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2013年06月30日

『並盛サラリ-マン』木下晋也(竹書房)

並盛サラリ-マン →紀伊國屋ウェブストアで購入

 読むと全身の力が抜けて、ほどよく笑えて、すっと眠りに入れる。そんな本を私は「睡眠導入本」と名付けて密かにコレクションしています。前回「睡眠導入本」として紹介したのは、『生きていてもいいかしら日記』(北大路公子著)でした。今回はもっとゆるい、例え、会社の運命を決する重要な会議の直前だったとしても、数分で脱力してしまう、恐ろしい漫画をご紹介したいと思います。

 それが木下晋也の漫画です。私が『ポテン生活』に出会ったのは書店の店頭でした。寝っころがって描いたようなゆるいタッチの絵。帯には「何巻から読んでも大丈夫」というようなことが書いてありました。何巻から読んでも大丈夫って……。いくら8コマ漫画とはいえ、固定のキャラクターもいるようなのに、そんな適当でよいのでしょうか。木下さんの担当編集者さん、それでいいんですか?

 結論から言うと何巻から読んでもホントに大丈夫でした。というより、前の巻を読んでいたとしても、内容を覚えていられないのです。それくらいゆるいのです。数ページ読んだだけで、私は「失敗した」と思いました。ギャグ漫画なのに笑えない。どこで笑ったらいいのかわからない。すぐにベッドに放り出してしまいました。ふたたび拾いあげたのは寝る前です。神経が張りつめていた私は、「ウニが1匹、ウニが2匹…」と数える代わりにこの、気の抜けた漫画を手に取ったのでした。

 しかしどうしたことでしょう。読み進めるうちに面白さがわかってきたのです。それは、とってもミクロなおかしみ。「あはっ」にも「くすっ」にも「にやり」にも到達しない、息が鼻から漏れたか漏れないかというほどのかすかな笑い。その面白さがキャッチできるようになってきた頃、私はふやけていく意識の中でこう思ったのです。「面白い」ってこれくらいでいいんだよなと。日頃、「面白い」がてんこ盛りの漫画を読みすぎていた私は、「面白がる」ことに疲れていたんだなと。

 何を言っているのかわからないと思いますが、木下晋也の漫画を読んだ人は必ず上記の受容プロセスをたどるはずです。是非試してみてください。

 さて本題です。今回ご紹介するのは『並盛サラリーマン』。書影が2巻になっているのは、私が2巻から買ったからです。2巻からでも大丈夫。並盛商事に勤める社員たちの平穏で退屈な、ぬるま湯のような日常が4コマ漫画で描かれています。社員たちの個性は、一応描き分けられていますが、キャラ立ちしているというほどのものではありません。キャラありきの漫画を読み疲れた体に、優しい成分となっております。3ページくらい読むと、全身が弛緩して、物事を真剣に考えられなくなります。この感覚を味わってしまったら最後、この漫画を本棚からはずせなくなってしまいます。

 何より素晴らしいのは、この漫画のコストパフォーマンスです。さっきも言いましたが、読んだら、絶対に内容を忘れます。一度読んだ本は絶対忘れない、という自信を持つ方でも、この漫画にはかなわないでしょう。「どんなネタがありました?」と聞かれて、「スィーツ好きの課長がいて・・・」と言ったきり、絶句してしまうこと請け合いです。まさに私がそうでしたから。何度読んでも初めて読むときと同じ量の面白さが味わえます。こんな漫画が他にあるでしょうか。

 うまく褒められたかどうか自信がありませんが、絶賛したつもりですのでこの辺で終わりにしておきます。もう一度言いますが、何巻から買っても大丈夫ですよ!


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2013年06月13日

『会いに行ける海のフシギな生きもの』吉野雄輔/武田正倫(幻冬舎)

会いに行ける海のフシギな生きもの →紀伊國屋ウェブストアで購入

 私はあまりダイビングに興味がありません。

 あれは、なんていうか、きらきらした人がやるものですよね。まず「南の島に行く」ということ自体が無理です。南の島でなにすればいいんですか。パラソルの下でブルーハワイ飲んで、昼は陽気なインストラクターと海に潜って、夜は地元の居酒屋で現地の人と交流? そんな人間力の高いこと、できそうにありません。珊瑚礁の美しい魚たちにも気後れしてしまいそうです。

 私が親しみを感じる「海」とはもっと怖いもの。漁師町で育った祖母がつくる目玉やはらわたがごろごろ入っている魚の粗煮。フナムシがカサカサカサと走り回り、岩にはフジツボがびっしりと貼りつき、海水に浸かればコンブ(っぽいもの)がしつこく足に巻きついてくる。小学校の臨海教室では60分遠泳を強いられ、夏休みに行った伊豆の海では友達が潮に流される(※幸い、助かりました)。食うか食われるか。やるかやられるか。生きてるのか死んでるのか。私にとって海はそういうイメージなのです。

 そんな私の心にジャストフィットしたのが、深海生物でした。深夜、電気を消してPCの前に座り、膨大な深海映像をチェック。心が休まります。飢えたヌタウナギが貝をむさぼり食うところなんて「一生懸命生きてる…!」って感じがするじゃないですか。お洒落とかコミュニケーション能力とかかなぐり捨てた、なりふり構わぬこの姿。すてきです。6月22日に行われるしんかい6500の潜航生中継もとても楽しみです。

 さて、そんな私に、知り合いの編集者さんが「会いに行ける海のフシギな生きもの」という本をくださいました。私が同じシリーズの「深海のフシギな生きもの」を愛読しているからだと思います。深海の生きものにはいくら会いたくたって会いに行けません。だから今度は「普通の人もダイビングさえすれば会いに行ける生物を紹介するよ!」というコンセプト。

 でも私はダイビングが苦手だからな。やったことないけど、多分、向いてないからな。浅海の華やかな生き物に興味持てるかな。不安に思いつつ、気にはなっていた本なので、喜んで頂戴して帰ってきました。

 ページをめくって、「妙だな」と思いました。真っ青な海。光あふれる世界。でも、出てくる生き物がなんかおかしいのです。固めるのに失敗したゼリーのようなダンゴウオ。薬品で染めたような不穏な色のホヤ。星型の棘にくるまれた装甲車のようなナマコ。「漂流教室」に出てきたあれとしか思えないボビッドワーム。結論から言うと、すごく、キモイ生物ばかりなのです。

 表紙に戻って帯を見ると「水中カメラマンが35年間撮りためたキモかわ写真満載!」と書かれていました。さすが、「会いに行ける海のフシギな生きもの」をつくった編集者さん。センスいい。「キモいいね!」ボタンを押しまくりたくなります。切り取られた腕から再生中のヒトデとか、死ぬと星の砂になるというホシズナ(これを見たら星の砂を御土産に買おうなどと思えなくなる)とか、生々しすぎます。最後に掲載されてる生物なんて、シアノバクテリア(死骸含む)ですから。

 でも、これなら会いに行きたいです。これを見るためだったら頑張れます。潮焼けした髪の若者に混じって、海の家で焼きそば頼むくらいなんでもないですよ…!

 ちなみに私が最も気に入ったのはウミエラ(海鰓、と書くそうです)を撮影した薄暗い海底の写真です。「海の墓標?」と題されたこの生物たちは、夜になると羽根を広げて食べものをとるそうなんですが、羽根の部分はたくさんの個虫が集まったものなんですって。意味がわからないですよね。不気味です。そしてとても素敵です。

 南の島が似合わないあなたも大丈夫。おすすめの一冊です!

 


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2013年06月12日

『俺はもっと本気出してないだけ』青野春秋(小学館)

俺はもっと本気出してないだけ →紀伊國屋ウェブストアで購入

 俺はまだ本気出してないだけ。

 世の中にこれほど胸をえぐるフレーズがあるでしょうか。誰もが一度は思ったことがあるはずです。「私は本気さえ出せば…」と。そして大抵の場合は、本気を出さずに、一生を終えるのです。漫画「俺はまだ本気出してないだけ」(注意:今回紹介する本ではありません)の表紙には、公園で死んだ魚のような目をして突っ立っている中年シズオの姿が描かれています。いかにも駄目そう。「俺にやさしい社会づくり」という、当時巻かれていた帯のキャッチフレーズも胸をくすぐります。3年くらい前でしょうか。私はこの漫画をつい衝動買いしてしまったのです。

 読みはじめるや否や、シズオのあまりの駄目さ加減に、私は心底安心しました。18年勤めていた会社を「自分を探す」という理由で辞め、日がな一日ゲームをする40歳のシズオ。突然「俺マンガ家になるわ」と宣言するのですが、宣言しながら膝をポンッと打ってみたり、茫然とする父と娘に対して「マンガ!」と無邪気な顔をしてみたり、ひとつひとつ、じっくりと味わいたくなる駄目さなのです。そりゃ父も泣きたくなります。アイディアが浮かばなくなって出かけた風俗店で娘と鉢合わせしてしまい、しばらく沈黙した挙句に「こんにちわ」と挨拶だけして帰るシーンは今でも忘れられません。

 なんでこんな漫画を、と思いつつ、気づけば4巻まで揃えていました。シズオには中毒性がありました。どれだけ読んでもシズオの「駄目」には底がありません。常に斜め上や、斜めうしろ、あるいはねじれの位置から、あらゆる「駄目」を投げてくるその姿に、私だけでなく、登場人物たちもついつい巻きこまれていきます。

 シズオとの別れは突然やってきました。休載したのです。尻切れトンボになったまま、シズオは長い間ぼんやりと私の心の隅にぶらさがっていました。最初は「続刊が出るのではないか」と店頭を気にしましたが、2年もたつと、「ああ、もう続刊は出ないのだな」と諦めるようになりました。本であふれる我が書棚。何度処分しようと思ったことか。しかし、なぜか捨てられないシズオ。それがシズオなのです。

 ところが! 去年の秋ごろ、書店でまたシズオを見かけました。続刊が出たのです。驚きました。2年のブランクをものともせず、マックススマイルのシズオ。シズオの父じゃありませんが「お前は世の中なめてるのか?」と言いたくなります。今更戻ってきても遅い。ストーリーだってもう覚えてないよ。若干腹立たしく思いながら、私は買わずにシズオを放置しました。

 そしてついに今年の春、「もうそろそろ読んでやるか…」という気分で5巻を購入。最初のページを開いた瞬間から、シズオはやってくれました。「著者描き下ろし 1~4巻までのあらすじ」という4ページが目に飛びこんできたのです。わかってる。シズオはちゃんとわかっていたのです。読者がストーリーを忘れた可能性が高いということを。わかってなさそうでわかってる、そこがシズオらしい。でも、あらすじ、意味ない。もともと、あらすじにするほどのストーリーがない!

 2年のブランクを感じさせないほど、シズオは飄々としてそこにいました。正直、驚きました。こんなに違和感なく戻れるなんて。画風もまったく変わっていない。そして、な、なんと、ハッピーエンドで終わるのです! しかもクライマックスで泣かせる。シズオに泣かされるなんて思ってもみませんでした。ていうか泣きたくない。シズオにだけは泣かされたくない!

 なんだかんだで目頭が熱くなり、なんともいえない多幸感に包まれて、最後のページをめくった私は「ガーン」と漫画を取り落としそうになりました。

「特報!『俺はまだ本気出してないだけ』実写映画化決定! 主演:堤真一」

……映画化! この漫画が! しかも堤真一!! 全然似てないし!!! 読者全員が突っこみを入れたであろうと思われます。さては映画のために復活したな。その調子のよさがまたシズオくさい。しかもこのページ、いつもはへらへらしているシズオが、やけにビシッとした顔つきで堤真一の写真と並んでいるのです。なんだかすごく腹が立ちます。シズオの父じゃありませんが丸めた新聞紙で頭をはたきたくなります。

 そして、ここからが本題です。さんざん文句言って、でも、「映画化か。シズオ、良かったね」と5巻を閉じ、「私もこれでシズオから卒業できる。よかったよかった」と新たな漫画を求めて書店に立ち寄った私は、そこでまた、照れくさそうに佇むシズオに出会ったのです。それが今回ご紹介するこの漫画「俺はもっと本気出してないだけ」です。買っちゃいましたよ、もう。ここまで来たら最後までつきあうしかないじゃないですか。

「俺はもっと本気出してないだけ」は、「俺はまだ本気出してないだけ」の登場人物たちによる、オムニバス短編集です。個人的には、シズオの会社員時代の話がよかったです。中年になってからのシズオは駄目だけど、十八年も続いた会社員生活だけは「頑張ってたんだな」と信じていた私に、シズオは斜め下方から新たな「駄目」を投げかけてきてくれました。さすがシズオです。でも、もう、これで終わりにして!


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