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2012年09月11日

『はるまき日記―偏愛的育児エッセイ』瀧波ユカリ(文藝春秋 )

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「母親になっても女を捨てたくない」と言ってる女性、いますよね。「子供を生んでもきちんとメイク」「羞恥心だけは捨てたくない」実際に死守している人もいます。すごいと思います。でも大概の女性は努力を放棄してしまうようです。なぜ放棄してしまうのか。真っ先に放棄してしまった私がその理由を説明してみたいと思います。

 母親となったあなたを一番に襲うのはカメラのフラッシュです。「かわいい!!!!」絶叫とともに祖父母たちが撮りまくるのは生まれたばかりの赤ちゃんです。ついでに、背景としてのあなた。産後まもないあなたの髪は滅茶苦茶です。汗で眉毛もなくなってます。でもいいんです。あなたは母親という名の「背景」になってしまったのですから。赤ちゃんさえ可愛いければいいんです。容赦なく焚かれるフラッシュの中であなたは、「子供を生んでもきちんとメイク」という言葉のむなしさを噛みしめることでしょう。

 続けて見舞われるのが「おっぱい」攻撃です。実の両親、夫、夫の両親、通りがかりのおばちゃん、ありとあらゆる人々があなたの「おっぱい」について話題にするようになります。あなたの恥ずかしい部位から分泌される白い液体について「オープンに話し合っていこうぜ!」という雰囲気になるのです。こんな環境で羞恥心なんか守れません。というか、捨てないと正気を保てません。

 そんなことをカッカと考えていた産後四ヶ月の私の前に、育児エッセイ『はるまき日記』は降臨しました。著者はあの『臨死!!江古田ちゃん』を連載中の瀧波ユカリです。知らない方のために説明しますと、『臨死!!江古田ちゃん』は、自室では常に全裸という女性の視点から世の中を鋭く切り取った四コマギャグ漫画です。かねてから大ファンである私は「あの瀧波ユカリがどのように育児を切り取るのか読んでみたい」という衝動を抑えられず、つい買ってしまいました。そして一気読みしてしまいました。

 すごい。さすが瀧波ユカリです。育児エッセイで陥りやすい「親バカがにじみでてしまう」という罠を軽々クリア。我が子を未知のイキモノとしてとらえ、その生態を冷酷なまでに暴いていく彼女に、聖域はありません。これまでの育児エッセイが徹底的に避けてきた出産後のアンビリーバブルな肉体変化も、あますところなく描いています。産後、乳首の毛穴から黒い角栓が排出されるだなんて、それをこともあろうか授乳中の赤ちゃんが吸い取ってしまうだなんて、瀧波ユカリ以外の人に書けるでしょうか。おっぱい攻撃くらいで羞恥プレイだなどと騒いでいた自分が恥ずかしいです。

 さらに! 瀧波ユカリはとうとうあの「禁断の感覚」にも触れてしまいました。

 私はおっぱいマシーンと化してから、男の人の気持ちがわかるようになった。多分。たまったものは出したい。出したら気持ちがいい。授乳はセックス。搾乳はオナニー。授乳ははるまき(朱野注:赤ちゃんの愛称)が吸いやすいように腕の位置に気を使ったり、全部吸ってほしいのに途中で寝られたり、せっかく飲まれたのを吐かれたりなかなかままならないが、うまくいった時の一体感と爽快感と達成感はたまらない。(後略)

 そうなんです。私も産後からずっと同じことを思っていたのです。しかし、「自分だけだったらどうしよう」「私はとんでもない変態かもしれない」と、誰にも言えずにいたのです。ありがとう、瀧波ユカリ。これで楽になれました。

 相変わらず拳やよだれかけを熱心にしゃぶっているので、試しに私の人差し指をはるまきの口に入れてみた。舌でちろちろと指の腹をくすぐりつつ、リズミカルに吸い付き、そして時々強く噛む……うまい、うますぎる。思わず腰がうずく。超絶技巧に愚母も昇天寸前である。指でこんなに感じたのは初めてだ。(後略)

 そうなんです。赤ちゃんとの身体的接触は母親に性的興奮をもたらしてしまうのです。子供、特に男子は絶対に認めたくないでしょうが、実際そうなんだから仕方がないのです。母親が自分に性的興奮を覚えていただなんて、考えるだけでも恐いですね。

 それにしても、こんなこと暴露したのは瀧波ユカリが初めてではないでしょうか。大丈夫でしょうか。「母親になっても女を捨てたくない」女性たちに刺されないでしょうか? あ、でもある意味「女は捨ててない」のか…。この辺でやめておきます。素晴らしい育児エッセイでした!


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