿選びの交渉という時に、このギラギラ太陽に、このバックパックは重すぎる。で、その子供に誘われるまま、そのバラックの怪しい荷物置き場に行くと、よれよれのTシャツのあんちゃんが分かりやすい英語でワンデースリーダラーとか言う。そう言われて奥を見ると、確かに沢山のバックパックが無造作においてある。どうせ取られてなくなってもいいようなTシャツとか下着だから、背に腹は代えられぬ、と預けてしまう。

ようやく身軽になった身で、キオスクで水を買い、インフォメーションへ向かい、今夜の宿を捜す。まだ午前9時にもならない、朝食は水とリンゴ。
インフォメーションは片言ながら英語が通じる。希望の安い宿は、そっけない紙切れに住所がメモされる。さあ、これからが大変だ。 いつも残金を気にして両替したばかりのお金でローカルの電車に乗り、そのそっけない紙にメモされた宿へ向かう。確かにそこには気持ちだけベイカンシ(空きあり)とか看板がかかっていて、ホテルとは見えない普通のドアのベルを鳴らす。奥から、少しかっぷくの良いおばさんが満面の笑みで出て来て、何語だか分からないが、多分ウエルカムと言っているのだろう、言われるままに中に入る。「あんたの今夜の部屋は4階だよ」みたいな、想像だけで「OK, OK」とか返答する。

勿論エレベータもないし、おばさんの大きな後ろ姿を追いながら、それでも高級感を出したいカーペトの張られた階段をギシギシと上ると「ここよ」みたいな、息を切らせたおおばさんがドアを開けてくれる。大体、こっちが言葉が分からないのに話し続けるのが宿のおばさんの常套句だ。

「これで**は安いわよ」と言われていると思うけど。未だ言葉分からず。で、私は。紙切れとペンを取り出し、シャワーとそこから出る水の絵をかく。
「シャワー、シャワー」「ホット、ホット」とか言いながら、さわって熱いという演技をする。耳たぶをつまむのが万国共通なのか、まさか、考えてみたら「ホット」位どこの国にだって通じる、そうすると「もちろん、さわってみなさい」と、そのおばさんは自慢げに蛇口をひねる。確かにしばらくするとお湯が出て来る。
私は「good、good」とかいいながら「OK、ここに決めた」と握手して交渉成立である。
大体、シャワー付きとか言って、確かにシャワーはついているが、水が出ないシャワー付きの部屋に何度か泊まった。水が出た、と喜んだら、Hの蛇口をひねっても延々水だったりとか。夏と言えども、朝夕は冷える簡易ホテルで、これはお湯に違いない、と自分に言い聞かせて何度冷たいシャワーを浴びたことか。いやこれは冷水を浴びて、身を清めろ、という神のお達しだ、とか、散々な健康法を試したものだ。
(中略、次週につづく)

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