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2005年04月25日

『佐伯祐三 新潮日本美術文庫43』(新潮社)

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「水ゴリをしてもやりぬく
 きっと俺はやりぬく」

モンマルトルの丘には早朝に行くといい。
成田に戻る便は午後遅くなったので、出張中で自由になる時間は帰国する日の午前しかない。

チェックアウトは12時なので、荷物を部屋に残し、コーヒー1杯で外に出ると朝のしめった匂いがする。ケーブルカーのタイミングが合わなければ、歩いてでもいい、サクレクール寺院に上がる。ここがパリでお気に入りの場所、いつも来てしまう。パリの街並がチムチムチェリーで見渡せる。遠くにはエッフェル塔、Bonne journee, Paris...

その横をぬってテルトル広場に向かうが、観光客相手の絵描きもなく、昨夜の騒ぎの椅子を片付ける人と、デッキブラシでタイルの路地を掃除する人だけ。ダリ美術館はまだ開いていないが、ディスプレイを覗き込むのがいつものパターン。その路地のつき当たりには幼稚園があって、先生に駆け寄る子供達、それを見送る若いお母さん達は井戸端会議もつかの間で、見るからにこれから仕 事のパリジェンヌ。何かCMを見る感じで。

多分、佐伯祐三も歩いたと思う。
藤田嗣治もそうか、荻須高徳もそうか。でもやはり佐伯祐三にシンパシーを感じる。
「水ゴリをしてもやりぬく」
このセンテンスは、佐伯祐三そのもので、毎朝シャワーを浴びながら、いつも思い出す。

どんよりと曇ったパリの空の下で、彼は何を感じたのか。
いつも、いつも、パリの空の下は、彼らの苦悩に満ちている。

ムーランルージュに抜ける坂道を下る。カンカンのリズムに盛り上がる高らかな笑い声がフェイドアウトすると、アコーディオンが聴こえる。多分、佐伯もそうやって暮らしていたに違いないと思う。何が現実なのかどうでもよくなる瞬間。

佐伯が見たパリを見たい、といつも思う。
佐伯が感じたパリを感じたい、といつも思う。

成田に戻る便は、いつも佐伯かブラマンクかを引きずる。機内で画集を開くと、何かいつもバックグランドを感じて熱いものがこみ上げてくる。それが指標でもあって、要はその感じがなくなったら自分も終りだ、と。でもカフェの風景は、次に行く時までパリに置いてくることにしている。

クタバルナ、
今に見ろ。
水ゴリをしてもやりぬく、きっと俺はやりぬく
やりぬかねばをくルのか、
死ー病ー仕事ー愛ー生活
(1968, 1978, 1980、佐伯祐三展画集から)

追記:
弟の祐明が20歳で亡くなった時、23歳の佐伯祐三はライフマスクを作っている。当時、本人も吐血したのではないかと言われている。1980年、渋谷で行われた佐伯祐三・ブラマンク展で実物を見た。安らかなようでいて、死を覚悟しているようでいて、しばし足を止めたのを覚えている。
私の高校の近くに「モランの寺」という彼の作品が飾られている。受験勉強が行き詰まると、よく見にいった。夕日が差し込むガランとした薄暗い美術館が妙に心地よかった。

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2005年04月18日

『生きよ堕ちよ』坂口安吾(大和出版)

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「人間は堕落する」
「アナーキーな理想主義」


 何か坂口安吾と言うと、高校の頃は下校時に神保町を歩く一つのファッションのような響きがあった。

 これもまた絶版に近い本なので紹介するのもどうかと思ったが、この「生きよ 堕ちよ」というタイトルそのものが気に入っていて、一先ず選んでしまった。 本書の内容の『堕落論』『続堕落論』『日本文化私観』『青春論』『恋愛論』などは既に文庫でも出ているので、内容を読むことは出来る。

 その有名な『堕落論』だが、「人間は堕落する。人間は生き、人間は堕ちる。人間は可憐(かれん)であり 脆弱(ぜいじゃく)であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱 すぎる。正しく堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わな ければならない。」と言い切り、学生の頃、初めて読んだ時は、他の作家のセンテンスもそうだっ たが、そのファッションのような格好良さに惹かれ、ところが今ではその真実に心底惹かれる。ロックというカルチャーも同じ趣向があり、初めは格好良さに惹かれ、年を取るごとに、そういう真実が見えてくる。

 坂口安吾と言えば「小説よりもエッセイの方が面白い」とは、巻末の解説の奥 野健男氏(大学の大々先輩で理工系ながら「文学は可能か」などを執筆し、ペンクラブの理事をされた方)の弁であるが、言い得て妙である。ところがそのエッセイにしても私小説を読む感じがするのが坂口安吾の魅力なのかもしれない。

 エッセイを読むと、何故かいつも横光利一の短編「蠅」を思い出す。馬車に乗り合わせた人達の日常の詳細が語られ、最後の数行で全てが終ってしまうという語り口で、初めて読んだ時は、とてつもなく興奮したものだが、文学史的な関係は何も分からないが、その時代背景か、坂口安吾と分母が同じ数で割れる感じがする。『白痴』までくると太宰治や石川淳の方と共通項が出て来るだろうが。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2302_13371.html

 自分が年を取ったのか、時代の理解が追いついたのか、改めて、しばらく休みを取って、ひなびた温泉宿ででも坂口安吾を読み直してみたい気がする。その時は、浅野忠信演じる『白痴』も要チェックリストに入れておかなけらばならない。「地雷を踏んだらサヨウナラ」的なのか、いや、奥野氏曰く「求道と破壊の中で」ある意味、アナーキーな理想主義を貫くハードロックのリフのような勇気を少しでも感じてみたい。

 蛇足だが、坂口安吾は、それこそ1日4時間の睡眠時間で過ごし神経衰弱になったそうで、寝不足になると彼の文章が恋しくなるのと何かリンクされているようで、同じ睡眠不足ながら、神保町の古本屋で買いもしない初版本を見つけ ては、なりきった感じになっていた若さが今さらながらに思い出される。

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2005年04月11日

『課長 島 耕作の成功方程式』(講談社文庫)

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「映画館で観る映画、
 通勤電車で読む島 耕作、
 肩で風切る感じ」


 映画は映画館で観て下さい、とは淀川長治さんの言葉。これだけレンタルやDVDが普及すると、おのずと映画の意味も多様化するようで少し懸念しています。昔は映画といえば映画館で観たもので、観終わった後に外に出ると、世の中が違って見えたりしたものです。サスペンスを観れば誰かに追われてはいないかと交差点で後ろを振り向く感じ、ミュージカルを観れば誰かが踊りだす感じ、戦争ものを観たらこんな平和ボケで良いのか誰かに問いたい感じ。所が、TV画面で観る映画は、日常の風景の中で小さい窓からのぞく感じで、冷蔵庫からビールも出せれば、トイレにも行ける。これは違う。だから出来ればいつも大きなスクリーンで観たいものですけど。

 弘兼憲史の本を読むと、この手のハウツーものはたとえ実践出来なくてもある種のヒーリングになるから売れると実感します。実際、家には国内外の同種の本が何十冊とありますけど、こうすれば上手く行くと読んでも、机の上はいっこうに片付かないし、時間は忙しいまま。でも、考えてみるとまた週末に買ってしまったりで、何でまた買うのかなと思います。

 特に弘兼憲史の話は、我々の業界とはやや異なりますけど、通勤電車で読んで、顔を上げると「あれ?映画館から出た感じ」とアドレナリンが出たりします。つまりは、日常の風景がそのまま映画館で、誰もが島耕作のようには出来ないけれども、でも、会社で会議している、上司に怒られている、帰りに飲んでいる、そんな自分が一瞬主人公になって、今電車で移動中、それで居眠りをする乗客も違って見えたりする。そんな映画のような擬似体験が日常を背景に経験出来る、そんな感じです。健さんを観れば肩で風切る感じ。

 ちなみに弘兼憲史さんの作品には東武東上線沿線の見慣れたローカルな駅の日常の風景が出て来ます。野口五郎の私鉄沿線の感じ。今はどこにお住まいか知らないですけど。また「美人劇場」というマイナーなシリーズがあって、島 耕作や人間交差点のエッセンスがつまっています。漫画もですけど、こういうハウツーものも日常の風景を映画館のごとく読者を魅了する。一度、弘兼憲史を通勤電車で読むことをお勧めしたい感じです。

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2005年04月04日

『あるがままに』 (世界文化社)

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「笠智衆という生き方」

 生まれ変わった後の目標があります。バークリー音楽学院に入ってギターを勉強する、スタンドアップコメディアンになってレイトショー司会者になる、 か、大リーグの野球選手、と思惑はどうしても外に向きますが、生まれ変わる前にでもやりたいことは、目標は高くても国内でできそうな。本業を全うする、映画を作る、そして笠智衆。最後だけが何ですが、どの目標も老後までかかりそうですが、笠智衆さんだけはどうしても固有名詞でなければいけません。

 最近どうしても老後を考えることが多く、つい「東京物語」を思い出してしまいます。日曜の夕方「東京物語」を観て、家族の目をはばからず涙いっぱいで夕飯を食べたことを覚えています。晩年の「寅さん」もそうですが、誰かも言っていましたが、「軽い」ではない「軽ろさ」を演じるとは、内に秘めたもの、普通に過ごせることの凄さ、です。

 亡くなる少し前、ポパイかホットドックプレスかターザンかの表紙に、笠智衆さんがジーパンをはいて若作りで笑っている写真がありました。家のどこかにあるのですが見つかりません。何かその目標というか憧れというか、時々思い出しては、縁側(えんがわ)で遠くを眺めるような静かな時を恋しく思います。文章も凝っているものでもなく、ただ普通の映画人の話ですが、「いい顔の美しい日本人がいる風景」とは、「あるがままに」の帯に書いてあったフレーズで、それだけでこの本の価値がある感じです。

http://www.berklee.edu/ http://www.interbridge.com/lineups.html http://www.nbc.com/The_Tonight_Show_with_Jay_Leno/index.shtml http://www.cbs.com/latenight/lateshow/ http://abc.go.com/primetime/jimmykimmel/index.html

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