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2014年04月18日

書物復権によせて

児玉 聡
[京都大学大学院文学研究科准教授]

 世の中には本が好きという人がいる。中には本の装丁や字体だけが好きで本の中身はどうでもいいという人もいるかもしれないが、おそらく本を好きだという人の多くは本を読むことが好きなのだろう。だが、本ならば電話帳でもなんでも文字さえ書いてあればとにかく好きという人は少ないだろうから、やはり本が好きという人は、大抵の場合、よい本を読むことが好きなのだろう。

 では、よい本が好きというときの「よい」とはどういう意味だろうか。その本を読んだ人がおもしろいと思うから「よい」のだろうか。あるいは、「よい」本だからこそその本を読んだ人はおもしろいと思うのだろうか。仮に前者だとすると、どのぐらいの数の人がおもしろいと言えば「よい」本になるのだろうか。たとえばベストセラーになればその本はよい本だろうか。あるいはベストセラーでなくても、書店の店員が勧める本なら「よい」本だろうか。「本のソムリエ」という表現もあるが、本当にそういう人がいるのだろうか。

 こうした問いは、価値に関する現代倫理学の探究につながっている。またそれだけでなく、よい本をどうやって見つけるのかという実践的に重要な問いでもある。私自身いつも困っているのだが、書店や図書館の棚からこぼれ落ちるぐらいある本の中から、どうやってよい本を見つけたらよいのだろう。本当に読むべきよい本はどこにあるのだろうか。

 最近は新聞の書評欄などを読んで新刊書のチェックばかりしがちで、すでに絶版になった本については考えが及ばないことが多い。しかし、絶版本イコール淘汰された価値の低い本とは必ずしも言えない。とりわけ専門書はよい本でも簡単に絶版になって埋もれてしまうことを、研究者であれば経験的に知っているものだ。よい本とは何か。リクエスト復刊という出版社と読者の共同作業が、この問いを改めて考えるよい機会となることを強く願う次第である。

2014年01月01日

書物復権によせて

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愛甲雄一 (あいこう・ゆういち)
[1969 年生まれ。英サセックス大学大学院で博士号を取得。現在、成蹊大学アジア太平洋研究センター主任研究員。
国際関係論、政治思想史専攻。共編著に『デモクラシーとコミュニティ―東北アジアの未来を考える』(未來社、2013 年)。]

 トクヴィルによれば、近代社会は、私心なき真理の探究や深い思索には適していない。そこでは誰もが富や権力を求めて忙しく動き回っており、沈思黙考よりも素早い頭の回転、皮相な思いつき、不断の行動こそが高く評価されるからだという。事実、研究者としての私が書物に接する場合も、昨今ではその点であまり変わりがなくなってしまっている。一冊の本をじっくり読み込んだ最後の機会は、果たしていつのことだったか。忙しさという「大義名分」のもと、必要な情報「処理」作業の一環として、文章の上っ面(それも一部)だけをなぞっているのが現実である。

 しかし、そんな時代だからこそ、腰を据えて一冊の古典や良書を読むという行為は、実に革命的な行為だと言い得る。なぜなら、そのような名称で呼ばれる書物は例外なく著者長年の思索・研究の成果が結実したものであり、よってその存在それ自体が、スピードと変化ばかりを求め、薄っぺらな物言いを大量に生産・消費する現代への抵抗を象徴しているからである。そんな書物から著者の意図や思考の流れ、行間に潜む思いなどを読み取ろうと格闘すること、それをもとに自分自身の思想や世界に対する理解を鍛え上げていくこと、ひいては、そうした読書にも耐え得るだけの深みと重みとを備えた書物の生存領域を確保していくこと――それらはすべて、私たちが身近に実行し得る「解放運動」のひとつとなり得よう。その種の行為に携わっているとき、私たちは、近代社会の論理が支配する時空間とは異なる「解放区」の生成に加担している。

 だから、ここに私は宣言したい。多忙を理由に書物の「処理」ばかりにかまけてきた自らのあり方を、全面的に見直していくことを。良書が良書として、さらには古典として生き永らえていく場の維持と育成に、一読者として尽力することを。願わくは、多くの方々もまた我が革命宣言に賛同され、この「解放区」拡大の運動に力を貸していただきたいものである。


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