ごあいさつ

私たち阪大生は、書評空間で書評ブログを書く書くことにしました。

本との出会いは一生のうちに何度もあります。
その出会いの中には、どうしても忘れられないものがきっと誰にでもあることでしょう。
私たちはそれに着目し、ライフステージごとに設定した5つのテーマについて大阪大学の学生や教職員から、本との出会いや思い出について紹介してもらいました。
誰かのアルバムの1ページをそっとめくるような、そんな気持ちでご覧ください。
大阪ならではの個性が光る「オモロイ」書評集が出来上がりました。

また、各テーマを順に見ていくと、ひとつの人生が浮かび上がってくる、という仕掛けにもなっています。
あなたの人生や、誰かの人生に思いを馳せながら、そのような視点からもお楽しみください。
本を紹介した誰かの人生だけでなく、あなたの人生にも彩りを加えてくれる、そんな1冊との出会いが、このページから生まれれば何より嬉しく思います。

大阪大学 「ショセキカ」プロジェクト一同

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2013年10月01日

芽むしり仔撃ち/大江健三郎

芽むしり仔撃ち
大江健三郎

⇒紀伊國屋書店ウェブストア
4/26/2013 23:55:03
文学部人文学科比較文学専修
3年生・男性

あなたが過去に読書感想文を書いた本で、印象に残っているものは何ですか?書名と著者をご記入ください。

芽むしり仔撃ち/大江健三郎

その読書感想文はいつごろ書きましたか?

高校二年の夏休み

どんな内容の本ですか?簡単なあらすじや、設定等をお書きください。

感化院(少年院のようなもの)に入れられていた少年達は、太平洋戦争の集団疎開である山村に向かう。彼らは常に疎外される存在である。山村で疫病が発生すると、村人達は彼らを置いて村を出ていき、さらに道にバリケードを作って彼らを隔離してしまう。残された少年達は山村に残された人々とコミュニティを作り、自分達だけで生きていこうとするのだが……

なぜその本を、読書感想文に使ったのですか?

露骨なまでに描かれた閉鎖的集団が与える疎外に鳥肌が立った。それは心理的疎外だけでなく、身体的な疎外、つまり暴力行為まで引き起こす。救いの無さすぎる結末部には目がくらくらするぐらいだった。この疎外そのものも、確かに感想文の題材になりえたけれど、それ以上に最後まで抗い続けた主人公に自分で意味を見出したい、というのが感想文を書いた動機だったと思う。僕が感じた絶対的な絶望は、間違いなく、この主人公を僕が理解できたからこそ起こったものだ。それをどうにかして、言葉に表してみたかった。

読書感想文を書いてみていかがでしたか?難易度や、書く前後のエピソード、その本についての考えの変化、これから読書感想文を書く小中高生へのアドバイスなどもお書きください。

文章やテーマなど、作品そのものの難易度ならば高校生レベルだろうか。ただこの小説に渦巻く「暴力」を感じるだけなら中学二、三年生でも可能だと思うし、僕自身は中学の三年生ぐらいの時に初めてこれを読んだ記憶がある。 とにかく問題は、この疎外や暴力というものに対する自分の立場を何処に置くかだろう。可哀そうだったとか二度とあってはならないとか、そんな同情を述べるのは誰にでも出来るが、主張するにはかなりの努力がいる。なんせ僕らはこんなあからさまな疎外と暴力の渦に飲み込まれる前提じゃ生きていないからだ。安穏の生きてきた人間が捻り出した安易な理想論ではすぐに陳腐になってしまう。まっとうな理想論を一蹴出来るぐらいに、この小説の持つ「疎外」や「暴力」は生々しくて不可避なものだ。
安易な同情による妥協、或いは無知な若者の浅い理想論、その二つを導き出しやすい小説だと思う。僕は主人公を軸にして、結局は後者に傾いてしまった。今から考えると、随分と陳腐な主人公擁護論を書いた記憶がある。論点そのものはは比較的はっきりしているが、そこから感想を書くのは難しい小説かもしれない。
しかし、論点が見えやすいからこそ、何かを主張したくなるような小説でもある。もし試しにこの本に手を出して、そしてこの疎外、暴力、そして絶望に何かしら胸の奥で渦巻くものが現れたなら、是非ともそれを言葉に出そうと努力してほしいと思う。何度も繰り返すが、この小説を語ろうとすれば、生ぬるい同情や安易な理想論に傾いてしまう自分を制御しなければならないという困難に陥るかもしれない。ただ、そういう言葉は、感想文という枠を超えて、きっともっと大きな世界の現実を適切に語る言葉を生み出す土壌になってくれるだろうと、僕は信じている。

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