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2013年07月16日

『講談社現代新書 野心のすすめ』林 真理子(講談社)

講談社現代新書 野心のすすめ →紀伊國屋ウェブストアで購入

『野心のすすめ』というタイトルを見た瞬間、何年も前からぐつぐつ煮えていた正体のわからない衝動にやっと名前がついたような気がしました。この本が売れているということは、私以外にもそういう人がたくさんいたということですよね。「野心を持ちたかった」「持ってよかったんだ」「それって恥ずかしいことじゃないんだ」「大声で叫んでもいいんだ!」……と、そのくらい思ってなければ手が出ないタイトルだと思います。著者はあの、林真理子氏ですし。

 たとえば私は2002年に大学を卒業して社会人になりました。安定の氷河期世代です。この話を始めるとだいたいバブル世代の人たちは「私(だけ)はその恩恵に預かってない」と言い出します。いやいやいや、私たちが言ってる恩恵って、一流企業の内定とか、ブランド品を買いあさりに海外旅行とか、そんな華やかなものじゃないですから。そこそこの企業でそこそこの給料をもらえる職に就く。フリーターになってもそこそこ生きていける。そんな綿埃のような小さな幸せですから。そんな風にいきりたくなってしまいます。じゃあ氷河期世代同士仲がいいかと言うと違うんですよね。「俺は○年卒だから。一番厳しい時だから」と、どっちがつらかったか自慢がはじまるのですよね。

 林真理子氏にはかなわないなあ、と思うのは彼女が、自分が駆けのぼってきた背景が、右肩上がりの時代であったことを、「いかなる論拠をもっても反論できない」と認めてしまうところです。林氏はすでに還暦寸前。この年代の人も、私たち同様、自分たちが恵まれた世代であることを認めないですよね。そうなるとこっちも「あープロジェクトX語りね!」「三丁目の夕日ね!」「そこからの若者批判ね!」と聞く耳を持てなくなりますよね。しかし、さすが林氏は違います。現状認識の甘い奴は許さない。だからまず自分にメスを入れて見せます。だからこそ「でも」に続く次の言葉「自分が本当に何も持っていないところからのスタートだったということには自信がある」が胸に刺さります。

 私は反省しました。氷河期世代の不幸自慢をしている場合ではありませんでした。若い頃の林真理子には本当に何もなかった。就職難がデフォルトの今ならいざしらず、好景気なのに40数社受けて1社も内定なし。時代のせいにできない。これはきついですよね。そこからはじまる怒涛の黒歴史披露の前には、さすがの氷河期世代も跪くしかありません。日給1800円の印刷工場の工員や、ハゲのオッサンに植毛するという貧しいバイト生活には対抗できても、洋服がダサくてデブでドジでのろまで、おまけに言動すら、今の言葉でいうと「痛い」ヤング・林真理子には、かける言葉がありません。よくここまで自分の黒歴史を書き出せるなあと、読んでいるこっちが苦しくなるくらいです。

 もしかしたら……私たち氷河期世代は、吹雪の中にいたのではなく、むしろ、ぬるま湯にどっぷり浸かっていたのかもしれません。「就職難だったから」「みんなそうだから」「私のせいじゃないから」と、心のどこかに、そんな逃げ道が用意されていた。少なくとも私自身はそうだったと思うのです。「夫婦共働きで、1.5人分稼げればいいよね」「服はファストファッションでいいよね」「お金を遣わなくても人生は楽しいよね」……足るを知る、と言えば耳障りはいいけれど、ただ小さく縮こまっているだけではなかったでしょうか。一度しかない人生。果たしてこのまま一生が終わってもいいのでしょうか? 

 いいわけない。心のどこかにフラストレーションが溜まっている。「自分はこんなものではないはずだ」という火がくすぶっている。山の中腹あたりのポジションを維持しているつもりが、山ごと沈降しているのではないかという不安に苛まれている。それはいったい誰のせいなのかと犯人探しがはじまる。少しでも上にいる人が許せない。「身分不相応だ」と叩きたくなる。お前も自分と同じように縮こまっているべきだと、叩きたくなってしまう。「今のままで充分幸せ」の結果がそれだとしたら、野心を持ったほうが、つまり、自分の足を鍛えてさっさと山を登ってしまったほうが、よほど心安らかかもしれません。

 最初に自分にメスを入れて見せた林氏ですが、そのメスは、私たち若者にも容赦なく向けられます。しつこいですが、還暦寸前とは思えない鋭い分析力はさすが『下流の宴』の著者というべきもの。私たち以上に私たちの現状を厳しく見据えていて、野心を持て、と煽られるのではなく、これからの時代は野心を持たなければ生き残ることすら難しいかも、と切実に思わされます。そしてそんな危機感を潜在的に持つ若者に、この本は売れているのだと思います。小さく縮こまっているのにもそろそろ飽きてきた、という人は予想外に多いのかもしれません。


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2013年07月09日

『ぼくは「しんかい6500」のパイロット』吉梅剛(こぶし書房)

ぼくは「しんかい6500」のパイロット →紀伊國屋ウェブストアで購入

 著者に取材させていただいたのはちょうど2年前。吉梅さんは日本が誇る有人潜水調査船「しんかい6500」の潜航長を務めておられました。短編映像「有人潜水調査線_しんかいの系譜」でインタビューに答えていらっしゃったお姿を拝見して、「怖そうだな」と思っていた私は、自分の送った質問状に、吉梅さんが回答文を寄せられているのを見て、内心慄きました。

 年若き潜航長・吉梅さんの回答には張りつめた空気が漂っていました。無駄な語彙が一切ない。短い文章で必要な情報を正確に伝える。これが、海という厳しい世界で、世界最先端の調査船を操るパイロットの言葉なのだ。読みながら、別に怒られてもいないのに、背中が強ばっていったことを覚えています。

 それからずっと吉梅さんは神秘的な存在でした。去年、初めてご挨拶させていただいた時には、すでに「しんかい6500」のチームを外れ、海中ロボットの運用業務に移ることになっておられました。私は結局、「しんかい6500」の現役パイロットとしての吉梅さんに会えなかったことになります。それが、とても残念でした。

 そう思っていたのは恐らく、私だけではないでしょう。「しんかい6500」のファンの皆さんも気になっていたのではないでしょうか。この強面で寡黙な潜航長がどんなことを考えているのか、どんな思いで海に出て、深海に319回も潜ったのか。その吉梅さんが書いた本なのですから、これは読まないわけにはいきません。

 本書を読み終わって思ったのは、船乗りの血というものは本当にあるのだなということでした。海のある街に生まれ、家の前には造船所があり、お父さんは作業船の船長、叔父さんは外国航路の船乗りだなんて、そんな「海の男」の条件が揃う世界が、まだ日本にあるのですね。それもまだ四十代半ば、私とひとまわりしか違わない男性の少年時代のお話だなんて。

 「ところで、吉梅君、お酒は飲めるのかね」というのが、海洋科学技術センター(海洋研究開発機構の前身)の面接の質問だったというのも、実に、海の男っぽいです。吉梅青年の答えが「エチルとメチル以外なら何でも飲めます」だったというのも、海の男っぽいです。予想を裏切りません。というか、予想をはるかに超えた海の男っぷりに、くらくらしちゃいます。

 筆記試験を受けた時のエピソードも普通じゃありません。「どうしたらこういう風に育つのか?」「幼少時から潮風に当て続ければこんな豪快に育つのか?」と息子を持つ全国のお母さんたちが悶絶したくなるであろうほどに不器用で、無骨で、そしてかっこよく、引用したくてたまらないのですが、ここは是非ともご自身で読んで堪能していただきたいと思います。吉梅青年のほとばしる情熱に胸が熱くなるはずです。
 
 私が一番驚いたのは、駿河湾で初めてシロウリガイコロニーを発見したのが吉梅さんだったということです。「駿河湾にシロウリガイはいない」と言う櫻井潜航長(当時)と「見た」と主張する新人コパイロットの間で夕飯が賭けられ、翌日の潜航で見事シロウリガイコロニーが発見されたというこのエピソード。『潜水調査船しんかい2000・1000回選考記録』(同機構横浜研究所所蔵)で、櫻井司令自らが紹介されていたのを読んで知ってはいたものの、まさかその新人が吉梅さんだったとは……。何代も続く有人調査船のパイロットたちのサーガがここでつながった気がして、個人的に深い感動を覚えました。
 
 さて、この本に納められているのは、吉梅さんの話ばかりではありません。「しんかい6500」や深海で出会った不思議な生物の話もたくさん書かれています。特に「しんかい6500」の機構に関する描写は、既刊本『深海のパイロット』を凌駕する緻密さで、暗い海の底で遭遇した危機や、それを回避する方法の描写は、読んでいるだけでドキドキします。耐圧殻がブラックアウトした時どうなるかなんて「なぜ私が小説書く前に出版してくれなかったのか」と泣きたいくらい詳細です。深海の小説や映画を企画している人がいたら、是非挑戦してみてほしいです、ブラックアウトのシーン……物凄くリアルで緊迫したシーンになること間違いなし……!(激しく嫉妬してしまいます!)

 とにかく! 本書を読み終わる頃にはあなたはこう思うでしょう。来世は船乗りの子に生まれるぞ、と。それくらい「海の男」いや、「深海の男」たちはかっこいい。私もこれからは「朱野君、お酒は飲めるのかね」と訊かれたら「エチルとメチル以外なら何でも」と答えることにしようと思います。必ず読むべし!


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