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2013年10月12日

『微生物ハンター、深海を行く』高井 研(イースト・プレス)

微生物ハンター、深海を行く →紀伊國屋ウェブストアで購入

 この本で一番好きなシーン。それは、前のめりに持論を語る若き研究者に、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の理事が言う、この台詞です。
「僕はキミの目がとても気に入っている。僕のような年寄りになると目を見ればだいたいわかるんだよ。キミのことは目を見ればすべてわかる」

 若き研究者とは他でもない著者の高井研氏。深海や地殻内など地球の極限環境の微生物や生物の研究者であり『生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る』の著者でもあります。同書では、ベテラン研究者となった高井氏が生命の起源の謎に肉薄していきますが、この『微生物ハンター、深海を行く』では、若き日の高井氏がおそるべき量の熱量と実行力をもって研究者に成っていくさまがドラマチックに描かれています。上記の引用部分はそんな高井氏が27歳の頃、JAMSTECの面接に訪れた際の一場面です。

  読んでいて、まず驚いたのはプロの研究者になるまでにかかる学費の金額でした。高井氏はこれを修士課程以降は自力で賄ったとさらりと書いていますが、奨学金はともかく、博士課程を出るまでアルバイトをする人はあまりいないのではないでしょうか。研究だけでも相当忙しいと思いますが、寝る時間はあったのでしょうか。ともあれ、若い理系の研究者なら誰しも、この莫大な「自己投資金」を背負うことになるわけで、それに加え、膨大な労働時間も肩に乗せた高井成年は「恐ろしいまでの積極性の何よりの原動力」を手に入れて、自らの夢をかなえるため、次々に訪れるチャンスに人生を賭けていきます。そのヒリヒリ感が、この本の大きな魅力のひとつです。

 そういえば『Webナショジオ』で連載されていた当時のタイトルは「深海に青春を賭けて」でした。初めてタイトルを見た時は「深海熱水の研究を夢中でやっている間にあっという間に時間が過ぎちゃったよ」という意味なのかと思っていましたが、今思い返してみると、そして単行本を読み返してみると、高井青年がいかに大きな覚悟(あるいは野生動物のような鋭い直感)をもって、研究社会という賭場にのぞみ、青春という名の一度しか与えられないチップを張り、勝利してきたか(結果を出してきたか)ということがわかります。

 前回紹介した『重版出来!』にも「失敗したら次はない」世界で生きる漫画家たちが出てきました。研究者の世界が同様に過酷なのかどうか、門外漢の私にはわかりませんが、しかし、基本的には実力社会である、ということだけは、なんとなくわかります。誰もが望む研究職に就けるわけではなく、もしかしたら、一生任期制の職を転々としなければならないかもしれない。莫大な「自己投資金」(ほとんどの学生は親がかりなのでしょうが)を回収できないかもしれない。そんな世界に、研究が好きというだけで、なんとなく飛びこもうとする若者たちのために、高井氏は次のように綴ってもいます。

 先ほど紹介したように、ワタクシが学部生や大学院生だったころは、博士課程に進学し、ポスドクを目指すのは「成功も失敗も自己責任なんだよ」とのたまうごく少数の覚悟派でした。しかし、現在はというと、マトモな思考を持ったメハシの利くマジョリティ層に属する多くのワカモノが、「背水の陣を敷く覚悟」という通行手形を持つことなく博士課程に進学し、ポスドクまで進むようになりました。若手研究者キャリアパス問題というのは、それによって顕在化してきたような気がするのです。
 もちろんワタクシ、覚悟を持たなければダメだというつもりは毛頭ないのです。むしろ、どんどんこの世界に足を踏み入れて欲しいと思っています。(中略)
 ただ、若かりしワタクシのような情熱人生ギャンブラー系や研究一直線系の、覚悟を決めたワカモノたちがワラワラ蠢く世界に自分はやって来たのだという「これは訓練ではない。戦場に足を踏み入れたのだ」という自覚は必要でしょう、ズバリそうでしょう。

「特に、今回の話は、理系大学生や大学院生に読んでみて欲しい」と前置きではじまるこの引用部分(※朱野注:実際はもっと長いです)は、どの世界にも共通していえることかもしれません。高井氏が若かりし頃、つまりバブル絶頂期は「マトモな思考を持ったメハシの利くマジョリティ層」は会社員になるのが普通だったと書いていますが、今や、会社だって、いや、省庁や地方自治体ですら「マトモな思考を持ったメハシの利くマジョリティ層」より「情熱人生ギャンブラー系や仕事一直線系の、覚悟を決めたワカモノ」が欲しいという空気を露骨に出しはじめていますからね。

 だからかもしれません。この本を読み終えた時、冒頭の引用部分に戻ってきてしまうのです。今、自分はどんな目をしているのかな、と。戦場で戦えるだけの面構えになっているのかしら、と。

 どちらにしろ、これだけはいえます。「僕はキミの目がとても気に入っている」なんて言ってもらえる人生はとてもエキサイティングで、楽しそう。我が子に読んでほしい一冊です。それに、少なくとも私は、自分の子供に「お金のことは心配しなくていいからとりあえず大学にいきなさい」なんて言える余裕はありません。「それだけのお金と時間を賭けるだけの価値が君にあるのか?」と尋ねてしまいそうです。そんな時に「ある」とギラギラした目で見返してくれるような若者に育てたいものですね。そして自分も死ぬまでそういう人間を目指し続けたいと思いました。中学生にも高校生にも大学生にも、読んでほしい本だと思います。




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2013年10月08日

『重版出来!』松田奈緒子(小学館)

重版出来! →紀伊國屋ウェブストアで購入

 1巻も面白かったのです。本を「売る」人々の熱い仕事ぶりが真摯に描かれていて、だからこそ重版がかかるシーンはとても感動的で、主人公もかわいくて、「面白いから読みなよ!」と人に勧めたりもしました。

 しかし、2巻に、ここまで胸をえぐられるとは。

 1巻で本を「売る」喜びを知った主人公・新人編集者の黒沢。2巻は本を「つくる」過程に重点を置いて物語が進行します。人気連載漫画家・高畑一寸の担当を引き継いだ彼女は、煽り文句を考えるのに四苦八苦したり、他誌からの引き抜きを心配したりしながら、高畑に面白い漫画を描かせようと奮闘します。

 この高畑の心理描写がいい。同じ作家として感情移入して読んでいる部分もありますが、とにかく生々しいのです。

 自分を人気連載漫画家に育ててくれた編集者に義理を感じている高畑。その一方で、ひとつの作品だけを描き続けていて本当にいいのだろうか、という迷いも持っています。そんな時、他誌の編集者から「本当に描きたいもの描いてらっしゃいますか?」と口説かれ、高畑の心は動きます。アシスタントに「漫画家なんて声かけてもらえるうちが華だし…」と言われてさらに揺れ動くのです。

 そんな高畑を見て、黒沢も「できれば自由に描かせてあげたい」と思うのですが、そんな彼女を、前担当編集者・五百旗頭の言葉がぐいっと引き戻します。

「漫画家に自由に描かせてどうする! 描きたいシーンしか描かないぞ。描きたくないような地味なコマを重ねて重ねて、やっと辿り着くのが『物語』だよ。描く側の苦しみは読者の喜びと正比例するんだ。その作品を最も高いクオリティに引き上げるのが俺たち編集者の仕事なんだ」

 敏腕編集者のこの台詞がこのエピソードの肝であることは間違いありません。正論。かっこいい台詞です。しかし「地味なコマを重ねて重ねて」いくというのは、口で言うほど簡単なものではありません。途方もない作業の中で、光を失い、進むべき道が見えなくなる恐ろしさ。このまま続けていて、本当に価値のある「物語」に辿りつけるのだろうかと悩み続ける高畑。その彼が、かつての担当編集者への思いを語るシーンには、思わず鳥肌がたってしまいました。部屋でひとり「Yes!」と叫びそうになったほどです。そして、高畑はこうも続けます。

「この業界が、生存競争厳しいのは知ってる。チヤホヤされるのも売れてるウチだけだ。もう声をかけてもらえないかもしれない」

 そのとおり、漫画家に限らず、フリーで食べている人間には「次」がある保証などありません。この2巻には、「次」に進めずに苦しむ漫画家や、失敗して惨めな末路をたどる漫画家のエピソードも収録されています。漫画家を志し、死ぬ気で頑張ったとしても、大多数がたどりつくのは、こちらのほうでしょう。対して編集者は、身分を保証される代わりに、「会社に利益をもたらさなければならない」という重い責任を負っています。だからこそ、編集者は漫画家に「何を描かせてくれるのか」を問われ、漫画家はどちらの編集者に人生を賭けるか悩むのですよね。

 とにかくこの2巻は作家として感情移入するところが大きかったのですが、「2巻面白かった」とTwitterでつぶやいたところ、紀伊国屋書店社員さんから即座に「私は書店員や営業の登場が多かった1巻のほうが好き」というダイレクトメールが飛んできました。そうか。やっぱり職業柄、肩入れするところが違うんですね。なんだか考えさせられました。1巻も読み直してみようと思いました。

 出版業界以外の読者はどう感じるのでしょう。会社員(編集者)とフリーランス(漫画家)という「働き方」に自分を重ねて読むのか、はたまたメーカー(出版社)と販売(書店)という「立場」でまた思いが変わるのか、お客様である「読者」として出版業界をめぐる物語を見つめるのか…。非常に興味深いです。ひとりひとり感想を伺ってみたいものです。

 そして、この漫画の主人公・黒澤は変わらず魅力的ですね。新人だし、体育会系だし、頭のいいことはひとつも言わないのですが、裏表のないまっすぐな意見が、いちいち心に刺さります。会社員時代の取引先に、黒澤と同じように「柔道しかやってこなかった」という社員さんがいたのですが、やっぱりいい仕事をする人でした。すぐ柔道にたとえようとするところも、隙あらば鍛錬を積もうとするところも、妙に度胸があって打たれづよいところも同じでした。会社って案外、ああいう人でもってたりするものなのですよね。2巻の終わり、突如訪れた危機を、彼女はどう乗りこえるのでしょうか。3巻が楽しみです!


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