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2013年04月16日

書物復権によせて


佐野 衞
[元東京堂書店神保町店店長]


専門書と書店


 専門書は刷部数がさほど多くはないので、ベストセラーにはならないし、書店の店頭で新刊台に大量に平積みされるということもない。探求の経過や研究の成果が書物となって出版されるいわゆる専門書の刊行が、いまの時代なかなか困難になっている。地道な作業よりも話題性や即効性に傾斜した膨大な出版物がまず書店の棚を席巻するので、大切な専門書を見えにくくしていて、出版されても気づかないということにもなりかねない。この事態は読者のみならず書店にとっても同様である。書店では専門書出版の新刊情報や新聞広告などに目を通しできるだけ展示し、読者に接する機会をもってほしい。大量に出版される本の中にも良書はあるが、専門書はほとんどが良書として出版されている。読者にとって必要な良書を手に取ってみる機会がなくなれば、自ずと書店に足が向かなくなる。書店の棚は植林と同様、手入れして育てていかないと荒野になってしまう。
 次々と出版される書籍が書店の棚を圧迫して、大型書店でも流通書籍をすべて展示することはなかなかできない。しかし必要な良書を絶やすことはできない。そこで「書物復権」はかわるがわるよみがえらせる方法をとったのである。
 過去の研究書が時代遅れと思うのは大きな錯覚で、そうした観点は時代を形成しない。以前の研究成果をおろそかにして、現在の省察は得られない。伝統は過去の積み重なりからなり、現在を生成し、未来を切り開いてゆく。文化的地殻変動の察知も、時代という地層の蓄積がないところには起こりようがない。かえって嘗ての研究の真摯な態度、クオリティの高さを学ぶ機会を得ることができ、その時代の特質が突きつめた真実を理解するだろう。もちろん現在にそのまま通底していることを発見することにもなるでしょう。そうしてこそ文化は後退や衰退から免れることができる。目先の変化改革などという政治屋的な発想は、もともとその発想そのものが目先の変化の繰り返しに過ぎないことを知らなければならない。

2013年01月07日

書物復権によせて

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吉野友博
[荒川区立南千住図書館]


専門書は、図書館の大切な財産です


 読書には、仕事、生活、情報利用、娯楽、余暇利用などのほかに、教養及び学習など様々な目的が存在しています。仕事、生活、娯楽、余暇といった目的も実は、自分が生きていく上での知恵や情報を?みたい、即ち教養や学習という目的に結びついています。その目的の実現のために、人は直接話を聞く、テレビやインターネット、SNS などから情報を得る、本を読むなどの手段を講じますが、古より「学びて思わざれば則罔し、思いて学ばざれば則殆し」(論語為政第二)と語られてきたように、本を読み、先人の話を聞いて、外からの智を得ないと人は生きていけません。

 本には、実用書や文芸書、文庫などのほかに、入門書、専門書に大別されます。読者の側から見ると、入門書は「易しく」、専門書は「難しい」ということにはなりません。例えば数学の入門書は、数学の専門外の読者にとっては、専門書以上に難しく思えるのです。入門書、専門書の区別は、あくまでも学ぶ人の意欲と到達度によって決まるのです。

 図書館の棚を構築するためには、入門書から専門書に至るまで知の体系化を図ることが重要です。市民には、ベストセラーものを読む人もいれば、図書館員以上に専門書を読んでいる人も多いのです。基本書や古典などは永い期間をかけて売られるものですが、図書館でも同じように長い期間をかけて借りられているのです。借りられないとすれば、そこの図書館は品揃えが悪い、としか言いようがありません。そもそも入門書は大概、全体を俯瞰するかサワリを語って、次のステップはこの本を読め、などと
専門書に誘導するものです。自分で学ぶためには、専門書に書かれた新たな知の世界や著者のメッセージと格闘する以外に、自ら知を獲得するすべはありません。こういう本は棚から発見するしかありません。本を売らなければ成り立たない書店には、大型書店以外には限度があります。どこと聞かれれば、図書館でしかありません。これらの専門書が図書館の棚に並ばないとすれば、出版文化を世に広められず、自らモノを考え学ぼうとしている市民の成長を手助けできない、公の知的財産=人が形成されな
い、地域の自立を遅らすことに?がるのです。激動する今の社会だからこそ、古の言葉を受止めて、図書館が何ができるのかを自ら考えるべきではないでしょうか。




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