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2005年05月30日

『the period』
PINK CLOUD(BMGファンハウス)

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「最後の夏
 弾きつぶすやつら
 男のロック」

何も活字だけがストーリーテラーではない。
今や活字のない映像の多弁は無視出来ない。
紀伊國屋BookWebでもこのDVDは手に入る。

伝説のライブ。
ここまで弾きつぶすやつらを見たことがない。
野音の伝説"Free Spirit" (1979)もそうだけど、他にもいくつかの伝説の映像は残るが、私としてはこっちの解散ライブの方の凄まじいバトル、圧巻の武道館ロックスピリット"the period" (1994)に酔う。
1981年、初めて日比谷の野音で見た。
その時、私も最後の夏を感じた。

MIDIもループもシンセもまやかしもなし、生で細工なしで行くぜ、最初からスタンディングで行くぜ、どうだ、みたいな。
ところが、26分(〜hug letter)までCharは何の気なしに突然Jazzを弾きだす。それもキーボードでインプロビゼーション。
実は昨年のAIをボーカルにすえたツアーではドラムもたたいた。野音と渋谷AXでも期待したが、とうとう見られなかった。
それもよくあるパターンではあるが、ストレートなロックを期待した観客にフラストレーションを与えておいて、でも本当はJohnny, Louis & Charでやりたかったこと、実力はこれだぜ、アハハって笑い声が入るし、観客をシニカルに裏切ることで、俺達ほんとはこのレベルだったんだぜ、みたいな。
ジョニーのあれっ?ていうボーカルもあるし(立ち上がりは仕方ない)。

で、26分(16〜)からは夏の野音のノリになる。外角低めのスローカーブに目が慣らされて、突然の胸元高めのシュート気味ストレート勝負に来た感じ。のけぞる。
行くぜ!ここまでやるか?知らねえよ、分かんないやつは帰りな、という3人のRockerの突き放したパワー。

日本に、日本に生まれて、こんなやつらが、こんな無骨なRockerが、日本にいて、いた、ということで、誇りに思う。RockerのRockerって、和製英語っぽい、それが言い得て妙。

日本人、Charと同じ日本人だったことを誇りに思うよ。
日本人のつらいロック人生は「外人」には分からない。

aren't you ready ?... karamawari... drive me nuts...
目を赤くする Char、それを見るジョニー、相変わらず伏せ目がちな加部。
15年もやってきたんだぜ。
何で俺達、解散するんだ?
でも、これがピリオドさ。
「という訳で、お疲れさんでした」とCharとジョニー。
でもそこに加部はいない。

これで最後のライブ。最後の夏。
いいんじゃないかな。
分からないやつには分からない。知らないやつは知らない。伝わらないやつには伝わらない。それでいい。
それだけ真剣勝負、ということ。

これは男のロック、素のままのロックバトル。
媚びない。
今年も野音の夏がやって来る。最後の夏を想い出しながら。

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2005年05月23日

『ありふれた生活』(朝日新聞社)

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「超アジア通
 インドは踊る
 理想の夫婦像」

先日、夜中に「やっぱり猫が好き」の最新版をやっていて、3人ともメジャーになったもんだと感慨にふけて見入ってしまいました。決まった人物だけでワンカットで繰り広げられる、いわゆるシチュエーション・コメディの走り。第2シーズン(89-90年)からは、いわずもがな三谷幸喜さんの真骨頂。最近では「HR」を期待していたんですけど、慎吾ちゃんもいいんですが、いっそのこと「オケピ!」から川平慈英さんとかでレインボーゴールすれば、轟先生も良かったかな、と素人の言いたい放題です。

日常の「ありふれた生活」で笑わせること程、難しいことはない。誰もが、ちびまる子ちゃんの野口さんみたいな世界を持っている訳でもないし、そういう人は放っておいても、ローマ法王の選出がコンクラーベ、だけでクックックと笑っている。
ありふれたつまらないこと、面白くもなさそうなことで笑わすのはレベルが高く、普通、コメディアンは固定パターンに走りたがる。観客は、始めは何のことだか分からないが、慣れて来るとジャカジャカジャーンとかいう固定パターンの先読みで、そこまで引っ張ってから笑う。要は固定パターンがあるので、出て来ただけで笑えると安心する。その後の展開がないと命取りだったりするけど、それでも売れれば勝ちのプロの世界。
だからと言って、三谷幸喜に固定パターンはないかと言えば、ある。作品発表の記者会見の日には、必ず芸能界に大ニュースが重なる、という固定パターン。誰々が結婚だ、離婚だ、捕まったで芸能欄のベタ面積は、三谷幸喜の期待を裏切るという、その固定パターンで笑わせる三谷幸喜を期待することになる。本当は、そんな固定パターンは彼には必要ないはずなのに、天性の「引き」がそうさせるみたいだ。インタビューする側も、女子高生に人気があるからといって、軽部さんもそろそろひとひねりが欲しいところである。普通のネクタイにするとか。

「ありふれた生活」は新聞に連載され始めた初期からチェックしてきた。思わず落し所が野口さん的だったりして、クックックとなる。今では「怒濤の厄年」「大河な日々」と合わせて3冊がシリーズで書店に並ぶが、初期の作品には「サインを求められたけど」などの三谷幸喜らしい日常がある。

一人の主婦が「実は奥さんの大ファンなの」と切り出し、サインをもらいに来た。「奥さんのCD、何枚も持ってるんですよ」と。
僕に黙って歌手デビューしてたのかな、と思う三谷。
「一番好きなのは「卒業写真」」と来る。あれっ?
「ご主人のアレンンジなんでしょ」とトドメを刺され、「松任谷正隆、妻もよろしく」とサインする三谷。さらには「任」の字が思い出せず「まつと−や」と平仮名でサインした、ってウソに聞こえない三谷の落し所、日芸に秀でる、日大芸術学部出身の三谷。

小林聡美さんはソフトボール部出身ということでキャッチボールとハモリにうるさいという。後者に因果はないけど、一度ぜひ「卒業写真」を聴かせて下さい。何しろポポンS飲まなくても元気がありそうでいいなあ。物干しざおで重量挙げさせたら一番似合う女優は、というアンケートがあったら、絶対1位になる。一方、三谷幸喜は、駆け込み乗車をしようとして寸前でドアがしまった顔を車内から見たい作家ナンバーワン、というか・・・なんて理想的な夫婦なんだ。

それでは申訳ないので、「インドは踊る」という名作を踊りきってしまいながら、毎晩ゴミをまとめて玄関に出す家事まできっちりこなす生活のリズム感あふれるマダム小林の優雅な生活(幻冬舎)。そのゴミを朝8:30 に出して、奥さんに始球式の練習をつけられ、何ともウイットとペーソスにあふれる「ありふれた生活」の大切さを書かせたら天下一品のご主人。これある意味、理想の夫婦像です。

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2005年05月16日

『Sports Graphic Number PLUS 25th The Pictured Emotions from 1980 to 2005』(文藝春秋)

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「訴える瞬間」

大学1年の夏休み、プロ野球の試合の観戦ツアーをやった。今で言う追っかけかもしれない。後楽園、神宮、川崎はそのまま、そして名古屋、甲子園、と。さすがに広島はあきらめた。お金もなかったし。
大垣行きの夜行で早朝、名古屋について、そのまま当日売りに並ぶ。夕方までずっと。その日の夜は代打柳田の弾丸ホームランに酔った。
試合終了後、そのまま大阪に向かったらまた早すぎるので、また夜行で紀伊半島の外側をまわる。新宮の辺りで夜が明け、朝市場の定食屋に入る。
「そこの行きずりの兄ちゃんは何にする?」
行きずり、と言われて少し嬉しかった。

甲子園に並ぶも、高速の下の日陰ならいいが、昼過ぎには当日券売り場の前は長蛇の列。警備員が「お客さん、もう少し前につめて下さ〜い」と仕方なくつめると、日陰を外れ、大阪の最も暑いジリジリの日差しに何時間もさらされた。

何が好きかって、あのスタンドに向かう時、見上げる出口が明るいのでやや暗く感じる階段を抜けて広がる野球場の全景、空、銀傘(ぎんさん)に広がる「ワーン」という音。これはやっぱり外じゃなくっちゃ。ドームでは味わえない。
デニスクエイド主演の「オールドルーキー」にもあった。階段を駆け上がり、出ると目の前に広がるグリーンの芝生と満員のスタンド。

Take me out to the ball game ♪
子供の頃の憧れ、いつになってもこの気持ちは変わらない。
ただ、年を取った分、感動の深さとベクトルが変った。
動から静、外から内、カラーから白黒セピア、のような。

いつの頃からか、スポーツの写真を見ることが好きになった。夜一人で飲みながら、ヘッドフォンで好きな曲を聴きながら、写真家の渾身の1枚を探す。
「アスリートの肖像」
「煌き(かがやき)の瞬間」
目を見る。後ろ姿を見る。そこに至るストイックな努力と根性(土産屋の置物ような陳腐な表現だが他に思い浮かばず)、そしてその時に発露する気持ち、ある意味エクスタシーを見る。いわゆる忘我に魂が超える。訴える瞬間。

フランスW杯最終予選、前半39分、ゴンゴール、そして中山の目。
アトランタ五輪女子マラソン、自分のことを褒めてあげたい、有森の目。そして走る意味。
猛暑の猛稽古、畳の上に横たわり空(くう)をみる田村の目。
今までに何があったのか、その思いだけでグッとこみ上げるものがある。

正直言うと、この25周年特集号ではもの足りない。
Sports IllustratedやNational Geographicからすると、写真文化に対するわきの甘さを露呈する。しかし、かたや50年から120年近い歴史を持つ雑誌に25年ではまだまだ成人式を終えた程度で、ただ成人式は成人式で初々しいと思えば、日本の甘さを残しながらも、四半世紀という歴史が見えてくる。

1987年11月7日(土)、後楽園球場の取り壊しが始まる前日、最後のプロ野球OB戦が行われた。私はいても立ってもいられず、研究室を抜け出してデーゲームを見に行った。小学校何年だったか、そろばん塾の夏のイベントで初めて行った外野席から見た時の興奮を思い出した。毎年、夏休みの試合の前売りには、渋谷の東急の1階に徹夜で並んだ。蒸し暑い熱帯夜で地べたで何回もゴロ 寝した。

その日の最終戦の勝敗はどうでも良かった。
ネックストバッターズサークルで片膝を落とし、しばしバットを置く長嶋、たたずむ背中。こちらからは見えないが、目は真剣に球筋を追っているに違いない。
「4番、サード長嶋、背番号3」
さあ長嶋の出番だ。この時を待っていた。いや、ずっと前から、いつも毎晩、待っていた。
手でメガホンを作り、少し曇った空に向かい「ナガシマ〜!」と叫ぶ。俺のために打ってくれよな、最後の後楽園なんだから、と思いながら。
周りの観客も皆同じく叫んだ。
「長嶋あ〜!」
ああ、これが野球だよ。
中々上手く行かない毎日のくやしさとともに、涙がボロボロとほほを落ちた。
後楽園球場のあの空はもう2度と見られない。

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2005年05月09日

『プルートウ』(小学館)

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「言葉では伝えられない記憶」

実は、最近の漫画のトレンドを知らない。
「ゴルゴ13」とか「人間交差点」とかは、夜行列車の窓の奥の暗闇にゆっくり後ろに移る民家の明かり、思い出したように窓に写る自分を見ながら読みふけ る、一瞬中島みゆきではないけれど、時代的にはそこで止まっている。

「あしたのジョー」「巨人の星」は初版本から揃えている。絵は、ちばてつや、川崎のぼる、原作はそれぞれ、高森朝雄と梶原一騎、同一人物である。本名は、高森朝樹。空手バカ一代、タイガーマスク、侍ジャイアンツ、愛と誠。 豪放磊落とは彼の為にあるような言葉。明け方に見る「沈む月、昇る太陽」でいつも梶原一騎を思い出す。これは星飛雄馬の名場面の一つ。

実は、ちばてつやの作品は、誤解されては困るが、少女漫画の時代の作品からかなり揃えている。「島っ子」だとか「テレビ天使」だとか、それ以前から殆 ど網羅したと思うが(ちばてつや曰く、理想の妹を描いたということだが)その後「あしたのジョー」にしても、ちばてつやの描く女性のキャラクタには、かなり魅了されてきた。最後には嵐が来て、気丈に振る舞う主人公、そして夜明けにたたずむというラストシーン。女性の主人公としては最後の作品に近い 「蛍三七子」に到っては、当時からして環境問題に取り組むような先見の明がある。それはともかく。

本題は「鉄腕アトム」の「地上最大のロボット」をモチーフにした浦沢直樹の「プルートウ」で、題名のフォントが手塚治虫っぽくて雰囲気だが、無茶な挑戦をしたな、と思いつつ、先に進むにつれて、その独自の世界に引き込まれて行く。この御時世「Shall we ダンス?」のリメイク版は観ていないが、この「プルートウ」は徐々にリメイクに終らないガチンコ勝負の意気込みが伝わる。

実は、光文社のカッパ・コミクス「鉄腕アトム」も初版本で全巻揃えている。 親父がリアルタイムで毎月買ってきてくれた。130円、帯にアトムシール、裏 表紙はマーブルちゃんの宣伝が相場で、月イチの楽しみだった。
「地上最大のロボット」は2冊に分かれ、最後にアトムが、戦いの愚かさにたたずむラストシーンで終る。今思うと、後半になると、いわゆる悪役ロボットのプルートウが力石徹にだぶってくる。不思議なシンパシー、死ぬなよ、と。

実は、何年か前の朝日新聞に「蛍の木」の記事が出ていた。手塚治虫が見たかったもの、というスタートで、それを見ずして亡くなられた、という話で、何か「蛍三七子」のラストシーンのようで印象に残っている。

漫画と言えども、と言って言葉がつまる。言えども、と言ってはいけない。最近のトレンドは知らないが、それまで世の中になかったものを創造するということに対する憧憬、これもまた文化である。

「プルートウ」の中で、ロボット同士がメモリースティックをやりとりするシーンが何回か出て来る。
・・・
「人間はなぜ、あんなモニュメントを建てたがるかわかるかい?」
「忘れてしまうからだ」
・ ・・
「なあ、俺達は進化していると思わないか?」
・・・
「ところが俺たちはどうだ。メモリを消去しない限り、記憶はいつまでも残る」
・・・
「人間の記憶ってのは便利なものでね。忘れるっていう機能があるんだ。つらい記憶をためこんでいくと、生きていられなくなる。で、忘れるわけさ。」

でも、忘れられない記憶がある。
人間は皆、そんなものを引きずって生きる。
時に、忘れた記憶もよみがえる。
良くも悪くも、頭のどこかに消去されずに残っている。

「プルートウ」は、後半にならずして、不思議なシンパシーを感じる。

病床に伏す親父の頭のどこかには「鉄腕アトム」を毎月買ってきてくれたというメモリがあるはずで、せめてでも、その頃の嬉しかった記憶を消さないでほしい。言葉では伝えられない記憶。言葉にならない気持ち。手を握り返すだけで、せめてもの親孝行。

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2005年05月02日

『掌の小説』(新潮文庫)

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「期末試験とDeep Purple
 見えるべき風景
 何か違う背景」


小中高と、邦楽はだめで洋楽、邦画はだめで洋画、のような感覚でいて、巷では新宿西口のフォークだ何だというのを横目に、俺はロックだぜみたいな斜に構えたところがありました。ところが、こと文学に関しては、外国文学はだめで日本文学、のようなところがありました。リズム感が違うというか、見えるべき風景が見えないというか、ちょっと違う違和感でした。

年を取るにつれて、邦楽も聴くようになり、邦画も観るようになり、和洋折衷になりました。でも、文章だけは翻訳本には未だに違和感が残り、やはり元から日本語でないと、のようなこだわり?があります。日本人だから仕方がないですけど。

同じ日本語なのに、何でこんなに違うんだろう、というのがまず一つ。三島由起夫は過去のトラウマと才能丸出しギラギラ、林芙美子は貧困で魚の生臭い匂い(シンディ・ローパーも匂いは違いますけど、自分の出発点はpovertyと断言してました)、井上靖はステップを吹く風の音、そして川端康成は才能がありながらのやわらかい日常の日本語。

今でも覚えていますけど、高校の時の現国の期末試験。試験問題を読みながら「何これ」と感化され、しばし窓の外をボーっと眺めてしまったのを覚えています。それが、川端康成の短編「雨傘」でした。その日は、試験期間中なので、お昼で帰宅。でも「今日はもういいや」と帰りに神保町に寄って、さっそく見つけたのがこの「掌の小説」でした。当時、地下鉄の中ではいつも受験用の「出る単、出る熟」みたいな感じでしたが、しばらくはこの「掌の小説」を「眺めて」いた時期がありました。何てきれいな日本語なんだろうって、画集を見る感じで。

ところが、今あらためて読み直すと、ちょっと違う。自分のリズムとかセンテンスとちょっと違う。期待する次の言葉が出てこないで何となく文体に違和感があって、何であの時、あんなに感動したんだろな、とちょっと首をかしげる。それだけ自分がすれてしまったのかもしれないですし。

武道館にディープパープルが来た時、寒い日だったと思いますが、この文庫本を読みながら、横の隙間からかすかに覗けるリハーサルの音を聴きました。切符なんて、まだロックは不良が聴きに行く時代、受験もあり無理な話でした。
ディープパープルとしてのみならず、ライブの名盤として有名な"Live in Japan"(武道館のステージの後ろから撮った有名なジャケット)は、元々日本でのみの限定版で、企画から録音まで全て日本人だけで作ったまさにMade in Japanが、その後全世界で高く評価された作品でもあります。その録音が行われた1972年、川端康成はガス自殺しました。らしくない、いや、らしい最期でした。
1968年、川端康成ノーベル賞受賞(3億円事件もその年)、その後は、超多忙、苦悩に満ちた生活だったのだと思います。

その前に、三島由紀夫もノーベル賞だったという話です。彼の場合、最期の最期まで〆切を守り、ペン習字のような几帳面な原稿を仕上げていたという、それに自分の存在感が満たされずかボディビル、楯の会。そう言えば、団伊玖磨ポップス・コンサートにも出演したようなイメージが残っています。
一方でノーベル賞後の苦悩に堕ちて行く川端。昭和の2大天才作家がいて、現在の日本文学に至るのか。彼らの苦悩を理解しようとして損はないだろうけれど、書き出す内に辛くなる。彼らの目を見ていられなくなる。価値観が崩れて行くのが恐い。やはり、彼らの作品を見て、同じ日本語なのに何か違う背景を感じているだけの方が良いような気がする。徐々に語尾が変る、それがその気持ち。

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